隻眼の鬼。
雷雨荒れ狂う激しい嵐の夜、黒髪の女が酒場の扉を開け放った。途端に、賑やかだった酒場内が静まりかえる。猜疑と不信に満ちた無数の視線が女を貫く。
女はマントのフードを脱ぎ、マスクを下げる。重いブーツを鳴らしながら酒場に入り、カウンターまで歩いていく。屈強な男の店主が、威圧するように見下ろした。
「ご注文は?」
「ジンをボトルで」
とたんに、落胆したような空気が店内に広がり、また店内が騒がしくなりはじめる。店主が仕方なしとでも言いたげにジンの瓶をカウンターに置いた。
「冗談も言えない人生は楽しいか?」
「冗談は嫌いだ」
女は刃物のような目つきで店主を睨んだ。店主は肩をすくめる。
「辛気くせえツラしやがって、トラブルだけは起こすなよ」
立ち去ろうとした店主を、ジンの瓶を置いた女が呼びとめる。
「この辺で賞金首を見かけたか?」
「さぁね、この嵐だ。今日はそんな話は聞いてないな。あんた、賞金稼ぎ――その眼帯、もしかして『隻眼鬼』か?」
「だったらなんだ」
隻眼鬼は憮然として答えた。
「噂は聞いてるぜ。賞金首も賞金稼ぎも殺しまくってるってな。片目のくせに鬼のように強いって話だ。本当なのか? 金髪って聞いてたが」
「黒に染めてる。金髪は目立つ」
「マントの下は武器庫なのか? 殺人マシーンはろくな死に方しないぜ?」
「他人を苛つかせて遊びたいなら他を当たれ。殺人鬼がまともな死に方しないのはよく知ってる」
「悪かったよ。実はウデの立つ護衛を探しているジャンク屋の一団がいるんだが、受ける気はないか?」
「無いね。私が興味あるのは賞金首だけだ。新しいボトルを」
「はいよ。そうか、残念だなあ、ボーナス弾むって聞いてたんだが」
「所詮はゴミ漁りだろう。たいしたものが手に入るとは思えない」
「それがよ、ここだけの話、ほぼ手付かずの小型宇宙船が見つかったらしいんだ。もし核融合炉が生きてたらトンでもねぇカネになるぜ? あんたも何かと先立つものは必要だろ? カネが尽きたら誰かを殺すじゃあ、アッという間にあんたにかかってる賞金額も周りが我慢できる限度をこえちまうぜ。この酒場に集まってる奴らがいっせいに襲いかかったとして、無傷で返り討ちにできんのかい?」
「できるさ」
「……そうかい。じゃあもういいよ」
「いや待て、やっぱり引き受ける」
「なんだって?」
「あんたの言うとおり、先立つものは必要だ。色んな町に情報屋を放つのもカネが要るしな」
「なんの話だ?」
「なんでもないさ。引き受けるよ、護衛。どこに行けばそいつらに会える?」
翌日の朝、隻眼鬼はジャンク屋の一団について出発した。嵐は過ぎ去っていたが、未だ薄暗い曇天で、ときおり遠雷が起こっている。道中、荒野と町で四泊し、野党の一団を返り討ちにしながら、彼らは大きな湖にたどり着く。有害物質がたっぷり溶け込んだ液体金属の湖の中に彼らの目的のものがあるはずだった。
一団は持ち込んだ潜水ロボットを現地で組み立て、それを利用して湖の中を調べた。そして目的の宇宙船にワイヤーフックを引っ掛けて、クレーンで引き上げていく。湖面がゴボゴボ泡立って、やがて巨大な船体が姿を現した。
「おお! 出たぞ!」
「すごい、10年前の機体のはずなのに、見た目の劣化もほとんどない!」
「こりゃあ脱出艇だな。核融合炉も搭載してそうだ」
ジャンク屋たちが興奮した面持ちで口々にそう言うなか、隻眼鬼だけは別の理由で目をみはり、絶句していた。
彼女はその船に見覚えがあった。
宇宙船は湖のほとりに寝かされて、ジャンク屋たちはさっそく扉を破りはじめる。中に踏みこんだ彼らは、内部がほとんど新品同様であるのに驚いた。そして彼らは『それ』を見つけた。
「信じられない、生きてるぞ!」
彼らが宇宙船内から慎重に運び出したのは、冷凍睡眠カプセルだった。カプセルの中ではひとりの少年が眠りについているのが小さな覗き窓から見える。蓋についた小さなモニターに、ユーザー名が表示されていた。男のひとりが読み上げる。
「ユリシーズ・ヴィクトル・ハルトマン 14歳」
それを聞いた隻眼鬼はカプセルをとりかこむ人間たちを無理やり押しのけ、蓋にすがった。声も出ず、涙も出ない。蓋の向こうに眠る顔を隻眼鬼は知っていた。
彼女の異様な様子に、ひとりが恐る恐る訊ねる。
隻眼鬼は答えた。
「お兄さまです……私の、エレノア・ヴィクトル・ハルトマンの、兄です……! 兄なんです! 生きてた! 生きてたんだぁ……! うえぇ、うわぁああ、うわああああん! いぎでだ! おにいちゃん、いぎでだああああッ!」
鬼の慟哭が、屑鉄の荒野に響きわたる。
彼女は誓った。
兄は自分が守ると。名を変え、正体を隠し、彼と共に生きようと。自分の力はこのために手に入れたのだと。
そして隻眼鬼は、アングレカムとなった。