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そして僕等は夜に溶ける  作者: 林 りょう
CASE4《とある犬好きの場合》
19/44

常連





 マンションが立ち並ぶ住宅街から、一軒家が多くなる境目となるように、道の角でそのカフェは静かに営まれていた。

 三席たらずのテラスでは、周囲の人々の生活を見守るように一匹の大きな黒い犬が終日寝そべっていて、夢でも視ているのか時折鼻がひくひくと痙攣している。それとは別で、店の中では少し高めの若々しい元気な鳴き声が響いており、覗いてみるとテーブルの下を白い塊が走り回っていた。

 常連からは見た目そのまま『くまさん』の愛称で親しまれるマスターと、専門学生のアルバイトが一人いるだけの『Promenade(プロムナード)』は、フランス語で散歩の意味を持つ小さなドッグカフェだ。その名の通り、散歩途中でふらりと立ち寄る客が多い。

 さて、そんな店ではここ最近、毎週水曜日になると開店直前から、くまさんこと前原学(まえはらまなぶ)の愛犬の一匹、ジャックラッセル・テリアの歌之助が、待ちきれないといった様子ではしゃぐようになっていた。

 この犬種が持つ性格もあり、少々落ち着きの足りない歌之助は、それに加えて能天気なところもあり、外へ出かければ目を離すとすぐ迷子になる。本人はきっと探検だと認めないだろうが、それはもう才能な域に達していた。

 そんなわけで、リードを外すのはフェンスのあるドッグランのみにするようになっていたにも関わらず、一ヶ月と少し前、歌之助がまたしても消えてしまう事件が起こった。マナーのなっていないどこぞの飼い主が、入口をしっかりと閉めずにいたせいだった。

 慌てて探すも、まだまだ若いせいもあってじっとしているのが苦手な歌之助の姿は、お気に入りのピンクのボールと共にどこにも見当たらない。せちがらいことに、最近では犬攫いなるものが現れることもある世の中、独り身な前原にとっては大切な家族でもあり、楽観視してはいられなかった。

 けれど、お姉さんでもある大型犬、ニューファンドランドのどんぐりと共に河川敷一体を探すが、一向に見付からない。首輪には迷子札を着けており、躾だけはしっかりとしているので早々人を噛む子ではないが、その分人受けが良すぎる。一時間も経った頃には、目を離してしまったことを心底後悔していた。

 そんな時、どんぐりが大きく垂れる耳を弾ませ、前原を引っ張って連れて行ってくれたおかげで、最終的に見付かり安堵したのだが、そこで彼は一人の青年と出会った。ボール遊びに夢中になっていた愛犬の相手をしてくれただけでなく、直ぐに連絡をしなかったことを謝ってくれた律儀な人だった。

 歌之助が毎週水曜日の十時前から騒ぎ出すようになったのは、その出会いのしばらく後から。あまり人付き合いの得意ではない前原でも緊張しないでいられる穏やかな雰囲気のおかげで、お礼も兼ねて店へ招待したのがきっかけだった。青年は気付けば週一で、文庫本片手に訪れてくれるようになっている。

 天気が良い日はテラス、店内の場合は小さなカウンターで。たまに前原やお客の犬達と戯れながら一人静かに本を読む瞳は、不思議な灰色をしていた。歌之助は相当彼が気に入っているのか、最近では膝の上で良く昼寝をするようになっている。飼い主としては、少し嫉妬してしまうほどだ。

 前原は、騒ぐ歌之助をたしなめながら、オープン準備を済ませていく。そろそろ店の前を車が一台通るだろう。そうすればどんぐりが身体を起こして待ち構え、テラスの柵越しに撫でてもらい、歌之助が激しく吠えて文句を言えばドアのベルが鳴る。その際ついでにクローズの看板を下げてくれるので、とても助かっている。

 飽きずに繰り返される光景は、今日もその通り変わらなかった。


「おはようございます、前原さん。歌もおはよう」

「いらっしゃい、タクトくん」


 そう、青年とは勿論タクトである。カーディガンをはおり青いフレームの眼鏡をかけ、その姿はまるで学生にも見える。

 けれど、乗っている車もそうだが、身に着けている腕時計やアクセサリーはそれなりに高価で、他の常連から前原は何度もその正体を尋ねられた。その都度、あたふたと上手く流せず、それが逆に彼らの興味を笑いで逸らす。報われない性格の典型だろう。


「今日はお土産があるんです」

「え、私に?」

「はい。僕のおすすめを」


 足にまとわりつく歌之助を抱き上げ、カウンターにビンを一つ置く。それは、タクトの事務所の専用の冷凍庫にびっしりと並んでいるものだった。

 残念ながら前原のカフェのコーヒーは、タクトのお眼鏡に叶うことはなかった。けれど、この店の野菜ジュースは極上で、店主の人となりが滲み出た雰囲気もまた気に入っている。小さい賑やかな友人と、無愛想だが心配性な大きい友人もまた然り。

 気付けばモーニングを頼みながら、タクトが前原に自慢の一杯をごちそうするほどの馴染み具合だ。喜んで受け入れている前原も前原である。


「そういえば最近、味が良くなったって褒めてもらいましたよ」

「淹れ方で、本当に変わりますからね」

「タクトくんの味を知ってしまうと、どうしても出すのが恥ずかしいですけど」


 朝一で客が居ないのをいいことに、店内をピンクのボールが弾み白い塊が忙しく走り回る。それを眺める横顔が、前原には何よりも印象的だ。店が店なので犬好きなのは大前提となるが、だからこそタクトの目が他と違うことはすぐに分かった。

 犬として、家族として、どちらにせよ愛でるのが普通だが、そこにあるのは羨望だ。言葉が悪いと前原自身思うが、それでも犬に対してそんな感情を抱くのは、まともと言い難い。のっそりとした足取りで珍しく店内に入ってきて、隣に座ったどんぐりの頭を撫でる時もやはりそう思った。

 膝に乗せてもらえた歌之助が、特製のドレッシングのかかった季節野菜のサラダの中からベーコンを奪おうとしているのを止め、どんぐりに怒られるのを笑う様子は好青年そのものだというのに。ふと垣間見せる表情はどこか深い。


「最近では、水曜日になると歌が待ち切れないらしくてね」

「すごい。僕より曜日感覚が優れてますね」

「おや? 毎回同じだったから、てっきり水曜日がお休みなんだと思ってました」


 良い機会だった。客のプライベートに踏み込むのは、あまり褒められたことではないが、都合よく知人と考えれば好奇心がすぐに勝る。

 タクトは歌之助を降ろすと、フルーツヨーグルトをより鮮やかにさせていたさくらんぼを咥え、見透かしたように微笑む。その妖艶さにどきりとした。


「前原さんと同じです。こうみえて自営業なんですよ」

「その若さで?」

「趣味にも近いですけど」


 けれど、結果としてはさらに謎が増しただけ。それ以上聞こうにも、タクトは遅い朝食を食べ終わり、どんぐりを連れ立って野菜ジュース片手にバルコニーの席へと移動してしまった。

 椅子に座ると、膝にどんぐりの大きな顔を置かれ苦笑している。そこではなく床に座れ、彼女は鼻息でありありと語っていた。


「……お前らは、知ってるのか?」


 聞かれたくないのか、言うつもりがないのか。前原には分からなかったが、置いていかれてしまった歌之助へ投げ掛ければ自信ありげな返事をされたので、そうかと独りごちた。

 そんな前原がタクトの正体を知るのは、この日の午後。運命の悪戯か、たまにシーズーを連れてやってくる年配の女性が来店した時で、それまでは静かな普段の日常であった。


「あら、探偵さんじゃない」

「探偵……ですか?」

「そうよぉ。ちょっと変わった男の子でね、少し前まで夜のお仕事をしてたみたいでね」


 席に案内する途中、その女性はバルコニーで読書をするタクトに気付き呟いた。そうして、尋ねずとも接客する前原へ話をしてくれる。あまり馴染みないその職業には首をかしげたが、続いた経歴にはどおりでと妙に納得してしまった。

 さらに、噂好きな唇は止まらない。


「綺麗な顔よねぇ。礼儀正しくて良い子だし」

「お知り合いなんですね」

「一方的にね。というか、それなりに有名よ」


 どこで有名かは女性も笑って濁していたが、ともかく。大物なのは間違いないらしい。それがどういった意味でなのか、思った前原自身とても漠然としていたが。

 すると、女性の隣でパグを連れて訪れていた男性が二人の会話に混ざってくる。狭い店だ。ピークでもなければ、たいていがこういったおしゃべりの場となっている。ただ、それに前原が加わることは少ない。


「俺も知ってます。なにせ、あの麗華さんの友達らしいですし」

「麗華さん……?」

「知らないんですか? あー、店長はキャバクラとか行かないかぁ」

「あらやだ、くまさんだって少しぐらい遊んだりするでしょう」


 そのせいで、さっそく置いてけぼりになりかけているが、二人が勝手に笑っているのでまあ良いだろう。無縁なのは、確かに当たっているのだから。

 自分もサラリーマンを辞めて、こうして店を開いているわけだが、それと似たようなことを十は若いだろう青年がやっているのであれば、それは噂にもなるはずだ。

 しかし、何故その選択を取ったのか。二人の愛犬へクッキーを出しながら、前原はとてつもなく理由が気になった。


「探偵なんてまた……。ホストからなんですよね」

「不思議よねぇ。お友達の話では、かなりの人気者だったらしいのよ」

「もったいない話ですよ。そういえば、理由は知りませんけど、俺、噂なら聞いたことあります」


 「噂……?」前原と女性が首を傾げれば、食い付いてくれるのが嬉しいのか、男性は椅子を引きずりグラスを持って、わざわざ身体を寄せる。

 まるで秘密話をしているようだ。どことなく、子供っぽい光景に思えてしまう。


「なんでも、愛の先に導いてくれるとか」

「まあ、素敵」

「恋愛に関しての相談っていうか、男女のトラブルに強いらしいです。そこはやっぱ、経験なんですかね」


 話を聞きながら、あんなにも人が良さそうなのにと、次第に前原はまるで自分の知るタクトと一致しなくなっていく。けれど二人はそうではないのか、一切不思議ではないらしい。

 再度、どうしてだろうと首を捻った。


「後は、そうだ。めちゃくちゃコーヒーが美味いらしいです」

「あぁ……、それは本当ですよ」


 それには思わず同意する。そして、その後は驚く二人に淹れ方を教わったと話せば是非オーダーしたいと、それきり話がタクトのことへ戻ることはなかった。

 しかし、前原は気になったまま、店を営業しなければならなくなった。まさか愛犬たちに聞き出してくれと頼むわけにもいかず、かといって自分で尋ねる勇気はなく。それでも、タクトの何がそうさせるのか知りたいと思った。

 それはなぜか。プロムナードを気に入ってくれる人達の大抵が、口を揃えて言う褒め言葉がある。ここはまるで、時間が止まっているみたいだと。前原はその度に、頭を下げながら心の中で呟くのだ。当たり前だろう、と。

 その為に、この店は建てられたのだ。

 そのせいで、自分はこうして一人と二匹、静かに生きている。

 愛犬が巡り合わせた青年も、確かに同じ雰囲気を纏っていた。彼の時も、動いていない――






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