スマイルの誕生
「ドナッ!?」
クリントはドナテッラにかけより、体を抱きかかえようとして手を止めた。体を慎重に仰向けにし、顔にかかった髪を払ってやると、もともと白い肌がますます青褪めている。口のまわりは血に濡れていて、呼吸が苦しそうだった。
クリントはひどくうろたえつつも医務室に連絡を入れた。もともとドナテッラの病気のことは伝えてあったので、医師たちの対応は素早かった。
個室の医療カプセルに寝かされ、何本ものチューブに繋げられたドナテッラを見下ろし、クリントは下唇を噛む。
彼女が体調を崩した原因は、その日の朝に注射した医療用ナノマシンにあった。あってはならないはずの、不良品だったのだ。
「クソ……なんて運が悪いんだ……!」
クリントの頭に、かつての妻の言葉が思い出される。
(『動くのを止めたら、神は心臓を止める』……その通りじゃないか!)
彼は歯噛みした。もともとリゾート惑星で行われる学会にむりやり参加を決め、彼女を連れ出したのはクリントだった。彼は自分の学会を口実にして、ドナテッラを旅行に連れ出したかったのだ。クリントは、少しだけ彼女に休んでもらいたかった。
「それがこのザマか……」
男の喉からおかしな笑い声が漏れた。カプセルの中のドナテッラはまだ予断を許さない状況だ。この宇宙船が大病院のある惑星までたどり着くにはまだ300時間ほどかかる予定だった。
「ホークアイ博士、どうか気を落とさずに」
船医たちはそう言って彼を慰めたが、クリントはそれらに生返事を返すだけで、それからずっと彼女のカプセルのそばを離れようとはしなかった。船医たちも彼が有名で医学知識もあるのは知っていたので、あまり強くは咎めなかった。クリントはカプセルを見つめ続けたが、ドナテッラは意識を取り戻さないまま10時間以上が経過した。
「ホークアイさん、もう何度も言ってますけど、自室で休まれてはどうですか」
見かねた船医のひとりが声をかけた。クリントは彼を見上げ、そして言う。
「なぁ、キミに質問があるんだ」
「なんでしょう」
「もしキミの最愛の人間が死に瀕していて、それが自分のせいで、彼女を助けられる可能性が目の前にぶら下がっているとしたら、キミはどうする?」
「……博士、なにか治療する方法が?」
「なぁ、どうするね?」
クリントは口端を吊り上げた。彼の目はぎらぎらと危険な光を宿している。船医は生唾を呑み込んで、無言でうなずいた。
「試作品の人造遺伝子のサンプルがある。彼女の治療のための研究だ……戻ったら臨床試験に使うつもりだった。マウスや猿を使った実験なら数えきれないほどやった」
「それじゃあ危険すぎます。協力できません」
「じゃあ、キミは彼女を殺すのか? 彼女は徐々にだが確実に弱ってきている。今が分水嶺なんだ。手術ができるか、できないかの」
「しかし……」
「すべての責任は私が持つ」
クリントはそう言って深く頭を下げた。
「頼む。やらせてくれ」
船医は彼を見下ろして激しく葛藤していたが、やがて意を決して口元を固く結ぶ。
「わかりました、やりましょう。緊急手術扱いにして、あなたが独断で行ったことにします。医師免許剥奪は免れませんが、いいですね?」
「感謝する」
船医とクリントは必要な機材と人を集め、人造遺伝子の組み込み手術を行った。長い時間のかかる手術だった。
しかしクリントは、成功させた。
「あとは経過観察だ」
疲れ切った顔でクリントは言った。船医も、医療カプセルの中で眠るドナテッラを見下ろしてうなずいた。個室には彼らの他にも、手術に携わった看護師や医者も集まっている。
「……迷惑かけた。この責任はすべて私が負う。本当にすまなかった」
「気にしないでください、博士。私たちも嬉しいんですよ」
船医が笑った。となりの看護師が頷く。
「私たちは人の命を救うためにこの道を選んだんです。見捨てるなんて、できるわけないじゃないですか」
医者たちは口々に笑って言った。クリントは涙ぐみながら、彼らに何度も感謝の言葉を述べた。
それから数時間後、部屋で仮眠をとったクリントは、熱いシャワーを浴びて食事をとった。頭がすっきりとし、清々しい気分になった。
彼は着替え、医務室に向かう。予定されていた訪問時間にはかなり早かったが、ドナテッラのことが心配でたまらなかった。
医務室を過ぎ、彼女の個室の前に立つ。ドアをノックしようとして、彼は個室の中から誰かのしゃべり声が聞こえてくるのに気がついた。
「……うまくいったな……」
クリントはつい手を止めた。一緒に手術をした船医の声だった。
「これで、あの違法治療のデータはすべて揃いましたね……」
船医と話しているのは、看護師だった。
「……これであの男を強請ればカネになる……」
「不良品のナノマシンを用意したかいもありました……」
クリントはドアを開いた。驚いた顔の船医と看護師が彼を見た。
「おまえらか……!」
クリントの声は怒りに震えている。表情は強張り、額に血管が浮き出ている。奥歯は強く鳴り、眉間にはけわしいシワがあらわれていた。
「聞いたぞ!」
ふたりがなにか言う前に、クリントは彼らを殴り倒していた。一撃で意識を飛ばされた彼らは床に転がる。クリントは彼らを無視して医療カプセルに飛びつき、蓋を開いて彼女を抱きしめた。
「すまなかった、ドナ! 私がキミを誘いさえしなければ……キミをこんな目に!」
慟哭した。獣の咆哮のような声だった。
「……なんで、泣いてるの……?」
自分を抱きしめかえす腕に気がついたのは、その言葉を聞いてからだった。クリントは彼女を引きはがし、顔を見た。ドナテッラは目を開けていた。
「やだよ……笑顔がいいよ……笑顔。泣かないで。笑顔、笑顔、スマイル、スマイル……!」
「ドナ……!」
ほころびかけたクリントの顔に、多量の血と肉片がぶちまけられた。ドナテッラが吐いていた。クリントは青ざめ、彼女を再びカプセル内に寝かせる。
「そこを動くな! 今止血剤をとってくる!」
彼は立ち上がり、医務室に戻る。人を呼び、薬のビンをいくつも抱えて個室へと走った。
「ドナ――!?」
個室内は血に染まっていた。
ドナテッラの血ではなく、気絶していた船医と看護師の血だった。彼らの上にドナテッラは跨り、置いてあった果物ナイフで彼らの顔を切り刻んでいる。その体はさっきよりひと回り小さくなっている気がした。
「な……なにしているんだ?」
クリントと医者たちはその場に立ちすくんでしまった。強い血の臭いが鼻の奥に絡みつき、ドナテッラがナイフを振るう度におこる液体の音が耳にこびりつく。
ドナテッラは呼びかけに応えて彼らを見た。
「笑顔にしてあげてるの。笑顔にしてあげてるの。みんなを笑顔にするのが私の使命だから。笑顔にしてあげてるの」
そう言って笑った彼女の目に、クリントは常軌を逸した光を見た。
「なんてことだ……!」
「ねぇ、あなたたちも笑顔にしてあげる!」
ドナテッラはクリントたちに飛びかかった。ひとりの医者が彼女に目を潰されて悲鳴をあげた。もうひとりの医者が彼女を羽交い締めにする。
「鎮静剤を! ホークアイさん!」
「離して! 離してよ!」
ドナテッラはもがく。クリントは何もせず、目の前の彼女を眺めていた。
「ホークアイさん! 何をして――ぐぇっ!?」
クリントが医者を殴りつけ、自由になったドナテッラがナイフで彼の胸を刺す。
ドナテッラはクリントを見上げ、微笑んだ。
「ありがとう! ……えーと、お名前は?」
「……覚えてないのか?」
「わからないからパパって呼ぶね!」
直後、再び彼女は嘔吐する。どろどろの血と肉がたくさん混ざった、真っ赤な吐瀉物だ。クリントは、彼女が嘔吐するたびに、その体が小さくなっているのに気がついた。
「人造遺伝子の再生が過剰すぎるのか……」
彼は呟いたが、もうそんなことはどうでもよかった。今の彼には、最愛の妻が瀕死の状態から脱していることが何よりも嬉しかった。たとえ彼女があきらかに発狂していても、記憶に障害を抱いていても、彼女が生きていることの前では些細なことだった。
「ああ、わかったよ、スマイル」
微笑してクリントは言った。ドナテッラは首をかしげる。
「スマイル?」
「キミの名前だ。キミが私をパパと呼ぶなら、私はキミをスマイルと呼ぶ」
「わかった! 私はスマイルね!」
スマイルたちは医務室に出た。血まみれのふたりを見たほかの患者たちや医師が悲鳴をあげる。
「みんな怖い顔してる……笑顔にしてあげなきゃ! 手伝って、パパ!」
「ああ、わかったよ。キミがそういうのなら、私はなんでもする」
クリントとスマイルは笑いあった。
惨劇のはじまりだった。




