汚れていない君に
「おい、篠井。今日はバイトあるのか? 何時からだ」
久しぶりに学食で昼食を取っていると、同じ軽音サークルの松森が話しかけてきた。朝臣は、アルバイトの方に注力していたせいで、サークルには満足に参加したことがなかった。よくもめげることもなく自分などに声をかけてくれるものだなと思う。
「今日は20時からだから、それまでなら時間はあるよ」
朝臣は答えた。
「そうか。一応、これから活動きちっとするから、練習しに来いよって言いに来たんだ」
「練習なあ。最近全然触ってないから、追いつけるかな」
思わず考え込んでしまう。朝臣はベースを担当していたが、特に上手くはない。何事にも上には上があるものだが、ベースに関しては特に自分の適性を疑ってしまう。これなら素直に剣道を選んでおけば良かったのだが、子供の頃から知っている世界から逃れる目的があった。しかし、それも自分に対する方便で高校二年を過ぎる頃には自分の腕に限度があるように思えていたのも事実だ。
「大丈夫だよ。なんだったら当て振りの練習でもいいし」
「当て振り?」
朝臣は耳を疑った。なんだか情けない状況でもある。
「学祭の出番もあるしさ。弾けるに越したこと無いけど、俺としてはお前に演者としてステージに立ってもらいたいんだ。俺っていうかメンバーの総意ね」
そう言うとイキナリ松森は、朝臣の首に腕を巻き付けた。
「メンバーの総意……って」
「そうだよ。イケメンにかかってんの。やっぱり見栄えとして顔も必要」
「見栄えって言うけどさ。俺って、全然音楽やってそうな感じゃないって、よく言われるけど、それはいいのか?」
大学に入って軽音サークルに入ったことを、夕生に話した時にそう笑われたのを思い出した。夕生だけではなく他の友だちやバイト先でも言われた。
「そんなの。髪伸ばせば良くね? 伸ばして、カラーすればいい。色はなんでもいいや。あとパーマでもかけてさあ」
そう自信たっぷりに言われると、異論があっても黙るしか無かった。実際に松森の髪の毛先は明るい色に染められていた。仕方なく、今日は顔は出すことを約束した。話しがついた直後に、アプリの通知音が鳴った。
予告通りに夕生からメッセージが来た。廊下を立ち止まる。
「会いたいな」
朝臣は正直ややこしいなと思う。
この会いたいは、ごく普通の同性の友達に当てるものとは違う気がした。実際、他の友だちは「今度飲もうぜ」とか目的を明確にしてくるものだ。
こんな事を思う自分も充分ややこしい奴だと思う。あのまま疎遠になると思うと、気が塞いだ事実はどこへ行ったんだろうか。
「どこなら飲みに出れるんだ? あまり人目に付かないような個室のある場所のほうがいいのか?」
一応、芸能人という夕生の立場を立てた。
「ごめん。飲みには出れないんだ」
「飯か」
「ごめん。今、俺入院しているからさ、会うなら朝臣に病院に来てもらうしか無い」
「病院? 早くそれ言えよ。どこ悪いんだ?」
「全体的に手遅れだから、どこってこと無いよもう」
「まどろっこしいな。ハッキリ病名を言えよ」
「癌だよ」
そんな冗談勘弁してくれ。
冗談じゃないよ。嘘も大概にしろ怒るぞ……
朝臣はそう簡単には納得できなかった。しかし、入院先とその地図を送られて来てしまっては納得するしか無かった。何しろ地図には国立がんセンターと明確に表示されている。実際本当にがん患者だけが入院しているとは限らなかったが、世間知らずがそれを決定打にさせていた。そんな容赦のない現実を突きつけられても、許容はできなかった。
朝臣は廊下でしゃがみ込む。無意識に頭を抱えていた。ある一点に後悔が集中する。それは昨日送った言葉にある。
もう会えなくなることを思うと狼狽してばかりも居られなかった。直ぐに会いに行くことを告げた。サークルの松森との約束が頭から、危うく消えかけていた。松森を探して急用が出来たと構内で詫た。すぐ、病院に向かうことにした。
何を持っていったら良いのか、全く思いつかない。聞くとゼリーと答えが返ってきた。御見舞に包む金額も、よくわからなかったので一万円を入れた。
夕生の部屋は個室らしかった。だが、その前に通りかかるロビーで先に車椅子に乗っている夕生に会った。他の患者と談笑していた様子だった。あの放送の時より痩せていて、坊主だった。それもあって以前と印象が違っていた。だが同時に談笑出来ることに、一旦の安堵はしていた。夕生がこちらを向いた。
あまり過剰に深刻さを表に出してはいけないと思って挨拶もそこそこに聞く。
「なに喋っていたの?」
夕生は車椅子で廊下をゆっくり進む。朝臣は車椅子の後をついていった。窓からは病院の中庭の紅葉の細い枝が風で揺れていた。
「今の人、元ヤクザなんだ。その頃の話し聞いててさ。お年寄りばっかりだから話し相手に困ってたらしいんだ。家族とはみんな縁切ってるらしいし、見舞いに来る人が全く居ないんだ」
「ヤクザって」
思わず言葉を失うと、夕生は笑った。元々は中性的なせいか、その仕草がもっと女性的に見えた。
「ヤクザだって病気になるよ。人間だしさ」
「そりゃあそうだな……」
曖昧な返答をしていると、夕生はおかしげに言った。「前ならヤクザって聞いたらビビって、どう距離図って離れるかってことばかり考えていたけど、今は違うから不思議だ。死にかけのヤクザと思ったらなんにも怖くないんだ。下手な知り合いより、むしろ穏やかに接することが出来る。お互いに同じだからかな」
「俺、ヤクザと接点持ったことなんてねえよ。日常で」
笑えない冗談と意外な接点に朝臣は驚いていた。そんな気持ちを見抜いているのか、夕生は冷静に言う。
「それが、普通だし健全だよ。俺が居た世界が、たまにそういうことがあっただけ」
「ビビってって言うけど、本当かよ。傍から見たら違ったんだろうな」
朝臣は言う。夕生はなかなか気が強い。見た目とはかなりの差があると初めから思っていた。今だってそうだ。何か堂々としたものがある。表面的には痩せていたが、雰囲気としては元気そうに見える。顔色は良くもないが悪すぎる訳でもなかった。
「そうなんだよなあ。不満だね」
話している間に、病室に到着した。日当たりの良い個室だった。沢山のぬいぐるみが飾ってあった。そういえば、SNSでは良くそのキャラクタのぬいぐるみがアップされていた。
「ぬいぐるみは思いつかなかったな」
朝臣がそう言いながら、リュックからお見舞金の封筒を出して渡した。ベットサイドのキャビネットに買ってきたゼリーを置く。ぬいぐるみにゼリーを押し付けるようになった。
「いいのに」
「俺に出来ることはなにかあるか?」
誠心誠意を込めて朝臣は言う。
「ううん。あ、でもとりあえずはこの事は誰にも言わないで欲しい」
「誰にも?」
「公表するつもりとかも無いから、家族と事務所の関係者の一部しか知らないんだ」
「そうか。いつ病気がわかったんだ?」
「4ヶ月前ぐらいになるかな。入院したのは3ヶ月になる。契約とか色々あるからね」
「そんなに前か。……」
言葉に詰まっていると、夕生は車椅子からベッドに移った。夕生は側にある、折りたたみの椅子を使うように朝臣に促した。その通りに、椅子に座る。
「あの放送で最後だったからね。まんまと、それに朝臣が引っ掛かった」
どこか誇らしげに夕生は言った。
「賭けとか言ってたけど何だったんだよ?」
「いや。ごめん……ただ、気を引きたかっただけだよ。きっと、疎遠になってさ。もうそのまま俺は消えるんだろうなって思った。けど、それってつまんねえなって思ちゃったんだよね。心残りとかも嫌だし……」
「そうか」
怖いぐらい何の誤魔化しもない。夕生の大きめな瞳が澄んでいた。
時間が限られた人間であることを如実に感じる。更に夕生は続けた。
「高校生の頃、朝臣に告白して振られてさ。で、友達関係はずっと続いてたのってやっぱり凄いことだと思うんだよね。だけど、友達関係を維持する為には諦めることが前提条件だと思って、そういう風に接してきたし実際そうだったと思うんだ。そうやって過ごした時間は楽しかったけど、やっぱり俺にとっては嘘なんだよね。虚飾なんだ」
「そうか」
「違う世界に身を置いて、努力もしたけどさ。俺はやっぱり朝臣が好きなんだ。俺はずっとお前に恋したまま死にたいと思う。それを少しだけ手伝って欲しかったんだ。情に訴えかけるなんて、汚いことかもしれないけど……勝手に想っていれば良いことだろうけど、そこが俺の業って言うか……」
ここで初めて夕生は陰りを見せた。視線が下に向く。その様子を何とかしたくて、朝臣は言う。
「……汚いとは思わねえよ」
やはり、結局は友達で居ることも傷つけるのか。と朝臣は思った。告白を聞いたあの時も、動揺した挙句やっと言ったことでもある。けれど、その後を引いていない様子の、あっけらかんとした夕生を見てひとりで安心していた。それで何年も過ごしていた。
こんな独りよがりの男に恋をしたまま死にたいだなんて、何故思うのだろうか。
朝臣は今それを聞くことは憚られた。拒否と取られることに恐れがあった。結局はあの時と同じようにしているのかもしれない。
しかし、ひとまずここは謝ることが先だと思った。
「俺なんて、何にも知らないことを良いことに酷いメッセージ送ったりしたのに。悪かったよ。ごめん、本当に。反省しても、しきれない……」
「死ねってやつ?」
夕生は悪戯っぽく笑った。
「……うん」
「じゃあ。その罪悪感に漬け込んで、欲張りを言おうと思う」
その意を決したような様子に、朝臣はぎくりとして背筋を伸ばした。
「何だよ、欲張りって」
「あのね。恋人ごっこをしてほしい」
夕生はこう言った。
恋人ごっこと言っても、俺はこんなで不健康だから出来ることは少ない。ただ、顔を見せに来てほしい。たまには、手ぐらい触っておきたいけど無理しなくていい。それと、本当の恋人が出来たら、この話は終わり。その際、嘘はダメ。きちんと紹介してくれて、安心させてくれないと生きているうちは認めないよ。今、心底悩んでるかもだけどそんなに長くかからないと思うから、その間少しだけ時間を俺のために使って欲しいってだけ。
独り善がりだった分の、お返しとばかりに要求されている気がする。
ここまで来ると、朝臣は過去と同じ轍を踏むのを嫌だという気持ちが強くなっていた。だから結局は、承諾した。男同士だからどうだとか、こうだとかはこの際どうでも良くなった。深く考えるのは後にしよう。
「……期限が短いから承諾するんじゃない。これで少しでも長く生きられるなら、俺の時間はやってもいいと思ったから」
それなりの決意を述べると、夕生は言った。「やっぱり、朝臣は格好いいね」
アルバイトの時間になんとか間に合った。狭いバックヤードに入ると、店長は腕時計を見ながら言った。
「篠井君。珍しいね。ギリギリに来るの」
「済みません」
そう言いながら朝臣はロッカーを開けた。
俺の時間をやってもいい。とは言ったが実際にどれほど時間は作れるかわからなかった。仕送りは多少あるが、生活費と学費には間に合わないからサークル活動もそこそこに、アルバイトをしている。もう少し、短時間で稼げるアルバイトが簡単に見つかればそっちに移ったほうが良いかもしれない。
「篠井君のシフトと重なるかどうかわからないけど、来週から新しい人来るから、その時は頼むよ」
「経験者ですか?」
朝臣は一応、聞いてみる。
「コンビニは無いけど、スーパーならあるって言ってた。なぁ、この写真美人だよね」
そう言って、店長は履歴書を朝臣に見せた。その下衆な態度に朝臣は呆れる。
「そんなこと店長がやってどうすんですか」
チラリと目に入った名前は冴島珠美と記入されていた。
冴島。その名前には覚えがあると朝臣の脳裏に過ぎる。顔の造形まではハッキリ記憶してはいない。それに、あの冴島とこの冴島が同一人物である可能性は限りなく低い。
「美人だと思わない?」
「写真が詐欺だって言いたいんですか。店長は」
「いや、まさか。ただ、本人の雰囲気はもっとキツイ感じなんだよねえ。背もデカイし、ああ、篠井くんとなら釣り合うだろうけど」
店長は薄汚れた老眼鏡を正し、卑屈な笑みを浮かべていた。釣り合うとか言いつつ、本当は自分が好みのタイプだったんだろうなと朝臣は思った。
朝臣は冷淡に、タイムカードの目の前にいる店長に雑談を断ち切るつもりで言う。生意気はいつもと同じだ。
「店長。俺のタイムカード押して下さい」
古臭い機械音が鳴ると、同時に客の入店の音が聞こえた。朝臣はレジに立つ。しばらくすると、作業服の男の客が軽い口調で聞いてきた。
「香典袋ある?」
普段なら何も思わない。
いずれ来る顛末を早くも、突きつけられたような気がした。それを振り切るように、目の前の事に集中する。香典袋の場所を教えた。
こんな時に限って、客は望む程連続しては来ない。慣れた業務に、脳は今日あったことをさらって行く。
恋人ごっこ。
どうやれば良いのだろうか。
朝臣は誰とも交際歴は無かった。




