13 クレマンの没落
イネスと話していたことで、クレマンは会議に少し遅れてしまった。
ドアを開けると、先ほどとまったく違う空気が流れていた。会議室は静まりかえり、皆がクレマンを見ていた。
その視線は軽蔑を含んでいるものもあれば、揶揄も含まれていた。
それは休憩に入る前にセラフィーナに向けられていたものだった。立場が逆転した状況に、クレマンは戸惑いを隠せない。
いぶかしみながらも、クレマンは元の席に座る。会議を始めようと口を開こうとしたとき、意外な人物が先に声を出した。
「みなさん戻りましたね。では会議の続きを始めましょうか」
フィリップが場を仕切る。多少おどおどとしているが、今までと違う彼の姿に、クレマンはまたしても違和感を感じた。
「先程、セラフィーナ様が財務部の保管庫にあった資料を持ってきてくださいました。歴代の王太子と王太子妃の予算についての資料です」
示されたのは、机の上に並べられた膨大な資料。
クレマン自身も目を通したことがある最近のものから、存在すら知らない古びたものまであった。
フィリップは続ける。
「王太子と王太子妃の予算は建国以来同額だと判明いたしました」
それに、クレマンが呆れながら答える。
「だから何だと言うんです?」
セラフィーナが答える。
「王太子と王太子妃の予算は同一のもの、というのは建国以来の『慣習』です。それは、王妃を輩出してきた家の愛でもありました」
そう言いながら指し示した資料。そこに、かすれた文字で一文が記載されていた。
『王太子・王太子妃の予算は同額とし、互いの権威を脅かしてはならない』
それは、法律でも条文でもない一文。
けれど、とても意義深いものだった。
「王家に嫁ぐ家は国の中でも選りすぐりの家。その娘を守るために当時の主要貴族達がこの一文をいれるように交渉したのでしょう。あなたはこれを侵害したのですよ。一介の財務部の一人が、この国の主要貴族と王家が決めたものを覆したのです」
セラフィーナが告げた言葉に、クレマンは冷や汗が止まらなくなった。
クレマンの家であるシヴィル家は代々宰相として起用されてきたが、王太子妃を排出する家とは歴史や家格が少し落ちる。
それをクレマンの独断で権利侵害してしまっているとしたら……。
だが、その一文は法律ではない。クレマンの頭にたたき混まれた知識の中には該当しなかった。
「これは建国当時の取り決めでしょう?法で決まったものではないはずだ」
これ以上は反論出来ないはずだと思ったが、セラフィーナは冷静に返す。
「えぇ。法律でも無い、契約書としての体裁も成っていない。……けれど、それを積み重ねた実績は別よ」
「実績?」
「慣習法って知っているかしら?」
「知らないはずがないでしょう。慣習が長期間繰り返されれば、それが法的なルールに……」
そこまで言って、クレマンは口をつぐんだ。
セラフィーナの言わんとしていることを察してしまったからだ。
長期間に及ぶ慣習は、法的なルールにも等しくなる。
それが、地域や共同体で長く守られているものならば、法律的な義務にもなるのだ。
王太子と王太子妃の予算を同額にすることは、王城で建国以来続いてきた慣習。それを、名門貴族が働きかけ、歴代の王族や財務部が守り続けて来た慣習。
それが、いま破られてしまった。
会議室が再び静まりかえる。
段々と、それに荷担した自分たちの罪がどのくらいになるのかを考え始めたのだろう。
皆が顔を見合わせて空気を伺っている中、カサリと小さく音がした。
クレマンは呆然とするなか、反射的にその音の方に視線を向けた。
セラフィーナの手元にある資料がかすかに動いた。
部屋の窓やドアは閉めきっていて風は入ることはない。人の動きで起きた風でもないので、それを気にする状況では無いにも関わらず、妙に頭に残った。
セラフィーナはその動いた資料を手にとって、ぺらりとめくり。
そしてクレマンに微笑みかけた。
それが、また自分に何かが仕掛けられようとしているのを予感した。
資料には、先ほどのものと違い、ここ最近の財務状況が記載されていた。予算が修正されたり移動したりといった内容が記載されていた。
それはクレマンがイネスのために過去していたものだった。
イネスの家の領土が栄えるように周辺の貴族の家の予算を減らしたもの。
彼女が学園で他の令嬢からやっかみを受けたときも、その令嬢の家と同じ家業をしている家を優遇した。つまり同業ライバルを優遇するという嫌がらせをしたのだ。
それが、複数の資料を比較するとわかるようになっていた。
膨大な資料の中から、セラフィーナはそれを正確に選び抜いた。
「これはクレマンが関わってからの予算の資料から一部抜粋したもの。フィリップ、見てくださる?彼がとある家を優遇している内容が読みとれるはず」
セラフィーナが示した内容を元に読めば、資料を読み慣れた者であれば読み解ける。フィリップはそれを隣の者に渡し、一気に回覧が進むと別のざわめきが広がっていく。
「あの時、隣の領土が急に羽振りが良くなったのはこれか……」
「母方の家がレルミット家と競合していたが、突然調子が悪くなったのは……」
つぶやいた者たちは資料から顔を上げてクレマンをにらみつける。
その恨みの目はどんどんと増えていった。
クレマンがイネスのためにした行動が、周り回って無関係の家を不幸にしていたことが発覚したのだ。
セラフィーナが資料を回覧しきった頃に話す。
「これは様々な方法である家を優遇するために行われてきたものです。その中心にあるのは……」
そこまでセラフィーナが言うと、会議室のどこからかささやくように言われた。
「レルミット家」
セラフィーナは微笑んで後に続ける。
「そう、この中心にはレルミット家がいる。彼女の友人であるクレマンさんがいろいろ小細工をしたのでしょうね。そうでしょう?」
その問いかけに、クレマンは白を切ろうとする。
「レルミット家のため?違いますね。その時々の情勢に即して予算編成をしただけです。手続きも正当に……」
「正当?違うでしょう。これに見覚えがあるはず」
セラフィーナが二つの書類を掲げる。
それは前年度の予算申請の書類だった。
同じ内容、申請日も同じ。だが、金額と作成者だけが違った。「クレマン・シヴィル」そして、もう一つは「トニー・フェイユ」
その名前があがった時に、皆息を飲んだのがわかった。
「この資料はどちらも申請まで済んでいるけれど、資料と照らし合わせて通っているのはクレマンのもの。でもおかしいですね。同じ日付で、同じ申請がされているのはどういうことなのでしょう?通常、訂正があった場合は、履歴を残すために申請書類に上書きし、修正内容を赤字で記載するはず。なのに、これは出し直しをしている」
セラフィーナは一呼吸おいてクレマンに言った。
「不正はないはずでは?」
「そ、それは何かの……」
「だから、間違いがあったとしても、申請書が二枚あることはおかしいんでしょ。それに、このトニー・フェイユという名前、あなた達が業務を押しつけて、クレマンの横暴をすべて背負わせて自ら死んだ男の名前よね」
思わぬ名前が出て、皆顔を見合わせて、ばつの悪い顔をしている。
「彼は優秀で、人一倍仕事をしていた。能力が高かったけれど下級貴族の出のために評価されず、いいように使われていた。クレマンがやってきてからは、仕事をかき回す彼のおもりを押しつけて、まともに眠れなくなり……そしてこの会議室で命を絶った」
そう言うと、セラフィーナは天井を見上げる。それはちょうどトニーが首を吊ったところだった。彼女の視線が左右に揺れる。
それがまるで吊されたトニーの体を追っているようで、皆がおぞましさから鳥肌をたてた。
「つまり、この国の財務部はルールなんてないんだから、王太子妃の予算を修正することなんて些細な問題ということでよろしいかしら?これまでのことを明らかにして精算するなら話は別ですけど。でも、あなた達にそんな清廉な気持ちはないでしょ?人を一人殺してるんだから」
セラフィーナはフィリップに言った。
「じゃあ、後はよろしくね」
それにフィリップが眉を困らせ、涙をためた目でセラフィーナを見た。きっと、彼の事なかれ主義ではこの状況を解決できないと訴えているのだろう。
だが、そんなことは知ったことではない。
「大丈夫よ。あなたは今まで目の前で起こってきた困りごとに真正面から向き合えず、空気を読んで処理してきた。だから、今回も同じようにすればいいの」
ずいっと涙目のフィリップに詰め寄って命じた。
「どんな空気かはわかるでしょう?」
そう言って、セラフィーナは会議室を後にした。




