第1章:嵐の去ったあとの隠れ家 〜おにぎりと星読みの予言〜
### 【カイル視点】
「……死ぬ。今度こそ確実に、僕の胃は宇宙の藻屑と化すんだ……」
アルビオン王立学院の隅、きらびやかな魔法使いの生徒たちが決して足を踏み入れない『一般学部エリア』。そのさらに奥にある寂れた裏庭で、僕――名門四シャドウハイド家の次男、カイル・フォン・シャドウハイドは、じっとりと湿った草むらに顔を埋めて行き倒れていた。
制服は泥と硝煙の匂いにまみれ、目の下には死人のような濃いクマが刻まれている。
すべては、あの規格外のバカップル――アルティナお嬢様と狂犬ニケのせいだ。
学年別対抗戦で演習場を更地に変えたかと思えば、今度は王宮の一部を『神話級魔法』で物理的に消滅させる始末。そのたびに、お嬢様は女神のような聖なる微笑みを浮かべて僕にこう宣うのだ。
『カイル、今回も綺麗に「お片付け」しておいてくださいね?』
背後からは、少しでも不満そうな顔をすれば首を跳ね飛ばさんばかりのニケの殺気が突き刺さる。断れるわけがない。僕は血反吐を吐きながら隠蔽工作、情報操作、関係各所への買収と土下座をワンオペでこなし続け、ついに精神と肉体の限界を迎えてここに逃げ込んできたのだった。
もう、このまま草木に還ろう。そう諦めかけた時、頭上からぽやぽやとした、気の抜けた声が降ってきた。
「あれぇ? そこの植え込みに落ちているの、もしかして……人間さんですか?」
人間さんってなんだ。泥人形にでも見えたのだろうか。
重い瞼をこじ開けると、そこには栗色の髪をサイドでゆるく三つ編みにした、小柄な少女がしゃがみ込んでいた。飾り気のない一般学部の制服を着た彼女は、ひまわりのような温かい、濁りの一切ない瞳で僕を覗き込んでいる。
「先輩、大丈夫ですか? すごく顔色が土色ですよ。あの、これ、もしよかったらどうぞ!」
差し出されたのは、竹の皮に包まれた大きなおにぎりだった。
海苔すら巻かれていない、ただの真っ白な塩おにぎり。けれど、差し出されたそれは、ほんのりと炊き立ての温かさを残していた。
僕は吸い寄せられるようにそれを受け取り、泥を拭うのも忘れてガブ、とかぶりつく。
「――っ!?」
口いっぱいに広がる、お米の優しい甘みと絶妙な塩加減。
それは、実家の暗殺一族が用意する毒味済みの冷徹な高級料理とも、お嬢様から報酬として渡される「恐怖の味がする金貨」とも違った。ただ純粋に、食べる人間の健康を願って握られた、まっとうな『人間の温かさ』そのものだった。
「美味しい……。美味しいよ、これ……っ!」
「わあ、よかったです! 実家の定食屋の隠し味で、ちょっとお出汁を混ぜて炊いてあるんですよ」
えへへ、と嬉しそうに笑うハナを前にして、僕の目からポロポロと涙が溢れ出した。
決めた。この子は僕のオアシスだ。あの魔境のような本校舎から切り離された、世界で唯一の、僕だけの絶対防衛圏だ――!
### 【レオン視点】
「おい、そこをどけセレナ! 私の特訓の邪魔をするな!」
一方その頃、魔法学部の自主練用演習場。
僕――名門三アークライト家の嫡男、レオン・フォン・アークライトは、きっちり固めた金髪を振り乱し、大声を張り上げていた。
対抗戦でニケに完膚なきまでに叩きのめされ、私のプライドは一度完全に粉砕された。だが、アークライトの男はそこで腐りはしない。己の未熟を知った私は、次期当主として相応しい実力を得るため、毎日血の滲むような居残り特訓を課しているのだ。
しかし、そんな私の視線の先――特訓場の特等席であるベンチには、ダボダボの大きすぎるローブを纏った黒髪おさげの眼鏡少女、セレナ・フォン・ステラが当然のような顔で座っていた。
名門五ステラ家の令嬢でありながら、いつも眠たげなジト目で本を抱えている引きこもり。それが、私の隣の席のルーティンだった。
セレナは本からゆっくりと顔を上げると、感情の読めない声でポツリと言った。
「レオン君、うるさい。星の瞬きが遮られる。……それと、今日の予知を教えてあげる」
「ふん、ステラ家の不吉な未来視か。今度はなんだ!?」
「今日、レオン君は特訓の帰り道、派手に足をもつれさせて、前転しながら水溜まりに突っ込むわよ」
「な、何だとぉ!?」
バカな。この私がそんな無様な転び方をするはずがない。
しかし、彼女の未来視の的中率は百発百中だ。私は冷や汗を流しながら、「ならば絶対に水溜まりのないルートで帰ってやる!」と躍起になって特訓を再開した。
――だが、レオンは知る由もない。
セレナの眼鏡の奥の瞳が、ほんの少しだけ悪戯っぽく細められていたことを。
ステラ家に伝わる未来視の魔法には、一族の者しか知らない絶対の秘密がある。
それは『自分が強い関心を持ち、好意を抱いている相手ほど、未来が鮮明に視える』という性質だ。
(……今日もレオン君、私の予知を回避しようとして、変なステップ踏んでる。可愛い)
セレナは本で口元を隠しながら、小さく笑う。
素直に「頑張ってね」と言えない彼女にとって、未来視を使ってレオンの行動を先読みし、彼をドタバタと振り回すことだけが、唯一の、そして不器用すぎる愛情表現(構ってちゃん)なのだった。
### 【幻獣アッシュのツッコミ】
そんな二組の様子を、アルティナの影の中から(主に現実逃避のために)覗き見ていた白いモフモフの最上位幻獣アッシュは、念話で盛大な涙を流していた。
『おいおいおいおい、なんだこのマイナスイオン溢れる空間は!!!
こっちの胃痛持ち暗部は、手作りおにぎりの温かさだけで聖母に出会ったような顔して泣いてるし! あっちの元かませ犬金髪お坊ちゃん(レオン)は、素直になれない引きこもり眼鏡令嬢の「構って予知」に全力で右往左往させられてるし!
なんなんだよこれ、健全な青春すぎて画面が眩しくて直視できねえわ! 本編の主役コンビのせいで、俺の恋愛観が「愛=精神調教と即死級監禁」に脳がバグりかけてたから、こういう普通の甘酸っぱいラブコメを見ると涙が出るほど安心するわ! おいお前ら、一生そこでイチャイチャして俺の荒んだ心を癒やしてくれ、頼むから!!!』
上空でアルティナとニケが、またしても「二人で手を繋いだら出力が上がっちゃいました」的な物騒な魔力の光を放ち始める中、アッシュは必死にスピンオフの優しい世界に魂をダイブさせるのだった。




