第二話『猫はサンタに憧れる』
――暖かいお部屋にはきれいに飾られたクリスマスツリー。
テーブルの上にはご馳走が並び、お父さん、お母さん、お姉ちゃんに弟くん、そして…ボクが一緒に居る。
幸せなぬくもりと、甘ったるいお母さんが作ったクリスマスケーキの香りに包まれた空間。一年で一番幸せなひと時、それがクリスマス。
……ああ、ずっとこの儘、幸せな時の中に身を委ねていたい……
「グリはずっとうちの子だよ」
抱き上げられる手はお母さんの手。そしてお父さん、お姉ちゃん、弟君へと抱っこリレーが始まった。
ずっと一緒…だからボクもずっと一緒にいるよ。大好きな家族といつまでも、いつまでも――
……っ。
不意にひやりと冷たい風に背中を撫でられて目が覚めた。まだ頭が回らないぼんやりした瞳で辺りを見回した。
目の前に並んでいたご馳走も、綺麗なクリスマスツリーも、そしてボクを包んでくれていた家族も消えていた。さっきまであんなに近くに居た筈なのに。あんなに暖かい空間だったのに今は冷たい風がボクの体を包み込む。
古い材木置き場の隙間から見上げる空は鉛色。黒い鼻先を冷たい雨粒がぽつぽつとしとらせた。
……また夢を見ていた。いつもクリスマスの季節になると必ず見る幸せな夢……
ボクは背中を伸ばして隙間から外に出てみた。道を歩く小さな男の子とお母さん。男の子の手には四角い箱。お母さんの手には沢山の食べ物が入った袋がぶら下がっている。
「お母さん、僕、お料理お手伝いするね」
男の子は眩しそうな眼差しをお母さんに向けている。
「あらあらたっくんは偉いのね。今夜はクリスマスイブだから沢山ご馳走を作りましょうね」
「ねえ、今日の夜寝たらサンタさん来てくれるかな」
「たっくんがお手伝いを頑張って良い子にしていれば、きっとサンタさんはそれを見て来てくれるわよ」
お母さんと小さな男の子は嬉しそうに話しながらボクの前を過ぎて行った。
……サンタさんか。そうだ、サンタさんはクリスマスイブの夜、眠っている間に来てプレゼントを置いてくれるんだっけ……
ボクは良いことを思いついた。
……サンタさんに今年はお願いしてみよう……!
でも、どうやってお願いすれば良いんだろう。
ふらりと町の中を歩く。綺麗なクリスマスカラーの装飾と、香ばしい鶏を焼いた香りや、ケーキの甘い香り、急ぎ足で家路に向かう人々はどこか嬉しそう。幸せな家がきっと待っているんだ。
……ボクも人間に生まれたかったな。そうすれば家族になれかもしれないのに。あの暖かい家族の中にずっといられたかもしれないのに……
ショーウィンドウに移る姿は、少し汚れた灰色の毛に灰色の目をした痩せた猫の姿。せめて白い毛なら誰か拾ってくれたかもしれないのに。
「あなたは灰色の綺麗な毛並みの仔猫ちゃんだから、グレにしましょう。フランス語で灰色の意味を表すのよ?」
黒い鼻先に白い指先を宛てられて、まだ掌に収まる僕を優しく包み込んで毎日ミルクを飲ませてくれたお母さんやお姉ちゃん。
「グレ!ほら、暖かい座布団と毛糸玉だよ?」
そういって遊んでくれたのは弟くん。
「沢山食べて、大きくなるんだぞ?」
少し大きくなってから毎日ボクのご飯を作ってくれたのはお父さん。
お父さんはが仕事で遅く帰って来ると、ボクは毎日どんなに遅くても出迎えて「おかえり」と出迎えたものだ。その度、お父さんはボクを抱き上げて頬をよせてきた。お父さんの匂いがした。
でも、ある日それが突然消えてしまった。
もう何年前になるだろう。突然、ボクは一人ぼっちになってしまったんだ。
広すぎる家は寒々としていて、やがて知らない大人達がボクを追い出した。
「もうこの家は君の家じゃない。しっし。さっさと出てお行き。新しい買い手が決まったのだから」
新しい買い手の人がボクを飼ってくれるのかな、と少し期待していたけれど大外れだった。何故なら新しい買い手の人は猫アレルギーだったからだ。
あれからボクの家族は遠い遠い外国へお引越しをしたのだと知った。近所に住んでいたノラ達が噂をしていたのを偶然、聞いたのだ。
――「グレ、捨てられたんだってさ」
――「可愛そうなグレ。あんな毛並みじゃねえ…」
――「白い猫なら綺麗だから連れてってもらえていたかもしれないのにさ」
――「灰色の毛なんて、猫の中でもみすぼらしいよ」
ボクは怖がりだったからテリトリーから出る事はせずに、元の家の近くに身を置く事にした。もうノラ達は遊んでくれない。
きっと、飼い猫だった頃は家族がみんなにおやつをくれたから、それでみんなボクと遊んでくれていたんだ。
何処からか綺麗な讃美歌が聞こえる。去年も聞こえた。その前の年も。とても暖かい歌声にいつかボクは包まれたいと願う様になっていた。
……サンタさんへのお願い事、決まった……
今年はあの歌声に包まれに行こう。丘の上にある教会だ。テリトリーから離れているけど行ってみるんだ。
早速坂道を目指して走り出した。長い長い坂道は冷たい風がひゅうひゅう、と耳を何度もぱたぱたさせてきた。
「おい1お前どこのやつだ?ここは俺様のテリトリーだ。怪我をしたくなかったら戻るこったな」
目の前に現れたのは大きな三毛猫。片目には傷が入っていて怖そうだ。
「テリトリーに入ってしまってごめんなさい。ボクはグレといいます。今日だけ君の大切なテリトリーに入れてもらえませんか?汚したりしないから」
「うるせえ!最近、俺様が怪我をして負けたと言う不名誉な噂が流れていてな。そうやってずかずか上り込んでくる奴が冷えてるんだ!どうしても入りたい、というなら俺を倒してから行ったらどうだい?ぼうや」
そんな事出来ない、と言いそうになった時、背中に激痛が走った。一瞬何が起きたのか分からなかったが、気付いた時には冷たいアスファルトに倒れていた。三毛猫は何処かへ行ってしまった。
痛む背中をひきずりながら、やっと教会のある丘の上に辿り着いた。丘に着いた時、力がどんどん抜けていって、体がどんどん寒くなってきた。
草むらに横たわると体を丸くさせた。鉄の錆びた匂いがした。
……サンタさん、ボクのお願いは家族のところに帰りたい事です。それが叶えられないならせめて白い毛の猫にして下さい……
冬の日暮れは早い。特に朝から雨模様の空は暗くなるのが早い。朝に振っていた霧雨はいつの間にか白い雪に変わっていた。
白い雪が丘から見える家々の屋根に、木々に、道に粉砂糖を振りかけた様に薄く染めてゆく。
……きれいだなあ。まるでお母さんが作るケーキみたいだ……
やがて家々からはひとつ、またひとつと灯りが灯り始めた。それは大きなクリスマスツリーのように見えた。
……あの家の中には、きっと家族がいて幸せな時間を過ごしているんだろうなあ……
冬の澄んだ冷たい夜空に白い雪が次々と降って、とうとうボクの体にも積もってきた。白い猫になれるかな。白い雪の様な真っ白な猫に。
……サンタさん、白い猫にしてくれてありがとうございます。でも、元の家族のところに帰りたい、というお願いはもういりません。その代わり、此処から見える家々の家族たちが幸せなクリスマスを過ごせるようにして下さい。あの灯りがずっとずっと暖かな灯りでいられる様にして下さい。それがボクが欲しい事です……
サンタさんへお願いが言えた。ボクはとても幸せな気持ちになった。
耳に聞こえる綺麗な歌声。眼下に広がる家々の灯り、白い猫になったボク…。
……ああ、幸せな気持ちになったら、なんだか眠たくなってきちゃった……




