黎明と暁と飛び立てぬ牢縛と
褐い泥濘のように暗くて粘りついてくる微睡の中、少女は揺蕩っていた意識が揺らぎながらゆっくり意識の表層へと昇っていくのを感じていた。ひっそりとした物憂げな淀みの渦中から柔く明るい方へと意識が徐々に漂い移ろっていくことを明瞭としない感覚の中でも少女はぼんやりと知覚し始める。黎明の空にも似たこの靄がかかって淡い瞬間の中で意識が波打つ瞬間が少女にとっては心が浮つくほどに好きだった。ただ不意とどこかの瞬間でその意識が途切れるかのように突然として認知の輪郭を明瞭とさせ、瞼の向こうから半ばうっすらと差し込んでくる光を近くしてしまうことによって感覚が呼び起こされ始めていた。
「お嬢様ァ。お嬢様。もう朝ですよ。良い加減そろそろ起きてください。」
笑いたくなるほど暢気で聞きなじみのある声が耳へと飛び込んでくるものだから瞼を閉じていながらも顔の前に何が存在するのかが分かってしまい少女は期待混じりに目を開いた。そうして飛び込んできた視界の一番大きい空間には当然のように嫋やかに目端を細めている女性がいて、生糸みたいな豊かで柔らかな栗色の髪を朝の陽ざしに映えさせながら覗き込んできている姿があったものだから少女は安堵と嬉しさで自然と笑みを零してしまう。
「おはようマヘリア。ねえ起こして?」
お嬢様と呼ばれた少女は蜂蜜みたいな甘く蕩けかけた口調で両手を広げ侍女の方へと伸ばして見せる。そんな幼い頼み事を聞いたとたんマヘリアと呼ばれた侍女はわざと肩を竦めると「駄目ですよ。ちゃんと起きませんと。」などともっともらしいことを言って叱りながらも、結局は体を屈めて少女の背中にするりと手を回した。すると途端、少女がその腕を捕まえてベッドの中へと侍女を引き込んでしまう。
「ああもうっ、お嬢様ァ。ユリアお嬢様、お戯れをおやめください。」
咎める調子で文句を言う侍女に少女が思わずくすくすと笑ってしまっていると、それで侍女の方も仕方なくなって笑ってしまい、最終的にはベッドの中で二人して楽しそうに肩を揺らしあう。それでもマヘリアと呼ばれた侍女はぽんぽんっと少女の背中を軽く叩いて起床を促すと、よっと声を漏らしながら床へと伸ばした足を強く踏みしめて少女の体を無理やりに引き起こしてしまうのだった。
「さあさあ、諦めて起きてくださいね。今日も予定が幾つか入っておりますから。」
「そうね。そうだものね。」
正直な気持ちで言えば本当ならもう少し遊んでいたかったが、仕方もなく、侍女に起こされるままに立てた上半身をふらふらと何度も横に揺らした後、ユリアと呼ばれた少女は泡沫のように不意と湧いてきた微かな眠気にふわりとあくびを一つ漏らし睡眠で硬くなってしまっていた体を解そう上へと両手を伸ばした。しばらくそのまま腕を伸ばしていた少女は窓の外に飛ぶ小鳥が近くの木にとまるのを眺めて、まだ霞みがちな瞼を何度か瞬かされる。その鳥が小さくちちちちと鳴き始めたのを呆けたように聞いていたかと思うと、ようやく何か覚悟を決めたようにベッドから足を出した。澄むほどに白く細い御御足は大理石よりも滑らかで産毛すらも透明に柔らかく肌に撫でつけられたようにしなやかに沿っている。そのまま床に足をつけて少女が立ち上がると、すぐに侍女のマヘリアが傍らに侍ってその身支度を整えていく。長い黒髪にブラシがあてられてゆるりと寝癖がほぐされていくうち、少女はまた窓の外を眺めながら侍女へと問いかける。
「それで、今日は何の予定が入っていたかしらね。」
「そうですねぇ……。」
寝相でナイトキャップと擦れ随分とくねってしまっていた生糸のように細くしなやかな髪は、侍女の操るブラシによって丁寧に絡みをほどかれながら少しずつ少しずつ真っすぐに整っていく。せわしなく手を動かしながら侍女は一つ息を止めて、心苦しい報告をしなくてはいけない後ろめたさから躊躇いつつも小さく口を開いた。
「まず朝方はプロバンス子爵のご令嬢が挨拶に見えます。昼頃は今月入用になるだろうものを見繕ってもらうため商人の訪問があります。そして午後ですが、その……宮殿に呼ばれております。栄典の塔に……。」
「ああ、そう……。そうね……そっか今日だったのね……。」
先ほどまで僅かに稚気を見せ緩やかだった少女の雰囲気が急に張りつめると、その表情は素人が彫った胸像かのようにぎこちなく冷徹なものに変じてしまっていた。




