第211話 計画的撤退
太郎はいつも通りの朝を迎えていて、その日ものんびりと起きた。みんなの集まる食堂へ向かい、椅子に座るとエカテリーナの朝食がスッと並べられる。
「おはようございます!」
「ん、おはむぐぅ。」
食べながら返事をする太郎に不快感を示す者はいない。近くに子供達が居ないので太郎も気が抜けているのだ。
「朝から済みませんが少々お耳に入れて頂きたい事がありまして。」
丁寧な口調は太郎を不安にする。それは丁寧で有る程、不幸な出来事が舞い込んでくるという前触れなのは、元の世界と変わらないからだ。
「何か問題でも?」
「大問題です。」
説明を聞くと、コルドーから兵士が向かってきているという事だった。教えてくれたのはカラー達で、仲良くカラーと一緒に暮らしている兵士が森に人がいっぱい居ると教えてもらったらしい。
「我々で対処いたしても?」
「んー・・・それは俺に言われてもなあ・・・。」
太郎に兵士を動かす権限は無い。もちろん頼めば動いてくれるが、生死に関わるような決断は控えたい。
「太郎ちゃんは何もしなくても解決に向けて活動してる子がいるわよー。」
入って来たのは魔女のマリアだ。
子?
「グリフォンの事よー。」
「何でグリフォンが?」モグモグ
「事情については知らないわー。でも、太郎ちゃんに迷惑を掛けずに解決しようとしたら、あれほど好都合な存在はいないと思わないー?」
「意味が分からないけど。」
さり気無く太郎の隣の椅子に腰かけたマリアは、太郎が食べている途中のパンとスープを自分の前に移動させ、気にせずに食べ始めた。
もちろん、太郎によってすぐに元の位置に戻されるのだが。
「簡単な事じゃない、この村が調査されたり、他の国が入ってくるのが嫌なのよー。」
エカテリーナがスープとパンを素早く持って来たので、太郎の朝食は狙われなくなった。すまんね、エカテリーナ。
「別に悪い事をしないんなら来ても構わないけど・・・。」
「魔王国以外の人がこの村を見たらどう思うかしらねー?」
「そんなにイメージ悪いかな・・・。」
「その逆なんだけどー。」
「逆?」
太郎が頭の中で整理する―――
頻繁にやってきて太郎に勝負を挑みに来るドラゴン。
お忍びでやってくる魔王様。
いつの間にか神社に似た大きな建物に住んでいる九尾のナナハル。
と、その子供達。
美男美女揃いのエルフと魔王国の兵士達の住処。
雄殺しが村のあちこちで目撃でき、ワルジャウ語を話すカラーとケルベロス。
巨大に成長した世界樹―――
「こんな平和な村は無いわー。」
「そういや鉄道も出来たんだったね、魔王国まで伸ばす計画らしいけど。」
トロッコを人力で移動させているだけの鉄道だが、その運んでいる物質は高級品ばかりだ。
「そうねー、平和過ぎて不気味なのよねー。」
「ココにずっと居る所為で感覚が良く分からないんだけど、そんなに変かな?」
この場合の太郎の無自覚さは非難できない。何故なら、確かに原因の一役を買ってはいるが、世界樹であるマナの影響は大きいのだ。マナが居なければ太郎はこの世界に来る事は無かったかもしれないが、それならそれで、マナが居るからこそ今の自分があるからだ。
もっとも、先祖が太郎の世界に避難する事も無かった事に成る訳だが・・・。
「天使も来たし、そろそろ本命のドラゴンがやってくるでしょうねー。」
「嫌な未来予想だね。」
「予想でも予言でもないわよー。当然のことだからねー。」
「それで、その前にやってくる兵士の団体様は侵略目的なの?」
今度はカールが応じた。
「調査目的なのは間違いないでしょう。」
「あー・・・以前ポチが対処してくれたような事をグリフォンがやってくれるって事か。」
「流石にケルベロスだけでは無理でしょうから。」
「グリフォンだと強過ぎない?」
「それは・・・どうなんでしょう?」
「そのくらい上手くやってくれるわよー。」
と、いう事で太郎達の会話は終わった。
本来ならもっと深刻になる筈であったのに、マチルダとグリフォンがやってくれるというと、安心してしまう太郎だった。
森の中でグリフォンと遭遇してしまった混成部隊は悲惨な状況だった。その巨体が一歩歩くだけで大地は揺れ、木々はメキメキと音を立てて倒れていく。反撃を試みようにも、剣が届くほどに近づける者はいないし、魔法を放っても届く前に消えてしまう。
唯一対抗できる可能性があるとすればグレッグだけだが、彼の事を勇者だと知っている者はこの部隊にはいない。優秀な兵士だとは伝わっているが、それでも一般常識レベルで強いと思われている程度なのだ。
「そっちに逃げると帰れなくなるぞ、こっちに来い!」
グレッグとその部下達が率先して他の兵士に声をかけ、四散してしまうのを辛うじて防いでいるが、それでもすべてを連れ戻せる訳も無く、無謀にも突撃する者達もいて、グリフォンは注意深く加減をしながら、翼をはばたかせて作った風で吹飛ばしたり、弱めの炎を吐いて、木を焦がしつつ逃げる方向を誘導していた。
グリフォンの動きが鈍い事はグレッグだけが気が付いていて、この冷静な判断力は、上司の言葉を信頼してのことであり、何も事情を知らなければ対処しろという方が無理な話だった。
「良い感じに失敗して逃げるだなんて、副官はそれで良いんですか?」
「良いんだ。それに、アレに勝てるつもりなのか?」
質問したのに、逆に問われた部下はグリフォンを見る事無くはっきりと言った。
「無理です、逃げましょう。」
「そうだ、それでいい。マリア様も俺達が一人でも欠けて帰れば悲しむからな。」
あの美人な上司を脳裏に浮かべると、元気とやる気が湧く。それは所属している兵士達の共通の想いだ。
「お前たち余裕が有るんなら崖を登ろうとしている奴らを止めてくれ。」
「は?!」
「あいつら崖の上から飛び立ってグリフォンに突撃するらしいぞ。」
「どうやったらあんな化け物に攻撃が当たると思うんだ・・・。」
「届く前に叩き落とされるのでは?」
「当然だな。」
見えるだけで声は届かない。どうして止めようか悩んでいると、急に向きを変えたグリフォンが、広範囲に高熱の息を吐く。
「あちちっ・・・熱いがギリギリ耐えられるな。」
「マリア様から貰った防具のおかけですね。でもなんで焼き殺そうとしてこないんでしょう?」
「森を汚したくないからだろ。」
適当に返答しておいて、崖から滑り落ちた兵士達を回収に向かう。すでに3割程度が戦線を離脱したが、どこに逃げれば良いのか分からない兵士と、どうせ無理なら突撃しようとする脳筋連中を可能な限り助けるのが今回の目的だと理解しているグレッグは、マリアから貰ったとっておきの道具を使う時期を考えていた。
「手詰まりで困ったらこれを遣いなさい。」
「これは?」
受け取ったのは手のひらに収まらない程度の丸い玉だ。
「時間稼ぎには使えるから、これをできる限り天に向かって投げるのよ。」
「投げるだけですか?」
「えぇ、投げればもの凄く光るから。」
「光るだけですか?」
「そうよ。」
「わかりました。」
そして、グレッグはそれを投げるのは今だと判断し、思いっきり天に向かって投げた。数秒後に青空が白い空になるほどの輝きを放ち・・・空へと注目が集まったところに、グリフォンが本気で―――実は手加減をしているが、見る者の殆どが物凄い炎だったと後に語る―――広範囲に真っ赤な炎を放った。
無駄に持ち合わせていた戦意は消え、足と腰が自分の意思を無視して動かなくなり、先ほどまで見えていた巨大なグリフォンの姿は見えなくなった。
実際にはまだ居るのだが、燃え上がる炎で視界を奪われているのだ。魔力を帯びた炎は森を燃やすように覆い尽くしているのだが、何故か枯れ木すらも燃やすことなく、兵士達の頭上数メートルに迫ったままの状態でいつまでも燃えていた。
突撃してくる兵士に困ったグリフォンは僅かな突風を起こして、こまめに一人ずつ対処していたのだが、崖を登ろうとすることに気が付いてイライラしていた。殺しても構わないが、一人でも殺すと大袈裟になって、更に大規模な兵団が送られてくることは容易に想像できる。
「タローの役に立つんだから完璧にしないとな。」
という言葉を常に心にとどめながら、丁寧に対応する。
「こいつらは少しお仕置きした方が良いな。」
ふーっと吐き出した息に熱がこもる。耐えられなくなった兵士達が登ろうとした崖から落ちていくのを見て、息を止める。
「ん?」
小さい玉が飛んで来たと思うと、突然眩しいほどに輝く。
「合図か・・・しかし眩しすぎるな。」
丁寧に丁寧を重ねて魔力を調整して、広範囲に炎を吐く。それは森を燃やさない事と、逃げようとする兵士達を誘導するのが目的だ。多くの視線が集まったところにこの炎を見れば戦意も失うだろう。注目度なら間違いなく集まっていたから。
「ああ、そっちじゃない・・・ふっふー。・・・よし、あいつら上手くやってるようだな。」
少しずつ姿を縮め、炎が広がるのと逃げて行く兵士達から視界が遠のくように誤認させる為の技術で、マリアからそうするように教わっていた。グリフォンは理解できなかったが、効果は抜群で、逃げる兵士達が振り返って空を見上げると、少しずつ迫ってくる炎と、小さくなっていくグリフォンを見て、自分達は巧く逃げていると思い込んでいた。
それが現場の誰の思惑でもない、マリアの掌の上だとしても。
砦まで辿り着くのに不眠不休で三日。食糧も無く、手当てをする魔力も無く、砦では欠食児童さながらの光景が丸一日続いた。それは逃げ切った安心感と、忘れていた空腹感を思い出したからで、マリアの予定通り、死者は一人も出す事は無かった。これを奇跡だと思えるのはグレッグだけで、正当に評価しても有り得ない作戦だった。
逃げる事が前提な戦闘などとは・・・。
更にコルドーまで10日。帰ってきた兵士達はグリフォンの恐ろしさを伝えて広げて、商人達はそれをさらに多くの人に話す事に成るだろう。当然、コルドー5世には大量の報告書が届き、あの村に近づこうとすることは遠慮してもらいたいという嘆願書まで届いていた。
「やはり討伐するべきだったのか。」
と、関心はグリフォンに向き、村の事を一時的に忘れてしまっている。ここまでがマチルダの作戦で、暫くは安心と言ったところだ。グレッグ達が国に帰るにはまだ日数が必要であることから、グリフォンの所へと向かうと、疲れ果てて座り込んでいるグリフォンが仰向けで寝ている。
「上手くやったわね。」
「当り前だ!・・・と言いたいところだが、あいつらは巧く逃げたのか?」
「私には優秀な部下が居るから。」
「我は部下では無いぞ。」
「そうね。」
部下に出来たらもう少し楽になるとは心の中で閉まっている言葉だ。
「タローはもう知ってるんだろうなあ。」
「姉さんが気が付かない筈ないから。」
「わらわも知ってるぞ。」
「あら、ナナハルじゃない。」
「というか、カラー達にもバレていたぞ。」
「あの鳥に隠すなんて無理よ。おしゃべりだもの。」
「それにしても、お主の本心が知りたいモノじゃが?」
「ちょっと家の子が無駄な知恵を働かせた所為でみんなに迷惑を掛けそうだったから・・・ね。」
要約され過ぎていて伝わらない。
「コルドーもガーデンブルクも、まだ戦争をしたいようじゃな。」
「宗教を広める目的だけなら良かったんだけど。」
「種を蒔き過ぎじゃ。それも雑草なら刈り取らねばならんぞ。」
「これからは刈りに回る事にするわ。」
「まだ他にも有るのか?」
「蒔き過ぎてドレの事やら。」
二人の会話をクエスチョンマークいっぱいの表情で聞いていたグリフォンが力なく叫んだ。
「何の話をしてるんだ、分かるように話せ!」
マチルダとナナハルは、珍しく同意した。
「めんどくさい。」
「面倒じゃの。」
グリフォンはマチルダから受け取ったマナポーションを飲み干して、直ぐに村に帰っていく。二人は追随するように追いかけた。
「太郎に説明せんとの。」
「えぇ。」




