プレゼントを君に
手渡しの給料の中身を確認する。8万円に届いている。出勤時間との齟齬の無いことを確認した。これで夕生に誕生日プレゼントを買うのである。既に本人からねだられているものがある。漫画だ。「闇金ウシジマくん全巻」と「進撃の巨人全巻」どちらも完結していなかったが、紙の本で読みたいと言う。朝臣はどちらも気が滅入る内容らしいのに、とあまり気が進まなかったが、本人は気にしていない様子だった。それらはネットで注文して手配は終えている。届け先を夕生の家にすれば良いだけだった。金額的には限度だったが、ただマウスをクリックしただけと言うのは、朝臣の気分的には味気なく感じた。
その給料を普段使っているリュックの底にしまうと、ロッカーの扉を閉めた。
「お先に失礼します」
次のシフトの福田という男に端的に挨拶すると、自動ドアを抜けた。随分寒くなったと思いながら、マフラーをしっかり巻きつけた。考えてみれば、このマフラーは夕生から貰ったものだ。もう何年も使用しているものだ。
夕生は良い物を俺に寄越した。
物がいいから、毛玉が立つことも無ければ流行遅れのように感じることもない。特に飽きもしなければ、失くすこともなかったものが今に至る。
失くすなんて――
「……くっそ」
泣いて暮らすのは後だと思っていたのに、無理だった。まだ夜中と言っていい時間、ひとり涙を拭って帰宅する。通行人が少ないことが救いだ。そのはずだった。
「あれえ、篠井さん、今……?」
前方の注意なんかしていなかった。髪が長くて妙にデカイ女が、ヒールを鳴らして近寄って急に立ち止まった。冴島に朝臣は返事をしなかった。無視を決め込もうとしていたが、距離的に無理があった。
「どう……」
どうしたの?と言おうとしてやめたようだった。そんな風に気を使われるのもしゃくになり朝臣は声を出した。
「出番でもないのに、こんな時間に何だよ?」想像より、ずっと鼻声の自分が嫌になった。
「給料、取りに来た。どうせ右から左だけど」
「あぁそう。じゃあ……」
伏し目がちに朝臣は言って通り過ぎようとすると、冴島は以前のようにポケットをカサカサとしはじめる。朝臣は歩いた。「ちょっと、待て。篠井よ」
仕方なく朝臣は振り返ると、冴島はやはり火の付いていない煙草を咥えていた。
「これ、やるよ。バスタオルはさすがに持って歩いてねえからな」
冴島は封の空いていないポケットティッシュを2個を、朝臣に押し付けた。戸惑いのまま、受け取って朝臣は聞いた。
「バスタオル?」
「こんなちっこいポケットティッシュなんかで足りねえだろって意味だよ!」
冴島は吠えるように言った。
朝臣は何か、全てを見透かされたような気がした。
「ありがとう」
朝臣は頭を下げる。そのまま、深く下がって両手を膝につく。頭を上げられなかった。弱った所をこれ以上慰められる自分を赦すこともできずにいる。だから、動けなかった。
「いいよ。お前、結構泣くやつだったもんな」
頭の上でそう聞こえたような気がしたが、真意の程を確かめる気力は無かった。冴島の靴のつま先が視界から去る。
朝臣はやっと姿勢を正す。その勇ましい冴島の後姿を見送って、貰ったポケットティッシュを破る。
「ああ、ホントだめだ」
独り言を言いながら、息を吸う。白い空に、薄くなった星空が見えた。
◆
数時間後、朝臣は百貨店の開店に合わせて、部屋を出る。秋晴れだった。昼夜逆転の生活に加えて寝不足だった。だがどうせ眠れないと出かけたが、地下鉄に乗ると睡魔に襲われた。危うく寝過ごすところで、慌てて地下鉄を降りた。時間が早いせいか百貨店の客は少なかった。迷ったものの、結局ブレスレットに落ち着いた。同じものを二つ購入し、お揃いにしてしまった。その場の思いつきと勢いで決めたゆえに、予想外の出費になったが満足を得ていた。
地下鉄の駅に入ると、メッセージアプリの通知があった。夕生からだ。
「今起きた。何してる? バイトかな」
「買い物したから、出先だよ」
「寝てないの?」
「少し寝たよ。もう家に帰るところ。今日、バイト終わりでそっち行く」
「早く会いたい」
「待ってろ。渡したいものがある」
「ひょっとしてそれは」
「気に入ってくれればいいけど」
「まじで! 超待つよ」
余命は知っただろう。余命を把握するのは自分だけで良いと言っていた程だ。それでもこの文面だけだと、普段と変わらない。
朝臣は、これに安堵すると多くを望みたくなる。悪いことは全部忘れて、夕生の誕生日を過ごしたい。
地下鉄に乗ってから、バイトのシフト表を眺めた。朝方まで働いていて、次に14時から18時だ。眠気は夕生に会えばどうにかなる。
部屋に戻ると昼を過ぎていた。常備してあるインスタントラーメンを食べることにした。それを待つ間に、夕生から電話が来た。
「朝臣。俺だけどさ、今日午後に退院するから朝臣に来てもらったらそのまま、帰ることにしたいんだけど、家まで付き添ってもらってもいいかな?」
「そうなんだ。もちろんいいよ」
「本当は昨日でも良かったらしいんだけど、病院の都合で一日ずれちゃって。手続き的なことは昨日済ましてあるから。今日は母さんの都合がちょっとつかなくて、明日ひとりでタクシーで帰るつもりしてたんだ」
「そういう時は俺に言え。ひとりなんて危ねえだろ」
「タクシー乗るぐらいは問題ないよ。薬は効いてるし」
「俺がお前の世話を焼きたいんだ」
本当は全てを放り投げて、四六時中一緒に共に過ごすべきなのではないだろうか。そういう思いがあふれてくる。
そうしようか……。
一種の誘惑のような、逃避のような不思議な感覚になった。それは現実的ではないと思い直す。
もうインスタントラーメンは伸びていた。味はともかく量が増えたように感じるのは好都合だった。時間通りにアルバイト先へと向った。
到着するなり、店長は気まずそうに言った。
「篠井くん、田中さん風邪でダウンした。休憩は多めに取っていいから、続けて深夜も頼むよ」
「俺、今日はどうしてもはずせない用事があって無理ですね」
今日は本当に無理。朝臣は心の中でもう一度言った。
「え? そうなの、困ったな」
「俺も急に困りますよ」
「そうかい。じゃあ、どうするかなあ」
どこか不服そうに店長は、頭をかく。従業員の電話番号リスト見て受話器を取った。朝臣は、ロッカーの鍵を閉めると、タイムカードを押して売り場に出た。直ぐに客が入ってきた。
その後、もう一度店長は朝臣に用事が何とかならないかと聞いてきた。ダメなものはダメだ。朝臣はそれに近い言葉で断る。勤務が終わる頃には佐藤という店長の親族の女性がやって来た。人が居ない時はたまに出てくる人である。普段は専業主婦であるらしかった。その人の話では次の時間帯は冴島だと言っていた。
「冴島さんて人、普段何してる人なの? ダブルワークたって、よくこんな時間に入る返事したわよね」
佐藤は不思議そうに聞く。のっそりとした挙動で喋り方もそうだ。
「さあ、俺は知りません」
言われてみればそうだ。しかし、昨日の朝方の時間に給料を取りに来るのだ。それなりに不規則な時間帯で働き、ここでの給料は直ぐに消えるようなことを言っていた。深夜ばかりに入る男の朝臣よりは手取りは少なくなるだろう。
「夜なのかな。なんか派手な子だよね」
佐藤は、朝臣の返答が物足りなさそうに言った。
冴島は確かに、派手と言われればそうかもしれない。だが、男を相手にする水商売の手合とは雰囲気が合わないと思った。
そんなことはいい。
朝臣は色々話しかけられる前に、店を後にして夕生の待つ病院へ向った。
「失礼します」
病室に入ると、既に洋服に着替えた夕生がテーブルの上で何か書いている。よく見るとそれはDVDのようだった。
「あ、ごめんねこれちょっと待って」
「このDVD、ドラマのか」
近づいてみると、夕生がDVDにサインをしていることが分かった。夕生のサインは傍から見ると、ペンの試し書きのような意味不明さだった。
「やっぱりスターなんだな。お前って」
思わず朝臣が言う。
「俺もびっくりした。さっき看護師さんがコッソリ持ってきたんだよね。でもさ、これ後でオークションに流すのかもしれないよね」
「んなことねえだろ。家宝にするつもりだよ、きっと」
後でというのは、死んだ後ということだろう。あっさりこういう事を言うから困る。
「家宝ねえ」
夕生は書き終わったDVDを重ねる。その横に使っていたマジックを置いた。
「置きっぱなしでいいんだって。後で回収しにくるらしいよ」
そう言ってベッドから降りると、サンダルと外靴を取り替える。
荷物は既に夕生の母親が殆ど持ち帰っていたので、最低限の分だけで済んだ。帰り際に夕生はナースステーションへ寄って挨拶を済ませる。
退院と言っても完治ではない。挨拶を受ける看護師たちは、職務としての視線の奥にどこかやるせないものが見える気がした。エレベーターの前まで婦長が送ってくれた。それまで談笑を交わす。夕生は元々の性格もあってか、随分馴染んでいた。婦長は最後に深々と頭を下げる。合わせて朝臣も頭を下げた。エレベーターの扉が静かに閉じていく。
タクシーに乗り込む時、朝臣は夕生の手を握った。乾燥していたが温かい。
ここから先の夕生は俺のものだ。運転手は居たが車という密室感に朝臣は安堵をしていた。タクシーが発進してしばらくは無言のまま、そうしていた。
「……誕生日おめでとう」
朝臣は、リュックから朝に買ったばかりのプレゼントを渡した。
「えっ、なんかすごくない? 学生なのに朝臣」
いいの?と言わんばかりに、大きな目で朝臣を見詰めた。
「でも働いてるからさ、大丈夫だよ」
「開けるよ」
「うん。開けろ」
夕生が包装を丁寧に開けると、レザーで一部金属があしらわれたブレスレットが出てきた。
「格好いいし、可愛い! クールになりすぎなくて合わせやすいよ絶対これ。俺さ、高校生の時に朝臣に買って貰ったブレスレットも取ってあるんだよ」
「ん……? ああ、あの安物な。学校の帰りに雑貨屋で買ったやつだろ。しかも犬の首輪みたいなやつ」
つくづく自分の高校時代とは夕生を何だと思っていたのだろう。
「そう! あれ気に入ってたんだけど、なんか付けすぎたのか、わかんないけど、気づいたら臭くなって来ちゃっててさ……」
夕生が笑いながら言いだした。
「あれは最初からちょっと臭かったよ。なんかそういう合皮の種類っていうか」
「そうなの? でもこれはいい。調度、雑誌とか見ていいなと思ってたのと同じ雰囲気だったし」
ブレスレットを左手に付けながら夕生が言った。そしてブレスレットを眺めている。その様子から朝臣は言う。
「そうか。それなら良かった」
「これ、朝臣も似合いそうだよね」
「実はお揃いにして買っちゃったんだ。てか最初は、自分用ですみたいなツラして見てたから似合うっておだてられて。で、買う時になって、じゃあふたつ下さいって言ったんだ」
「お揃い、まじ? 超嬉しい。朝臣ってロマンチストなところあるんだね」
夕生がからかうように言う。
「馬鹿言うな。別にそんなんじゃない……ただ、いいかなと思ったから」
「ツンデレのツン。今更しないかと思ったけど、可愛いね。俺、暇だからよくよく考えてみたんだけど、高校生のときの朝臣って壮大なツンだったのかもって思うんだよね」
どこまで本気か冗談かわからないが、それは遠くないと朝臣は思う。結局のところ、夕生を好きと嫌いに分けることを放棄して妥協させた。好きを求められても、応えられる余裕もなく、かと言って嫌いにはとてもなれそうも無かった。夕生を嫌うことは有りえぬことだった。
「もうすぐ着くぞ」
タクシーが住宅街に入っていった。夕生の家の前で降りる。まだ誰も帰っていない家の鍵を、夕生が開けた。それについて朝臣は足を踏み入れる。玄関のドアが完全に閉じた時、朝臣は前に居た夕生を、待ちきれずに後ろから抱きしめた。気持ち良い程度に夕生の髪が伸びていた。
「お前がツンデレとか言うから、デレなくちゃいけなくなる」
「俺のせい」
そうだ。と言って夕生の身体をこちらに向けて、抱きしめた。腕の中にあるものが、いずれ近いうちに消え行くものとは思えなかった。
夕生の手が、朝臣のコートの下に入った。胸の真ん中辺りに手を止めた。
「心臓。すごくドキドキしてる」
「……うん」
お前のそれが止まったら、俺のも止まるといいんだけどな。
そう過ぎったが、朝臣は言わない。
黙って、ただ夕生の唇を奪った。