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長い雨。

 ひとりの男が、必死な形相で街なかを走っている。汗だくで路地裏を走り、ゴミのバケツを飛び越え、冷暖房の室外機に蹴躓きながら全力でかけている。その男にやや遅れて、短いライフルを携えたひとりの老人が息を切らして追いかけている。

「待て!」

 老人は叫ぶが、男はとまらない。男はやがてちょっとした広場に出た。広場にはベンチがあり、ひとりの少女がその上に座っている。広場からはいくつもの細い道が放射状に広がっていて、男はどれに逃げるべきか判断がつかず、思わず足を止める。

 銃声が反響し、男がギャッと悲鳴を上げた。彼の片足にあいた小さな穴からじわじわと血が溢れ出す。男はすんでのところで倒れるのをこらえると、近くのベンチに座っていた少女の腕を掴んだ。

「っ近づくなぁッ! こいつを殺すぞ!」

 男がバタフライナイフを少女の頬に突きつけて振り返った。老人は彼らの前で立ち止まり、静かに睨みつける。

「お、お、俺の賞金が目当てなんだろ!? 身分証をやるよ、だから見逃してくれ! 頼む!」

「わかっているだけで殺人25件、強姦殺人14件、強盗殺人146件、その他諸々。『マーダートレイン』、おまえは生きてていい人間じゃない」

「何がだ! てめぇだって賞金首なんだから、同じだろうが!」

「賞金稼ぎはみんな賞金首だ」

「知るか! 銃を捨てろ、この女を殺すぞ!」

 老人はめんどくさそうにため息をつき、ライフルを右腿のホルスターに納める。両腕を組み、鋭い目つきで男を見る。男はふへっと変な笑い声をあげた。

「よーし……よーし、そのままだ……」

「ひとりでやってみろ」

 唐突な言葉に男は訝しむ。

「あぁ?」

「その程度の小物、おまえだけでも殺れるはずだ」

「いきなり何言って――」

「――うん、わかった」

 少女の声がして、男の体が宙を舞った。投げ飛ばされた男は固い地面にしたたかに背中を打ちつけ、動けなくなる。その間に、彼に跨がった少女は男の手からナイフを奪い、ためらいなく喉元を切り裂いた。

「がばっ……!? はぁ……!」

 わけのわからない表情のまま、男が切り裂かれた喉を押さえる。少女は彼の上からのき、横に立った老人を見上げた。老人は彼女の頭を撫でた。

「よくやった。きみのように非力で体重が軽くても、てこの原理とスピードがあれば簡単に男を投げ飛ばせる。毎日の練習の成果だな」

「ありがとう、おじいちゃん!」

 右目に眼帯をした金髪の少女は、頬に返り血がついたまま満面の笑みを浮かべた。

「正確に頸動脈と喉を切り裂いているな。悲鳴を上げられないやり方だ。まだ教えてないはずだが、誰に習った?」

「自分で考えたの。多分こうすれば声を上げられないかなあって」

「エリィは才能があるな」

 そのとき、男の腕が少女の足首を掴んだ。少女がひゃっと小さな悲鳴をあげると同時に、老人が男の頭を撃ち抜いた。

「たとえ動脈を切っても、失血死するまでには少し間がある。最後っ屁に気をつけなさい」

「う……うん、ごめんなさい、ありがとう」エレノアは男の腕を払った。

「こっちこそ、すまないな……」

 老人は寂しげに目を細めた。

「え?」

「本当なら、きみのような子供にこんなことをさせるべきじゃない。だが俺は、人を殺す以外の生き方を知らないんだ。本当にすまない」

「……やめてよ、おじいちゃん」

 エレノアはにっこり笑って老人の手を握った。

「私は毎日楽しいよ。だっておじいちゃんは、私のことを考えて人の殺し方を教えてくれているんでしょ?」

「エレノア……」

「おじいちゃん、ありがとう!」

「……ほっぺに血がついてるぞ」

「え? あっ!」

 恥ずかしそうに血を拭う少女の姿に、老人の頬が緩む。彼は男の死体に屈み込むと身分証を引っ張り出した。

「賞金で今日は美味しいものを食べようか」

「やった! 私ヒレステーキがいい!」

「まったく、たくましいな」

 老人と少女は笑いあい、手を繋いで広場を出ていく。あとに残された男の死体の虚ろな目だけが、空を覆う黒雲を眺めていた。




 二日前から強い雨が降り続いていた。空に光は無く、降り注ぐ雨が地面の鉄錆をどろどろにし、どこもかしこも大きくぬかるんでいる。空気は冷え切っている。

 大きな山のふもとに小さな家がある。投棄された大型コンテナをいくつか組み合わせた簡素な家だ。今、その家に向かって急いでいる人間がひとりいる。

 その人物はあたたかい家の中に入ると、マントのフードとガスマスクを外した。

「やっぱり危ないよ。はやく町に避難しよう。宿の部屋をとってきたから」

 少女は家の中に向かってそう呼びかけた。しかし返事は無い。彼女はさらに奥に踏込んだ。

「おじいちゃん?」

「すまない、俺はいけない」

「その娘、どうしたの?」

 エレノアが覗きこんだ部屋には、ひとりの老人とひとりの少女がいた。少女はソファに寝かされていて、顔色が悪く呼吸が荒い。金色の髪の、可愛らしい少女だった。老人は彼女の手当てをしていた。

「今朝、家の裏に倒れてた。どうやら山の崖から落ちたらしい。幸い骨折はないが、打撲がひどい」

「それじゃ、なおさらはやく町の医者に診せないと」

「それなんだが……この娘、雨に長くうたれたせいで低体温症になりかけてた。しばらくは安静にさせておきたい」

「でも、ここだっていつ土砂崩れが起こるかわからないんだよ!」

「起こるかもしれないし、起こらないかもしれない」

 老人は強い口調で言った。エレノアは顔をしかめた。

「……おじいちゃんは、死んでもいいの?」

「たくさん人を殺してきたんだ。ろくな死に方できると思っちゃいない」

「たく……さん? ひとごろし……?」

 うわ言が少女の口から漏れた。彼女はまぶたの下から翡翠色の瞳を覗かせ、老人を見た。

「安心しなさい。きみはもう大丈夫だ。少し安静にしてれば治る」

 老人は微笑む。少女も力なく微笑んで、また目を閉じた。

「……そういうことだ。この娘が生きる運命ならば、ここは土砂崩れに押しつぶされない。そうでないのなら、この娘も俺も、死ぬ運命だってだけの話だ……どうした?」

 エレノアの顔を見上げた老人は、彼女が不信感に溢れた表情をしているので眉を潜めた。気づいたエレノアは小さく首を振る。

「いや、なんだか、この娘に見覚えがある気がして……」

「知り合いか?」

「ううん、小さな女の子の知り合いなんかいないはずだけど……」

「まぁいい、それは彼女が回復してからだ」

 老人は立ち上がり、エレノアに向き合う。

「きみももう16だろう。私の手助けはいらないはずだ。これからは自分で自分の人生を生きるんだ。いいね?」

「いやだよ、そんな、今生の別れみたいな……」

「死はつねに俺たちの背中に貼りついている。今日別れた相手に明日も会えるとは限らない。人は簡単に死ぬ。だから過去に囚われてる暇なんてないんだ」

「でも……」

「でも、じゃない。早く行け」

 エレノアは出かけた言葉をぐっと飲み込み、最後に少女を一瞥して、踵を返して部屋を出ていった。

「……なぁに、おまえなら上手くやれるさ。不幸になんかなるものか」

 老人はひとりごちた。

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