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死の嵐。

 苦悶する大蛇のような鉄塔は雷鳴響く暗黒の空に向かって捻れながらそびえ、その先頭は闇に沈んで輪郭を失っている。遠目から眺めると、まるでこの星を包むおどろおどろしい闇の力がとうとう溢れ出し、地上に流れ落ちているようだった。闇が流れ落ちた先、鉄塔のふもとの大穴の前には、強い雨にもかかわらず、500人はくだらないほどの黒山の人だかりができている。夜闇に溶けこむ黒はマントのフードとマスクの色だ。この小さな町中の人間が、今そこに集っていた。

 人々の視線は、投光器の強い光に照らされた大穴に注がれていて、瞳はらんらんと熱に浮かされている。今にも沸騰しそうな静かな熱狂だった。彼らは固唾を呑んでじっと堪えていた。

 やがて、穴の中からふたりの人間が現れた。ひとりはミンチメイカーで、彼は黒いトレンチコートにマスクをつけている。あとから現れたもうひとりは、泥はねひとつない綺麗なドレスを着た少女だった。彼女は素顔だった。人々がどよめく。

 スマイルは踊るようなステップで土嚢で作った堤防の上に登る。そして彼女は得意げに鼻からふんすと息を吐き、両の拳を腰の左右にやって、薄い胸を張った。人々はみな少女を凝視し、少女は高みから彼らを見渡して、太陽のような満面の笑みを浮かべた。

「入り口が開いたよ! いよいよ中に入れる!」

 熱狂が爆発した。空の雷鳴がかき消され、降り続く雨が吹き飛ばされるほどの歓声が周囲を揺るがした。人々はみな両手を高く上げ、スマイルの名を呼んで讃える。

 少女も彼らに手を振りながら歓声に応える。彼女は恍惚とした表情で、土嚢の下に佇むミンチメイカーに話しかけた。

「ねぇ見て! こんなに笑顔がたくさん! みんな嬉しがってる!」

「ああ、そうだな」

 ミンチメイカーも頬を緩めて彼女を見上げた。ふたりの視線がぶつかった。少女の胸から血が噴き出した。

「えっ?」

 スマイルが、何が起こったかわからない顔をしながら後ろに倒れる。ミンチメイカーがとっさに彼女を受け止める。彼女の胸は血に染まっていた。

 熱狂は一瞬で消え去っていた。周囲には降りしきる雨が廃材や人にぶつかる音だけが延々と続き、人々は沈黙している。彼らの視線はごく自然に、集団の後方、ひとりの人間に集まった。

 雨の中、その人物は右腕を突き出し、手に古めかしい改造ライフルを握っていた。マントのフードを目深にかぶり、ガスマスクで顔を隠していた。ガラス越しに覗く彼女の威圧的な瞳の輝きを目にした男は震え上がってつぶやいた。

「鬼だ……!」

「隻眼鬼かぁッ!」

 ミンチメイカーの怒声が、雨音を押しのけて届いた。

「鬼だ! 殺せ!」

 誰かが叫んだ。行き場を無くした熱狂のエネルギーが、そのまま殺意の洪水となってアングレカムに押し寄せた。彼女はマスクの下で犬歯を剥き出す。

 真正面からマスクをした男が掴みかかった。女はライフルでその腕を殴りつけて払う。短い悲鳴とともにがら空きになった胴に、彼女はもう片方の手に握られたファイティングナイフを突き刺した。男のマスクから血が噴き出す。

 彼女の後ろから鉄の棒を振りかざした敵が迫る。アングレカムはナイフを引き抜くと同時に腰を捻ってふりかえりざま、敵の攻撃を手の甲でいなす。驚いて目を見開いた敵の眉間に、ひとつの小さな穴が開く。

「このクソ野郎がッ!」

 側面にいた敵が喚き散らしながら熱線銃をかまえて乱射。触れた雨粒を蒸発させながら放たれた熱線は、しかし素早く人混みに飛び込んだアングレカムにかすりもせず、何人もの仲間たちの頭や胴体を貫通。

「バカ野郎! 銃は使うな、同士討ぴゃっ!?」

 怒鳴る男が言葉の途中で頭の中身を撒き散らす。アングレカムの射撃は強い雨と闇の中でも正確に人間の命を奪っていく。彼女は両手に拳銃を持ち、金の瞳で素早く四方に視線を飛ばして、少しでもリーダーとなりそうなそぶりを見せた人間から殺していく。彼女の全身の細胞と神経は、そのすべてが死を振りまくために働いていた。

 アングレカムが銃を撃つたび、血と雨と鉄錆の泥が足もとから広がっていく。闇夜に銃声と男女の悲鳴が無数に響く。鮮血と温かな内臓と恐怖の嵐が、人々のあいだに波紋のように広がっていく。

「ぎゃあアアアッ! いでぇよおお!」

「血が! 血が! 動脈が! 誰か!」

「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いッ!!」

「腸が戻らねぇよぉおお」

「脳みそ、脳みそをひろって。この人の脳みそ。ふまないで」

「ぢにだぐないっ! ぢにだぐなばいっ!?」

「俺の耳いィイイイッ!?」

「目、目ぇどこ行った!?」

「だれが! 誰か助けてくれえ!」

「こいつは鬼だ!」

「化け物だ!」

 伝染した恐怖が人々の動きを鈍らせる。鈍った人間をアングレカムが殺す。次第に動けるものは減り、とうとう彼らはアングレカムを取り囲んだまま何もできなくなった。

 泥と死体と破壊された肉の真ん中で、アングレカムは動きを止める。強い雨は彼女のマントから血と肉片を洗い落としていく。彼女の肩は激しく上下していた。それに気づいた、後ろのほうの男が叫ぶ。

「奴は疲れてる! 今かかれば――」

 パン、と音がして彼の頭が爆散した。アングレカムが撃ったリボルバーがふたりの人間を貫通して頭蓋骨を砕いたのだった。

 決定打だった。もう誰もこの片目の鬼に刃向かおうだなんて人間はいなかった。たった数分で数十人もの人間が死んでいた。

 アングレカムは静かに銃を納めた。そして片手を持ち上げ、無言で遠くを指差す。人々は彼女の指す先をふりかえり、自然と道を開けた。

 彼女が指したのはひとりの人間だった。その男は黒いトレンチコートを着た初老の男で、両手に血まみれの少女の体を抱きかかえていた。ぐったりとしたままの少女のドレスの胸から上は切り取られ、汗ばむ素肌に止血パッドと包帯がしっかりと巻かれている。男は、複雑な色の瞳でアングレカムをまっすぐに見つめ返した。

 アングレカムは歩きだした。泥とはらわたを踏みつぶし、力強い足どりで人々の真ん中を進んでいく。凄まじい威圧感に、誰も彼女から目が離せない。アングレカムは歩き続け、とうとう土嚢の堤防を乗り越えて屋根の下に入った。そして彼女は、男の前に立った。

 隻眼鬼と、瀕死のスマイルを抱えたミンチメイカーが、わずか数十センチの距離で睨み合う。

「まだ生きてるな」

 アングレカムがマスクをとってスマイルを一瞥。

 ミンチメイカーは侮蔑するように目を細める。

「無関係な大勢を殺して満足か、隻眼鬼」

「不快で最悪でゲロ吐きそうだ。おまえはどうだ」

「どうやら私と君は似た物同士なようだな」

 ミンチメイカーはそう言って一歩後ろに下がった。アングレカムがスマイルを指す。

「そいつを置いていけ」

「断る。彼女には生きてもらわなければならない」

「そうか」

 アングレカムがリボルバーを抜いてミンチメイカーの頭に突きつけた。しかし男は動じない。アングレカムも引き金を引かない。見つめあったまま、数秒の沈黙があった。

 ミンチメイカーが挑発的に鼻を鳴らした。

「どうした、私を殺せる確信が持てないか」

 アングレカムの眉間のシワがますます深くなる。ミンチメイカーは不敵に笑い、彼女は歯噛みする。

「哀れだな。殺意に溢れているからこそ、確信がないと撃てない。長年荒野で命のやりとりを続けすぎた弊害だ。そんなにスマイルを殺したかったか?」

 男は口端を吊り上げた。

「さぁ、撃ってみろ!」

「……死ねッ!」

 アングレカムが発砲した。だが弾丸は命中せず、直前で頭を傾けたミンチメイカーの耳をかするだけだった。彼はスマイルを抱いたまま片足を持ち上げ、アングレカムのみぞおちに蹴りを入れた。

「ぐぶっ……!?」

 アングレカムの呼吸が止まり、大きく後方によろける。積まれた土嚢にすがってなんとか倒れることは避けられたが、完璧に入った蹴りは彼女の呼吸を簡単には回復させない。アングレカムは胸を押さえて大きくあえいだ。

「私とてこの星に流れ着いて10年、ずっと命のやりとりを続けてきたんだ。キミの気持ちはよくわかる」

 ミンチメイカーは冷酷な瞳でアングレカムを見下ろす。

「だから私はあえて逃げよう。スマイルの治療もしなければならないしな。追って死ぬか、退いて生きるか、好きな方を選べ」

 男はそうして彼女に背を向け、大穴の中に向かって歩き出す。

「まっ……待て……!」

 苦痛に顔を歪めながら、アングレカムはそう言った。言葉は届かず、ミンチメイカーは大穴を下り、中の暗がりへと姿を消した。

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