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2.進めましょう

「初めて会った舞踏会、覚えていて?あなた、ぼうっとしていたのよ。誰もが興味や野心を隠しきれないあの場で」

私はその様子を思い出し、ふっと吹き出してしまった。話しかけてすぐの反応も、今思えば自分に用がある人などいないはずがどうしたのだろう、等としか考えていなかったに違いない。私は又聞きの評判や風聞に惑わされない人柄なのだと思ったけれど。

「だから声をかけたわ」

アレンの表情も私に続いて柔らかくなる。

「僕はただ……自分に関係ない場所に、置物としてただ移動させられたような感覚で……。まさか侯爵家のご令嬢の視界に僕がうつるなんて、思ってもみなくて」

僅かに頬を染めてはにかむ彼に、私は口にしないまでもそうでしょうねと思った。


うちのような家格の人間が子爵家に興味を持つことは稀で、さらに直接婚約を申し込むとなるとこの国では異例中の異例だった。父も母も頭ごなしには否定しなかったが、何も彼じゃなくても、という反応だったことをよく覚えている。両親は娘が王子に見染められゆくゆくは后となる栄誉をこれっぽっちも疑っていなかったのだ。

──ディアーヌはこのような親がいたおかげで醜聞や性根をものともせず王子と婚約を結ぶことができたわけだ。ずっと前の薄らとした記憶を反芻しながら、私も遠い目をして痛感するほどである。

最終的に侯爵夫婦は「両親を尊敬しているゆえに家を継ぎたい、殿下についてはこの国の貴族の一人としてお支えしたい」という私のでまかせにいたく感動し、ようやくアレンとの婚約に向けて動いたのだった。ついでにその過程で母は私への期待から気力を取り戻した。


「その無関心が、わたくしにとっては魅力に……いえ、都合よく映ったということよ」

あえて言葉を変える。全てを話すと決めた以上取り繕うのも違うだろう。彼には選んでもらわなければならないのだから。

「ちょうどよかったの。わたくしに下世話な興味もない、無理に我が家をどうにかしようとする野心もない」

──それからありがたいことに、私に対する偏見もなかった。

返事はない。熱心にこちらに向く視線から逃げるようにカップを手に取る。とうに湯気の出ないお茶に口をつけ、すこしだけ乾いた舌を潤した。

「わたくしの評判は耳に届いていたんでしょう」

沙汰になるような行動はすべてはっきりと覚えている。ディアーヌとしても生きたのだから、私がやったことに相違ない。「下々へすべき教育」をしたという感覚だって今も奥底では拭えないでいる。ただ、もっと長く生きたほうの自分がその行為を虐待だハラスメントだと訴える。もう同じことができる気がしない。


「お聞きしておりましたよ。上に立つお方とか堂々としていらっしゃるとか、幼いながら貴族としての自覚がおありとか」

「ちょっと、全部皮肉じゃない」

「ふふ」

そして、あれが当時でさえ少々古風な貴族の考え方やふるまいであったことも私には理解できるのだ。あの女の子が入学してきて、そのような風向きが強くなることも。



「そういえば受理されたそうですよ、僕たちの婚約」

「随っっ分かかったわね……」

少女が額に手をやる。袖のボタンにはまる赤い宝石がきらりと光った。


全ての必要な手続きをきっちり終える頃には、ディアーヌたちは学園と呼ばれる教育機関に通い始めていた。令嬢の想定よりはだいぶ進みが遅かった。

「それにしても、ベルナール卿があんなにあっさりお許しくださるなんて予想外だったわ」

揉めたのは侯爵家、ボーヴォワールの側である。

「当然ですよ。父にとっては望外の喜びだったでしょう」

「そうかしら」

その後も派閥内から王家との婚約者を出したがった他の家から茶々が入ったり、王子のほうの婚約の成立を待たされそうになったり、降りかかるこまごましたことにも対処をしていたらなんと二年の歳月が経っていた。

「家族仲がよろしいとお聞きしていたけれど。あなたが惜しいのではなくて?」

「我が家には優秀な兄がおりますから」

先に馬車を降りたアレンが差し出した手に透き通るように白い指先を重ね、ディアーヌも外へ出る。

「……それは、謙遜?」

「えっ?い、いえ……」

そのまま門をくぐる。自然な動作でかばんを2つ手に取って降りていたアレンも、ディアーヌのうしろについて歩き出した。

「ただ……事実を言ったまでですよ」

「そう」


「……ディアーヌ様」

「ええ」

校舎へ向かう道すがら、人だかりが視界の端にうつった彼女はぱんと扇子を開いて顔の前に添えた。ややあって広場のほうからざわめきが流れてくる。

「ティモナ嬢ね」

この二年の間で起きたことの中には、ディアーヌの知識にある物語と一致する事象が複数あった。学園内で起きるちょっとした事件もそうであったが、一番大きいのは半年前にある少女が編入してきたことだ。彼女は瞬く間に学園の有名人になった。

アレンはすっと横に移動してディアーヌを隠すように歩き出した。実際には細身の彼から大きく膨らんだスカートが見えていたが、幸いにも学生たちの視線は騒ぎの中心の方へ集まっている。


初めてティモナの姿を目にしたときディアーヌは、ビリビリと目の奥のさらに奥に稲妻が走るような激痛に、その場で頭を抱えてうずくまってしまった。物語で王子を始め様々な貴族子女たちと関係を深めていく様を思い出したのだ。ティモナ・オネット。ディアーヌの転落のきっかけになった少女その人である。


冗談じゃない!せっかく”御候補”から脱して王子殿下とこれほど距離がとれているのに、この子と関わって運命が狂ったら、いやもとに戻ったらどうしてくれる。

そう考えたディアーヌはアレンに「会いたくない」とこぼした上で、彼女を徹底的に避けた。記憶のことがなくとも、平民出身と噂される男爵令嬢のティモナとはそもそも接点がなく、また侯爵家の人間として主に下位貴族の子女から人気のある人物と表立ってどうこうというのは面倒ごとの種になる。

「ここまで声が聞こえますわ」

「いつもお元気でいらっしゃる。羨ましいこと」

ひそひそと扇子の向こう側から声がした。足早に玄関を過ぎて人気の少ない廊下に出る。

「困ったものね……」

そばにいたアレンだけがディアーヌのつぶやきを聞き取った。

王子とさえ気兼ねなく会話を交わす仲になったティモナが彼女らしくふるまうことは、ディアーヌにとっても問題だった。

伝統のある家で育った者ほど彼女の溌溂とした声や、夢物語を唱える姿、無礼の数々を受け入れることは難しい。男爵家の令嬢が披露する理想などは下位貴族や商家を焚きつけてしまって都合も悪い。しかし王子やその周辺を押しのけてわきまえよと指導を入れることも恐ろしかったのか、影からの嫌がらせは結局発生してしまったのだ。

「今度は靴が……」

「ティモナ嬢が一体何をしたっていうんだ」

「……あんなことするのって、なあ」

ディアーヌは教室へ向かっているだけだというのにちらちらと視線を感じて、閉じていた扇子をまた開いた。レース越しに冷ややかな一瞥をくれてやる。その後ろでアレンが同じ方向をじっと見ていることには気がつかなかった。

「なんて品のない」

吐き捨てるようにしてその場を後にする。

なぜ問題だったのか。ディアーヌ・ボーヴォワールは過去の行いによって、見事に濡れ衣の終着点になっていたからである。

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