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鏑矢は放たれた!

 翌朝、ユリシーズはアングレカムとは会わなかった。姿を現さない少年を心配して部屋のドアをノックした女は、風邪をひいたという彼の言葉を信じて、その日一日を外出しての消耗品の補充と情報収集にあてることにした。天気は悪く、雷が唸る真っ黒い空の下、酸性の強い雨が町に降り注いでいた。

 アングレカムはマントのフードを目深にかぶり、脱出派と協力してグランドコアへの大穴を守る工事を行なった。大穴の上に廃材と布で屋根を作り、周囲に土嚢を積み上げて、水が流れ込まないようにする。アングレカムはその中で、大声を張り上げて陣頭指揮をとるミンチメイカーの姿を見た。彼は誰よりも働き、誰よりも泥だらけになっていた。

 作業中、アングレカムは横目でスマイルの姿を探し続けていたが、彼女は姿を現さなかった。途中作業が一段落したところで、アングレカムはたまたま並んで休憩していた労働者に、それとなくスマイルについてたずねてみた。するとその男はマスクを外して黄色い歯を見せる。

「あのスマイルってぇ娘は、ちっこいくせにすげぇ技術者らしいぜ。この大穴をあけた爆弾もあの子が作ったんだってよ」

「どこにいるのか知らないか? 用があるんだ」

「金貨一枚」

 怒りの舌打ち。男はおどけた。

「おっかねぇ、小粋な冗談だろうが。そんなじゃモテねぇだろ」

「男女関係の冗談はもっと嫌いだ」

「わかった悪かった、つっても俺も知らねぇんだけどな。ミンチメイカーのダンナが秘密にしてるから。まぁ当たり前だわな」

「そうか……」

「ただまぁ、やっぱり発案者には会いたいってみんな思うからよ。俺も会いたいし。今日の夜、グランドコアの外壁を破って中に入る工事をするんだが、そのときに穴を開けるのをその娘がやるらしい。会えるとしたらそのときじゃねぇかな」

「今日の夜か。やはり私たちのような労働者もみんな集まるのか? この雨はつよくなるぞ?」

「スコールがどうしたってんだ。歴史的な瞬間だぜ、もうすぐ終わるこの星の」

 男は破滅的に笑った。アングレカムはもう彼を見ていない。

「しかけるには不利すぎるか……わかった、ありがとう」

 女は一枚の金貨を男の胸に弾いて立ち去った。



 日が暮れはじめ、夕方にアングレカムは拠点へ戻った。雨はますます激しくなって、暗闇と地面からの水煙で数メートル先も見えない。こんなときはガスマスクはいっそう息苦しくなる。屋内でマスクを脱いだとき、彼女は初めて呼吸ができたような気がした。

 マントの水滴を払ってひと息つく。昼食用にとキッチンのテーブルの上に置いておいたパンと水筒がそのままなのを見て、アングレカムは眉をひそめた。腰の銃に片手を添えてユリシーズの寝室に顔を向ける。

「ユーリィ?」

 ドアの向こうから返事は無い。アングレカムは金の瞳を鋭くし、廊下の壁に背をつけて慎重にドアに歩み寄る。

「ユリシーズ、いるのか?」

 返事は無い。アングレカムは素早くドアを蹴破った。

 息を呑んだ。

 ユリシーズがベッドに腰かけて自分の頭に拳銃を向けている。銃口を眉間にくっつけて、まるで神に懇願するように指を組んだ両手で銃を支えていた。呼吸は荒く、体はガタガタと震えていて、強い恐怖と悲しみの底で凍えていた。

「ユーリィッ!?」

 銃声が響き、ユリシーズの血が部屋の壁に大きく飛び散った。

「ああ……!?」

 うめき声をあげたのはアングレカムだった。彼女は足を引きずるようにして、フラフラとベッドに近づく。ユリシーズが、額を真っ赤に染めて仰向けに倒れていた。

 アングレカムはユリシーズの隣に腰をおろす。彼女は左しかない目を片手で押さえた。

「どうしてだ……? どうして、ユーリィ……」

「……許せなくなったんだ」

 ユリシーズがおもむろに口を開いた。彼の額には銃弾がかすった傷ができていて、ベッドのシーツを汚す血はそこから流れ出していた。彼の持っている銃の側面には撃たれて削れた跡があり、アングレカムの持つ銃の銃口からは白い煙がひと筋たちのぼっていた。アングレカムは銃をホルスターに戻した。

「僕は許されないことをしたんだ。僕はあのとき、すごく嫌だったのに、最後は彼女に屈してしまった」

「あのとき、とはいつのことだ」

 アングレカムが訊くと、ユリシーズは顔を隠して嗚咽しはじめる。それは明らかに傷の激痛のためではなかった。アングレカムは自分の涙を拭うと、身を乗り出して、ユリシーズの手から銃をもぎとる。

「……昨日の夜……! スマイルがっ……奴が……この部屋に来て……! 僕を、僕を……! うぅ、うあああ……っ!! ああああ!」

 少年はとうとう声をあげて泣きはじめた。アングレカムは彼が漏らした言葉に、部屋のなかにかすかに漂う独特の臭いを嗅ぎ付け、昨夜ここで何があったのかをさとる。彼女は静かに目を伏せ、顔を隠すユリシーズの手に、自分の手を重ねた。

「そうか……すまない、気づいてやれなくて……辛かったな」

 そう言うと彼女はベッドから立ち上がり、入り口のドア枠に手をかけて立ち止まる。肩越しに少年をふりかえり、最後に優しく微笑んだ。

「ゆっくり休め」

 扉が閉まった。

 アングレカムはしばらく閉じたドアの前で立ち尽くし、わずかに聞こえるユリシーズの泣き声をじっとただ聞いていた。その表情は影になり、誰にもわからない。彼女はやがて廊下を歩き、キッチンに出ると、椅子を引いてテーブルについた。

 長く、静かな息を吐く。

 彼女はおもむろにテーブルの上にあったパンをわきにやるとマントを脱いだ。薄暗い天井の照明に彼女の装備が照らし出される。アングレカムはそれらをひとつずつ体から外し、丁寧にテーブルの上に並べていく。

 大きなナイフが4本あった。

 雑事用のアンカライトナイフ。刃渡り235ミリ。重量約660グラム。

 格闘用のファイティングナイフ。刃渡り163ミリ。重量約810グラム。

 どちらにも使えるサバイバルナイフ。刃渡り330ミリ。重量約850グラム。

 刺突に適したダガーナイフ。刃渡り170ミリ。重量約330グラム。

 さらに普段はブーツの内側や袖の下に隠してある、小さな投げナイフを数本並べる。各刃渡り110ミリ。刃に毒を塗って、回転させながら投げる。

 ブーツのつま先に仕込んだナイフも飛び出させ、状態を確認してから床で押し込んで元に戻す。

 銃を並べはじめる。

 ユリシーズからとりあげた拳銃を置く。9ミリ口径の自動拳銃。装弾数17発。重量約700グラム。

 脇に提げた拳銃を抜き、置く。9ミリ口径の自動拳銃。装弾数15発。重量約950グラム。

 腰の後ろの拳銃を抜き、置く。.50口径の大型リボルバー。装弾数5発。重量約2000グラム。強力なマグナム弾を使用する。

 最後に右太腿に提げている銃を抜き、置く。.44口径の古めかしいレバーアクション式ライフル。銃身と銃床を短く切り詰め、レバーのハンドガードを大きいものにとりかえてある。全長64センチ。装弾数10発。重量約3000グラム。かなり使い込まれた銃だった。

 腰のポーチから幾つかの予備弾倉を抜き出し、並べる。武器の他にも鎮痛剤、鎮静剤、止血剤、解毒剤が入った各種のプッシュ型注射器や、清潔な包帯、ガーゼ、止血パッド、消毒液、ソーイングセットも丁寧に並べる。

 最後に、それぞれを納めていたナイフの鞘やホルスターもすべて外して並べた。

 総重量11キログラムを超える武装がテーブルの上に広がった。アングレカムはそれらひとつひとつを丁寧かつ素早い手つきでとりあげていく。

 ナイフの切れ味が気に入らなければ携帯砥石で研ぎ澄まし、銃の動作音が気にいらなければ軽く分解して油をさす。ナイフを手の中で弄んでグリップの感覚をたしかめ、銃をかまえて部品が歪んでいないかを見る。薬品は必要なものが必要な量あるかを目視で確認し、鞘やホルスターは金具や留め具に破損がないかをしっかり検める。静かに、そして確実に彼女はそれらを行なっていく。

 塞がれた窓の外では雨はますます激しくなっている。ホワイトノイズのような雨音と、怪物の唸り声のような雷の音が強くなっている。

 二時間以上経って、彼女は再び装備を身につけはじめた。薬品や応急処置道具など細かいものから整理してポーチに詰め込んでいく。ナイフは鞘に納めて身体に固定する。銃はそれぞれ一度弾倉を引き出し、弾丸が満杯になっているかをたしかめてから戻し、スライドを引いて薬室に弾丸を送り込む。それからまた一発弾倉に補充する。

 最後に彼女が手にとったのは、あの改造ライフルだった。彼女は刃のような眼差しでじっとその銃身を見つめ、そして右太腿に納めた。どこかで雷が落ちた。

 部屋が一瞬真っ白に染まり、爆発のような轟音が町を震え上がらせた。アングレカムの瞳は、閃光の中でも鋭く燃え上がっていた。

 アングレカムはマントをひっつかみ、ガスマスクを被って外へと飛び出した。引き絞られた弓から放たれた矢のように、彼女は闇の中へと疾走し、消えていった。

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