再会
「あれ? こはく、久しぶり」
聞き間違えるはずのない声に、私は足を止めた。
こはく。
その呼び方を聞いたのは、いつ以来だろう。
父の起こした事件がニュースになった日から、当たり前だった日常は少しずつ形を変えていった。
私の名前も、そのひとつだった。
最初は、ただ視線が増えただけだった。
教室へ入ると、それまで聞こえていた話し声が少し小さくなる。
廊下ですれ違った子が私の顔を見て、そのあと隣の子へ何かを囁く。
気のせいだと思うことにしていた。
そうしていれば、昨日までと同じ学校生活を続けられる気がしたから。
でも、ある日の昼休み。
いつも一緒にお弁当を食べていた子たちのところへ行くと、一人が困ったように笑った。
「ごめん。今日、ちょっと別の子と食べるんだ」
その子の隣には、いつものメンバーが全員いた。
「あ、そっか」
私も笑った。
それから自分の席へ戻った。
次の日も。
その次の日も。
誘われることはなかった。
誰かと喧嘩をしたわけじゃない。
嫌われるようなことを言った覚えもない。
私自身は、何も変わっていないつもりだった。
でも、周りから見える私は、もう昨日までの私ではなかった。
「音羽さんのお父さんって、あの事件の人なんでしょ?」
ある日、教室でそう聞かれた。
声をかけてきた子に、悪意があるようには見えなかった。
むしろ、気を遣っているような顔だった。
「うん」
私は答えた。
「そっか……大変だね」
その子はそう言った。
それから、私とはほとんど話さなくなった。
別の日には、後ろの席から声が聞こえた。
「でも、本人がやったわけじゃないし」
「分かってるよ」
「じゃあ普通に話せば?」
「いや、そういうことじゃなくて……」
そこで声が小さくなる。
聞こえていることくらい、きっと分かっていた。
私は教科書を開いたまま、同じ場所をずっと見ていた。
先生は何も言わなかった。
たぶん、知らなかったわけではない。
殴られたわけでもない。
物を隠されたわけでもない。
机に何かを書かれたわけでもない。
だから、何を注意すればいいのか分からなかったのかもしれない。
私にも分からなかった。
何をされたのかと聞かれたら、うまく答えられない。
ただ、隣に誰も座らなくなった。
話しかけられなくなった。
目が合うと、少し気まずそうな顔をされるようになった。
そして、いつの間にか。
私は私ではなくなっていた。
音羽さん。
あの事件の。
あの人の娘。
誰も口にはしない。
でも、そう呼ばれているのと同じだった。
だから私は、自分の名前を呼ばれないことに慣れた。
慣れたつもりだった。
「あれ? こはく、久しぶり」
もう一度、その声が頭の中で響く。
昔と同じだった。
何も知らなかった頃と同じように。
何のためらいもなく、私を私の名前で呼ぶ声。
私はゆっくり顔を上げた。
いつもの帰り道。
道路を挟んだ向こう側。
シャッターの下りた文房具店の前に、一人の男の子が立っていた。
昔より背が伸びていた。
髪型も少し変わっている。
知らない服を着て、知らない鞄を肩に掛けていた。
それでも。
笑うと右の頬だけが少し持ち上がる癖は、変わっていなかった。
私をこはくと呼ぶ人は、もういないと思っていた。
「……ひかる?」




