エピローグ
エレベーターが到着し、扉が開いた。おぼつかない足どりで中から現れたのはアングレカムを背負ったユリシーズだった。鍛えられた成人の体はいかに女性といえど重く、押しつぶされそうになりながらも少年は走る。埃の積もった廊下を踏みしめ、彼は急ぐ。
アングレカムの呼吸は浅く、顔色も悪い。出血は止まっていたが、血を流し過ぎていた。
「がんばれ……! がんばれ、エリィ!」
ユリシーズは声をかけ続ける。その声はアングレカムの耳に届いているのか判然としない。
「生きてここから出よう。生きなきゃダメだ」
少年はグランドコアから出て、大穴の坂道にさしかかった。坂道の果てからは明るい光がさしこんでいて、足もとを明るく照らし出している。ユリシーズは光の向こうへと、長い坂を上っていく。
「また一緒にピクニックをしよう。緑豊かな山で話をしよう。お弁当は僕が作るよ。エリィの好きなクリームチーズをたっぷり使ったサンドイッチだ。そして僕に花言葉を教えてよ。エリィは花言葉をよく知っていたね。僕はあんまり聞いていなかったけど、今度はちゃんと聞く。だから、いきて、おねがいだ」
少年の息もすっかりあがってしまっている。だが彼は話しかけるのをやめない。穴の出口は徐々に近づき、少年の目はくらむ。彼は手を伸ばす。
「もう少しだ……!」
ユリシーズの視界が真っ白に染まり、だんだんと輪郭を取り戻していく。彼は、光の向こうに現れた光景が信じられなかった。
天に黒雲がひとつもない。透明感のある緑色の鮮やかな空を背景に、何隻もの宇宙船が行き交っている。地上の町並みは一変していた。すべての建物が、廃材を組み合わせた粗末なものから真新しいプレハブのようなものに変わっている。
ふたりが出てきた大穴は背の高いフェンスに囲まれていた。ユリシーズがアングレカムを背負ったままフェンスに近づくと、道行く人々が彼らに気がつく。彼らの服装も、よく見かけるような薄汚いものから、清潔で丈夫なシャツやジーンズに変わっていた。
「おい! 怪我人がいるぞ!」
誰かが叫び、通信端末を取り出す。ユリシーズが混乱して立ちすくんでいる間にあっという間に小型救急飛行艇がやってきて、フェンスの内側に着陸した。
「怪我人をこちらへ」
中から出てきた救急隊員に、おっかなびっくり、ユリシーズはアングレカムを差し出す。彼らは素早く彼女の状態を判断すると、適切な応急処置を行った。
「お近くの診療所へと搬送します」
「あ、あの!」
たまらず、ユリシーズが隊員に声をかける。
「あなたはどこの方ですか?」
「私は銀河帝国のレスキュー隊です」
「銀河帝国? 助けが来たのか!」
「銀河帝国は1年前から廃棄惑星556号の住民の保護活動を行っています。ご存知なかったのでしたら、ご安心ください。あなた方はもう、銃を握らなくても生きてゆけるのです」
ユリシーズとアングレカムがグランドコアの中心に入って帰還するまで、地上では16年もの時間が流れてしまっていた。そのことを知ったとき、ユリシーズはやや驚いたが、それだけだった。流れた時間に大した意味はなかった。
ユリシーズはまわりの人々からなぜ長年惑星を包んでいた黒雲が晴れ、銀河帝国の救助がやってきたのかを聞いた。
14年前――すなわち、ふたりが大穴の向こうに消えてから2年後――唐突にこの惑星の重力がほんの少しだけ弱まったらしい。その影響で、今まで惑星全体を覆っていた電磁パルスの層が弱まり、他の惑星に救難信号を送れるようになったそうだった。
スマイルたちがやったのだと、ユリシーズにはすぐにわかった。彼女は自分たちが重力炉の外殻に下りてからユリシーズたちが来るまでの間に、重力の設定を変えていたのだ。
16年ものあいだ、グランドコアに下りる人間が誰ひとりいなかったのは、アングレカムの最後の恫喝に人々がすっかり震え上がってしまったのと、時間遅延現象を無効化する手立てがなかったからにすぎなかった。
(結局、奴はこの惑星の人間全員を笑顔にすることに成功したってわけか……あのとき、スマイルはもう自分の命に価値が無くなったことを知っていたんだ)
ユリシーズはひとりごちた。
少年はフェンスの外側から、向こうに見える大穴を眺めていた。穴の底の暗黒の向こうでは、スマイルが動かない足と無くなった指で、ミンチメイカーの死体の横を這いずり回っているに違いない。惨めで残酷な仕打ちだと少年は感じていたが、彼女が今までやってきたことを思うと、当然だとも思った。
「仇は討ったよ。父さん、母さん」
ユリシーズは微笑し、ふりかえった。
「そろそろ行こうか、エリィ」
少年の視線の先にはエレノアが立っていた。金色の長髪を後ろでまとめ、マントの下にライフルを提げている。彼女は優しげな目でユリシーズを見た。
「もういいのか?」
「うん。エリィは?」
「私は準備できている」
「義足の具合はどう?」
ユリシーズは足もとのリュックを背負った。エレノアは右のつま先で地面をトントンする。
「もう自分の足と変わらない。迷惑かけたな」
「こっちこそ、今まで迷惑かけてごめん」
「それにしても、いつ気がついた? 私が、その……お兄さまの、妹だって」
エレノアは身を縮めて頬を赤らめた。少年は笑った。
「なんだかこそばゆいな。実を言うと、自分でもわからないんだ。だけどあのエレベーターのなかで、死にかけてるきみを抱きしめたとき、なんていうか、すごく懐かしい気がしたんだ。強いて言うならそのせいかな」
「そう……ごめん、ユーリィ。今まで黙っていて」
「黙っていたのは僕のためだろ? だったらエリィが謝る必要なんてないよ」
「うん……」
「……じゃあ、行こう。もうこの町には用はない」
ふたりは歩きだした。目抜き通りを下って町の門を出る。地の果てまで広がる鉄錆の荒野が彼らを迎える。吹き抜ける冷たい風に、血の臭いが混ざっている。
「どこへ行くの」
歩きながらエレノアがたずねる。
「ふたつ隣の町に宇宙船の定期便が来てるらしい。そこへ行こう」
「この惑星ともお別れか。少し寂しいな」
「エリィはこの星をどう思う?」
エレノアはフンと鼻を鳴らす。
「まったく最悪な場所さ。この世の地獄と言ってもいい。だけど、大切な思い出がたくさんある」
「……僕もだよ。ここはまったく最悪な場所だけど、愛おしいんだ。ここではたくさんの人たちが毎日を全力で生きている。厳しすぎる世界にも負けずに……」
「知ってるか? ユーリィ。今のところ、他の惑星への移住を希望してるのは全体の半分くらいらしいぞ」
「……エリィは、それでいいの?」
廃材の丘の上で、ユリシーズは足をとめた。エレノアは彼を見上げて微笑んだ。
「私はユーリィと一緒に居られればいい」
「恥ずかしいなあ、もう」
少年ははにかむ。
「じゃあ、行こうかエレノア!」
「ああ! ユリシーズ!」
ふたりは丘を駆け下りる。屑鉄の国の地平線を目指して彼らは走っていく。そのさまはまるで、無邪気な子供のようだった。
彼らが駆け下りた丘の影に、一輪の花が咲いている。白く美しい蘭の一種だ。『いつまでもあなたと一緒』という花言葉を持つその花は、荒野のなかでも力強く、いつまでも風に揺られていた。
クズテツノクニ おわり




