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星になった君に  作者: キリシマアキラ
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見詰めあえぬ君に

 週末には一時帰宅が許された。午前中に夕生の母、恵美めぐみが迎えに来た。

「まあ、大人になって。ゆうちゃんより随分大人っぽい。同じ歳じゃないみたい」

 恵美は開口一番にそう言って、朝臣を眺めた。朝臣の方は恵美を見て少しも変わってはいない。疲れている様子にも全く見えず、若々しい風貌のままだった。年齢不詳だ。

「母さん。朝臣の前で夕ちゃんて呼ばないでよ」

 恥ずかしそうに夕生は言う。そしてキャップを目深に被った。

「へえ、夕ちゃんて。相変わらずなんだ」

 親子の間で呼び方がそう変わる訳じゃない。理解はしていても、朝臣は思わず冷やかすように笑った。すると、夕生の母は探るように言った。

「法学部、だっけ? 弁護士になるの?」

「はい。今はそう思っています」

「夕生、知ってたの? あんたのお父さんと一緒じゃない」

 恵美はそう言いながら、夕生が使っていた、タオルや何かを取り出して紙袋に詰める。

「そもそもが高校も父さんと同じだし、進路が一緒になるのは別に驚くことじゃないよ」

「あの人と同じなんて、なるほど手強い男になりそうねえ」

「お父さんは夕生のことは知っているんですよね」

 朝臣は何気なく聞く。別れているとは言え、いとも簡単に登場した夕生の父親の存在に、関係性はそう悪くないのだろうかと思う。

「どうかしら、話してないの? お父さんのこと」

 急にさっきまでの勢いが無くなり、声のトーンまでもが下がった。

「……別に隠しては無かったんだけど、俺がこの状態で話すと重くなるからさ」

 重くなると聞いて、大体察しがついてしまった。亡くなったのだろう。それも、そう古い話ではないと思える。朝臣と夕生が離れている時期のことに違いない。朝臣は追求しなかった。不幸は続くものらしいという一般論が頭に過ぎった。

 ひと通り荷物をまとめて、一番大きな紙袋を朝臣が持った。荷物がある為に、タクシーを拾った。数年ぶりに夕生の家に行く。朝臣がついていく事は前もって、夕生が話を付けていた。と言うより、夕生の本人の希望とあれば聞くしか無かったのだろうと思う。

 閑静な住宅街の中にあった。吹き抜けの玄関に鍵の音と恵美のヒールの音が大きく響いた。

「懐かしい。お邪魔します」

 朝臣はそう言って入った。「あまり片付いていないんだけどね」恵美はそう言うと、手早く荷物を引き取って部屋の奥へ持っていった。片付いていないと言うより、生活感が無かった。家に居る時間が少ないのかも知れない。

「大丈夫か。夕生、疲れたか?」

 思わず腕を掴む。

「ちょっと疲れたけど、大丈夫。とりあえず、座る」そう言って短い廊下を進んで居間に入った。

「疲れたか……」

「そんな、心配しないで」夕生が笑って見せる。やっぱり、病人と接することに慣れないと朝臣は思った。

「それで、ここ。隣に座って」

 言われるがまま、隣に座ると夕生が耳打ちしてくる。「あとで、俺の部屋連れてって」

「わかったよ。夕ちゃん」

 こっそり冷やかして、言い返すと夕生はうつむいて赤くなった。この様子を見て、母親の恵美が変に思わないかどうか気になった。二人の関係性を告げるかどうかという問題は、先送りになっていた。ともかくは友達のままだった。

「赤くなることないだろ」

「だってさ」

 そう言い合っていると、紅茶を淹れてくれていた。「すみません、頂きます」

「そんなに仲良かったっけ?」

 斜向いのソファに着席した、恵美はあけすけに言った。

「良かったけど、時間が合わなくなっちゃったし俺がこうなったのも、最近まで黙ってたからさ」

 夕生が慌てたように、一息で説明した。

「わたし、この子が芸能界やるとは思わなかったのよね。朝臣くんの方がそうなるかと思ってた。ほら、高校生の時読者モデルで雑誌に乗ったとかどうとか聞いてたし」

「あの時は、偶然というかたまたまです。今考えたら、少し調子に乗ってたというか。断ればよかったのに」

 街に出て買い物をしていた所に、雑誌編集者に捕まってその場のノリで深く考えなかった。その時、夕生も一緒に居た。その時貰った名刺を必要がないからと言って、夕生に渡した記憶がある。その数日後、学校の帰り道に夕生に告白された。それから、しばらくした後に夕生が読者モデルとして何度も掲載されはじめた。疎遠の始まりはそこからだったのかも知れないと朝臣は今になって思う。

「この子、雑誌切り抜いたりしてたのよ。今の子もそんなことするんだって思ったわ。だって切り抜きとかはわたし達の時代では良くあったけど。今の子は画像で保存するでしょう」

「あれはなんか、興奮したんだよ。画像でも持ってるけど」

 夕生が言った。

「消せって言ったのに。芸能界入りの記念とか言うけどさ」

 以前に、画像で持っていることがわかった時に言った。その時に、芸能界入りの記念だから取っておくと言って聞かなかった。意味がわからないと、朝臣は突っぱねてみたが結局そのままでいる辺り、朝臣が雑誌に掲載された事と、告白とのつながりは夕生の中にはあるのだと思っている。

「やっぱり、朝臣くんが先に雑誌に載ったのが原因だったのね」

「ちゃんと話していないの?」

 そう夕生に聞くと頷いた。「いっつも事後報告になっちゃうタイプなんだよね」

「ほんとそう」恵美は頷いた。

 そのまま時間を過ごして、昼は寿司とピザで夕生は迷ったが結局はピザを宅配で頼んだ。食事を終えて、夕生が処方された薬を飲む所を無意識に眺めていた。

「そんなに二人して見たら、おかしくて飲めない」

 親と、恋人からの諦めと緊張の視線を夕生は一笑に付す。そうして、跳ね除けると二階の夕生の部屋へ行くことにした。

 ゆっくり階段に登ると二つ部屋があって、南側の方が夕生の部屋だ。夕生の部屋には、窓に掛かっているカーテンと勉強机はそのままだったが、辞書が二冊積んであった。洋服と靴が大量に並び、そう大きくない布張りのソファがあった。その上には無造作に台本と思われる厚い冊子と、ぬいぐるみがあった。ベッドはきちんと整えられている。

 朝臣は少しだけ部屋の窓を開けた。新鮮な空気が部屋に流れ込んできた。

「ちょっと酷い部屋だけど、ふたりっきりだね」

 ソファに座ると夕生は言った。

「酷くねえよ別に。俺の部屋なんか……」

 そう返している間に、ふたりっきりと言う言葉が染みてきた。恋人ごっこ開始から、完全なふたりきりになったのは初めてのことかも知れない。病院は病院だから、その認識の中に無かった。一階から、洗濯機の音が聞こえてきた。部屋が静か過ぎると気づいた朝臣は、逃げ込むように言う。

「テレビ、付けてもいい?」

 夕生は「うん」と頷いた。リモコンを手に取って、夕生の隣に座っていくつかチャンネルを変える。夕生が朝臣の肩に頭を寄せて、もたれかかってきた。その予感は無いわけじゃ無かった。

 そのままの姿勢で夕生は聞く。「やだ?」

「そんなことねえし」なんだか情けない。朝臣は腕を回して、ぎこちなく夕生の肩を抱いた。それくらい出来る。

「嬉しい。もう、今、死んでもいいな」

「そういうこと言うな。じゃあもっと来いよ」

 ぎこちなく動いていた朝臣の腕が勝手に動き、抱きしめてしまう。普段見ない角度から、夕生の顔を見た。くっきりとした二重の線が見えて、短いまつ毛が震えていた。

「ありがとう」

 また夕生が言った。したくてしたのに、礼を言われるとは忍びない。けれど、胸が詰まった朝臣からは何も出てこなかった。替わりにこんなことが口をついた。

「お前の、父さんはいつ……?」

「一昨年の年末。その時まで、全く知らなかった。父さんの古くからの友達から連絡が来た。同じ弁護士のね。俺と父さんとの連絡はある時から途絶えちゃってて。離婚して随分経つし、新しい家族も出来てたことは知っていたよ。それで、お通夜に行って、連絡くれた父さんの友達から遺産相続の話を聞いた。揉めはしないけど、向こうからしたら嫌だったみたい。元々、養育費とか俺の学費に関することには惜しむことはなかったよ。それにはもちろん感謝している……」

「そうだったんだ」

「……だからその、父さんは金を出している分なのか、よく口を出して来てさ。干渉されてたと思う。一緒に住んでも居ない父親に色々言われて、中学生ぐらいの時なんかは混乱してたよ。でも、高校受験に関しては、朝臣と会えたから良かったけどね。その代わりに、芸能界入りには大反対だったよ。映画に出る話をしたら激怒してさ」

「それが連絡が途絶えていった理由ってことか……?」

 芸能界入りは、それを夢見ない親からすると青天の霹靂だったに違いない。あの高校生の当時にも、大博打だと言う同級生は居た。だが、朝臣は大博打だからこそ夕生らしいとも考えたものだった。

「そうだよ。俺からすると、新しい家族の方だって子供三人も居たんだから、もういいじゃんと思ってうんざりだったし、丁度よかったと思ってた。まさか、その後直ぐに死んじゃうとはね……」

 朝臣は夕生の背中を撫でた。元々、痩せていた身体の背骨を指先が感じた。父親の次は自分とわかった時、いかほどの思いがこの身体を通ったのかと思うと、朝臣は自身を恥じていた。比較すれば随分子供じみている。抱いていた羨望と嫉妬なんかゴミだ。小さすぎる。そして、夕生ばかりに不幸が集まることの過酷さに、神も仏もあるものかと、恨みに似た感情が湧く。

「……映画に出たのも初めて聞いた」

「ドラマの話はしていたよね? そのドラマの前に実は映画が先だったんだ。言わなかったのは映画が、どの範囲でどういった形で公開されるのかが見通しが立たなかったから」

「どんな役だったの?……あ、でも少し休むか。疲れるよな」

 さっきから、喋らせてばかりだ。心配になって夕生の顔を覗き込む。

「朝臣の方が疲れてんじゃないの、すっかり抱え込んでくれちゃって」

「俺なんか、丈夫が取り柄だから。知ってるだろ」

 こうしていることに案外、抵抗がないことに気づいていた。抵抗のない自分に安堵さえしている。夕生の希望を叶える為とはいえ、長い抱擁には耐えられるものかどうかは、朝臣はこうして見るまで正直わからなかった。想像が及んで居なかったとはいえ、きっと嫌なら嫌だろう。本能とはそういうものなのではないだろうか。

「俺も前までは自分のこと、そう思ってたよ」

 腕の中で夕生はどこか、遠い目をして言う。過去を見ているのか、どこを見ているのかわからない。強いて言うなら止まった未来を見るようだ。

 朝臣は言った。「こっち見ろよ」

 しかし、矛盾していた。見つめ合う前に、朝臣は夕生の唇にキスをした。一瞬で終えた。

「き、急に……」

 恥ずかしそうに、腕で顔を隠すようにして夕生は言った。

「……なんとなく、したくなったからしたんだ。こっちこそ、いきなり恋人ごっこの範疇超えてたら悪いけど」

 夕生は少しだけ笑う。口元だけ見えた。そのまま、目は合わせなかった。夕生は、朝臣の首に腕を巻き付けると言う。

「朝臣ってさ、口癖だよね。こっち見ろよとか俺を見ろよとか」

「口癖?」

 それには覚えが無かった。今は、安堵と共にやって来た恐れを感じていた。本当に好きになったのだとしたら、いや――本当は、ずっと前から夕生を好きだったのではないかと思えてきた。

 

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