おじいちゃん
夜明けと同時に雨が上がり、黒雲の隙間から射し込む三日ぶりの陽光に、エレノアはホッとしながら目を細めた。
宿の部屋を出て、マスクとマントを被って町を出る。泥だらけの道を歩いて老人の家へと向かう。彼女が一晩中抱いていた不安は、どうやら杞憂らしかった。老人の家は昨日までと変わらずそこにあった。
「よかった……」
マスクの下で安堵した。彼女は転ばないように気をつけながら家の前に立ち、玄関を開けた。
「おじいちゃん、生きてるー?」
冗談めかしてそう声をかける。マスクをずらして中に入ると、妙に静かだった。影を潜めたはずの不安が、一気に胸の中に広がった。
「おじいちゃん?」
腰の拳銃に手をかけて奥の部屋へと向かう。そこにあったのは信じがたい光景だった。
老人が死んでいた。彼の首には縄がかかっていて、天井の梁を支点に吊り下げられている。彼は床から上半身だけ持ち上げた姿勢にされていて、下半身は裸だった。そして、その裸の下半身から今まさに立ち上がったところなのは、昨夜の少女だった。彼女は振り返った。
「あ、おはよう!」
「……おじいちゃん……?」
エレノアの目は老人の死体に釘付けだった。彼の顔はすっかり弛緩し青ざめていて、ピクリとも動かない。少女は自分の下着を履きなおしながら、にこやかにエレノアを見る。
「すっかり元気になったから、お礼をしたくて。でもどうしても勃たないみたいだったから。知ってる? こうやって首を吊るすとね、血が落ちて勃起するし、筋肉が弛緩するから射精も――」
「――殺すッ!!」
エレノアは拳銃を抜いて撃った。だが怒りのあまり乱暴に構えられた銃から放たれた弾丸は目の前の少女をかすめ、その奥にある老人の胸に命中した。彼女は自分の失態に愕然として銃を取り落とし、気が遠くなりかけて壁にへたり込む。
「そんな、ちがう……!」
「死体を破壊するなんて、ひどい人!」
「おま、おまえ――」
そのとき、唐突にエレノアは思い出した。三年前、目の前の少女が自分の乗った宇宙船を血の海に沈めたことを。父と母を殺し、自分をこの惑星に追いやった元凶であることを。
「おまえ……何者だ……!」
「私? 私はスマイルだよ。みんなに笑顔を届けにきたんだ!」
「ふざけるな……! おじいちゃんを見ろ、おじいちゃんは笑顔じゃない!」
「だってこのひと人殺しなんでしょ? 死んだらみんなが喜ぶよね!」
あっけらかんとスマイルが言った。エレノアは頭の中が真っ白になった。
エレノアは立ち上がり、スマイルに掴みかかる。
「ぐぅッ!?」
エレノアが呻いた。彼女の手は、スマイルが襟に仕込んでいたカミソリで血まみれになっていた。だがエレノアはスマイルを離さない。彼女は痛みに歯を食いしばりながらも、少女の足をはらい、背負い投げにとった。
「いぐぇっ!」
固い床にたたきつけられたスマイルは呻く。エレノアは銃を抜こうとして、さっき自分が取り落としたことを思い出した。彼女は部屋の入り口前に転がる銃のところへかけより、拾ってスライドを引く。
「死ね――」
ふりかえった直後、エレノアは倒れた。彼女の後ろには、散弾銃を逆さまに持った、黒いトレンチコートの男が立っていた。
「あ、パパ!」
スマイルが嬉しそうにはしゃぐ。
ホークアイは部屋の状況を見渡して、呆れたふうなため息をついた。
「心配して探したらこれか……まったく、おまえは大人しく待つということができないのか」
「その娘、死んじゃった?」
「いや、気絶しているだけだ。スマイルは平気か?」
「うん! 元気いっぱいだよ!」
「……それはよかった。出発するぞ、準備しろ」
「あ、ちょっと待ってパパ。このおじいちゃん、賞金稼ぎらしいよ」
「なに? じゃあ賞金がかかってるのか。思わぬ収入だ」
「身分証でもいいけど、やっぱり首のほうが話がはやいよね! ちょっと切ってこうよ」
「……熱心なのはいいが、おかげで最近『ミンチメイカー』とかいう変なあだ名で呼ばれるようになって困ってるんだが」
「いいじゃん、ミンチメイカー。美味しそうだよ!」
「やれやれ……」
その夜、目を覚ましたエレノアは、首をもぎ取られた老人の死体を目にした。彼女は死体を抱きかかえ、涙が枯れるまで泣いた。