第215話 埋まらない溝
家に近づくと、肝心の子供がいない。
それもそのはずで、先ほどの軍人の部下の方の子供だからだ。
「ま、まってー!」
走って追いかけてきたその子は回り込んでから玄関の扉の前に立ち、行く手を遮る。
「ドーセ治せなんだから帰って!」
必至な子供の表情は、治して欲しいという気持ちを押し殺しているのが良く分かる。なぜなら、今まで治った事が無いのだから、希望を持ちたくないのだろう。
太郎は少し心が痛い。
「医者は確かにおらんが症状が解らなければ治せるものも治せんぞ。」
確かに。
「ヤブイシャはみんなそー言うよ!」
・・・確かに。
「おじゃましまーす!」
さすマナ。
もう家の中に入っている。
「かってにはいるなーっ!」
「悪いの、あ奴を止める事はわらわ達には無理なんじゃ。」
子供達が不思議そうに見ている。
先ほどのように少し怖かった雰囲気は全くなく、困った表情のままを真っ直ぐに受け入れた。
「・・・で、なんでみんな勝手に―――?!?!」
喚く子供は無視されて、他の子供達も入っていくので、太郎も後ろを付いていく。中に入ると、ベッドに横たわる女性がいる。黒い肌の所為か金髪が余計な程に目立つ。肌が白かったらもっと美人に見えたかもしれないのは、俺の偏見だろう。
「なんか母親が病気になるのって良く有る話なの?」
「どうなんだろうね?」
「子を産んだ後に体力が落ちて病気になるという話は、良く聞く話というほどでもないが、珍しいというほどでもない。」
中途半端な回答をするナナハル。
「それにしてもこの肌の黒さは変だね?」
「わかるか、太郎よ?」
「なんていうか、黒ずんでいるようで、良い感じはしないね。」
「そうじゃ、これは黒死肌じゃよ。」
「コクシハダ?」
「全身の肌が真っ黒になって体力が衰えていく病気じゃ。」
「治るの?」
「高級ポーションを毎日飲み続けば治る。」
「とーちゃんは毎日買ってきてたんだけど、カジノで大負けして買えなくなったんだ。それで別の医者に見せたんだけど、栄養の有るモノを食べろって・・・そんなお金ないのに。」
完全にギャンブルが悪い。
・・・とは言えない。
「ギャンブルで勝った日にやっと買えるほどの値段じゃろうな。」
「高過ぎるんだよ。とーちゃん毎日怒ってたし。」
兵士の給料では買えないだろうから、ギャンブルで稼いできて買っていたらしいが、良く続いたな・・・。スーが聞いたらコツを教わろうとするかもしれない。
「なにしてんの?」
マナが寝ている母親の顔をペタペタ触っている。
「これ、わたし、治せそう。」
「へ?」
「なんか、この黒いの動かせるのよ。」
「どういう事じゃ?」
「これ、植物の毒みたい。」
「毒って・・・マナは毒平気なの?」
「植物なら平気よ。」
「何か変ったもの食べたらなる病気なのかね?」
「そんな変なモノなんか食べてないよ!」
そりゃそーだ。
ちゃんと母親がいて変なモノを食べるなんてあり得ない・・・とも言えない世界なんだよなあ。
マナが急に寝ている母親の服を脱がし始めたので慌てて後ろを向く。
「なにしてるんだー!」
近付こうとした子供を止めたのはナナハルだ。
「治せるんじゃな?」
「うん。」
マナが露わに成った胸の谷間に顔を近付け、そのままくっつけると、頭が谷間に吸い込まれるように入っていく。子供達はそれを見て驚いているが、太郎は何も見ていない。
マナの身体がどんどん黒くなっていくと同時に、黒ずんだ母親の肌が白くなっていく。1分と掛からないうちに綺麗な真っ白になると、マナの方が真っ黒になった。
「太郎見てみてー!」
「ん?んんっ?!」
振り返ると真っ黒になったマナが居るのだが、服も髪の毛もまっくr・・・直ぐに元に戻った。
「あー、吃驚した。」
「死んだ植物みたいな感じだったけど、吸い出す事は出来るから大丈夫だったわ。」
「マナの黒いのは何で治ったの?」
「そりゃ私は生きてるから。」
「詳しく分からないな。」
「私も説明できない。」
母親の目が開いた。むくりと半身を起こすと、自分の手を見る。
腕を見る。
白くて綺麗な自分の肌を見て、泣き出した。
「生きてる・・・。」
押さえていた子供の頭から手を離すと、飛び付いた。
「かーちゃん!」
親子が抱き合って泣いているのを見ていると、共鳴するように子供達も泣き始め、あまりにもウルサイので近所の大人達がやってきた。
「あ、アンタたち何やってんだ?」
そこには病気になる前の母親の姿があり、抱き付いている子供が離れると、丸出しの胸に気が付いた母親の叫び声が響き渡った。
「ありがとうございます。なんとお礼を言えば良いのか分からないのですけど。」
「気にしなくていいのよ。」
子供の姿のマナに頭を下げる母親の姿を見て、母親の息子以外の子供達も、マナを見る目がくるっと変わった。ずっと寝ていて動かなくなっていたのに、今は動き回って子供達にお菓子を作ってあげようとしたのだが、何もなくて用意できたのは水だけだ。もちろん、この水はこっそり太郎が入れた水だ
「夫が色々と手を尽くしていてくれたみたいのだけど、家みたいに貧乏ではどうしようもなく・・・。」
キョトンとしているマナが太郎に問う。
「ねぇ、ビンボーって大変なの?」
「俺もそういう時期があったから分かるけど結構辛いよ。風邪ひいても薬も飲めないから無理して仕事に行った事もある。」
母親の綺麗な白い肌が青ざめる。
「あ、あの・・・お金とか・・・。」
「欲しいの?」
マナの返答は素朴で良い。
「マナは医者では無いし、治したのも気まぐれなんで気にしなくていいですよ。」
太郎が言うと保護者か父親にでも見えたのだろう。
素直に受け入れたが、これで治ったのなら今までの治療は何だったのだろう。
「やっぱり、貧乏なのは金持ちに良いように使われる運命なんですかね・・・。」
「薬が騙されて買わされたかどうかは知らないですけど、アナタの夫は無駄な苦労に身を費やした訳じゃないですよ。」
「どういう意味でしょうか?」
咽喉に渇きを覚えたので、用意した水を飲むといつもより美味しくてびっくりする母親。子供達も不思議そうに飲んでいる。
「この水どこから持って来たの?」
「知らなーい。」
椅子は三つしかないので、座りきれない子供たちはベッドに座っている。座っているのは太郎とナナハルと病み上がりの母親で、マナはいつも通り太郎の肩に座っている。行儀はあまり良くないので子供達に真似をして欲しくは無いのだが、恩人である相手に言う事ではない。
「最近できたって聞いたお店で美味しいパンが食べられるのを楽しみにしていたのですけど、この子が持ってきて食べさせてくれたのは覚えているんです。お金もないのに不思議だったのですが・・・。」
大人が目の前に居る事で理解したのだろう。
「あなた達、どうしたの?」
「ぬ、ぬすんでないよ!」
確かに盗んではいない。
「どちらかというと無理矢理よねー。」
母親の表情が曇る。
そして、凄く優しい眼で自分の子だけではなく、周りの子供達も見渡した。それは、ナナハルが驚くほどの母親らしさで、これが母親というモノかと感嘆するほどだった。
「ところで、あなた方はどうして家に?」
自分を治療する為だけに来たとは思えない。
それを察して応じるのはナナハルで、太郎とマナには荷が重い。
「子供達が店の娘を困らせるのでな、その理由を知りたかったのじゃ。お主が病気でそれを治したのは本当にただの偶然じゃ。そんな事をして回る為に来たわけではない。」
「・・・ではどうして?」
「みんな貧乏で困っておるのなら解決しておくのは無理にしても、そのヒントくらいは有っても良いと思うのだが・・・どうやらそれも無理そうじゃ。」
それは、周囲の人が見に来た時にナナハルが思った事の一つで、この家の周囲の者達もあまりお金を持っている風には見えない。なにしろ、家もほぼ四角で何個も同じモノが並んでいる貧民街で、着ている服もみな似たようなモノだ。
「ココは兵士でも特別な任務を持たない、いわゆる雑兵扱いの者ばかりが集まっていて、収入は乏しく、夫は警備の仕事を頂けたので少しはマシだったのですが・・・。」
「お主が病気に成ったという訳か。」
「そうです。」
これでは解決しない。
「びんぼーで困ってるなら兵士なんてヤメテ畑耕せばいいじゃない。」
「そんな事出来る訳ないだろ、モンスターがいっぱいいるのに!」
「倒せば?」
「半分はマナの言う通りだと思うけど、勝手に畑って作っていいモノなの?」
「どうせ余ってるじゃない。」
「畑を作って収穫があると、収穫量に対しての納付が有るので・・・。」
「じゃあみんなで畑やったらいいよ。」
「おぬしら本気か?」
ナナハルが呆れている。
「みんなが働けるならその環境があった方が良いんじゃない?」
「そもそもそんなつもりなら村で働かせた方が楽じゃ。」
「あー・・・。」
「あの・・・あなた達は一体・・・その、失礼な言い方ですが、何者なんですか?」
母親の質問に注目が集まる。
「さっき言った店のオーナーじゃ。」
「え・・・?!」
子供達も驚いている。
「じゃあ、あの女のとーちゃんなの?」
「ちゃんと名前で呼びなさい。」
母親が嗜める。
「父親ではないね。」
「確かあの店って・・・ずいぶん前に潰れていた筈で・・・。」
「太郎の悪い癖じゃ。今回はそれを体験してみようとしたのが間違いだったという訳じゃ。」
「その病気って、急激に悪化するモノなんですか?」
「え?えぇ、人によっては数日で死んでしまいます。私は運よくながらえましたが。」
「それじゃあこの病気が多くの人に知られる事は無いってことか。」
「太郎は何を考えておる?」
「危険な病気なのに治療薬ってないんだね?」
「さっきも言っておったが、良い栄養を摂れば自然治癒すると。」
「そっかあ・・・普通は掛からない病気って事かぁ。」
子供達が悲しい目をする。
マナが太郎の肩から降りると、子供達の頭を一人ずつ丁寧に撫でて回ると、少し笑顔になった。マナのこういうところは凄いと思う。
その後は特に話す事も無く、母親には凄く丁寧に感謝されたが、それ以上の事は何も出来ない。他の子供達もそれぞれの家に帰るのをナナハルと一緒に廻ったが、他の家も似たような貧乏さで、子供達は正直に母親と父親に説明し、何故かナナハルに謝罪していた。俺とナナハルが夫婦で、それは間違いではないが、マナがその子供だと思われた事をマナが否定しなかった。
代わりというと少し変だが、マナは考えながら呟いた。
「ビンボーって大変なのは良く分かったけど、ビンボーがみんなの心も寂しくさせてるのね。」




