02
「六純、無事か!!」
バンっと、荒々しくも騒々しい打撃音を奏で、皇帝執務室に乱入してきたのは、月の化身も平伏すのではないかと思われそうなほどの、美しくも麗しい人だった。
懍砡は己の容姿が凡庸である事を他の誰よりも把握している。その為、己の伴侶が自身よりも容姿が優れてしまうのは仕方のない事なのだと半ば諦めていたのだが、今、この部屋に乱入してきたおそらくこの国の皇帝であろう青年を目の当たりにして、懍砡は力が抜けてしまった。
此処まで美しいと、悔しささえ湧いてこない。
あぁ、女としても異性に負けたのだなと、笑えて来たとしても、一体誰が咎められようか。いるとするのなら、それは懍砡自身だけである。
石の床の上に座り込んでしまった懍砡は、宵闇色の髪で己の表情を隠し、くつくつと、喉の奥で不気味に嗤い、顔を上げたかと思いきや、執務室に乱入してきた男を見上げた。
「梁麗の国主とお見受け致します。――お初にお目にかかります。私は莉迂国が皇帝・絽王の妃にして、昭媛の位を頂いておりました氏は釉、名は懍砡と申します。この様な無様で無礼な格好で挨拶致しました事は、どうかお許し下さいませ。」
にっこりと微笑み、暗に腰が抜けたのだと匂わせれば、青年は乱入してきてからずっと懍砡に向けていた鋭い目つきを幾分か和らげ、警戒心を緩めた。だが、彼女の言い分を全て信用したワケではないのだろう。あくまで警戒を少しだけ、ほんの少しだけ緩めたに過ぎないのだ。彼は。
「そうでしたか、あなたが国に忘れ去られた【幽玄の昭媛】様でしたか。遠路遥々、ようこそ我が国・梁麗へお越し下さいました。」
初対面だというのに、その言葉に含まれていた皮肉には少し胸は痛んだが、この国の有能な官吏を悪戯心で驚かせてしまった自分には仕方ないだろうと納得しかけた所で、釉妃は首を傾げた。
自分は確かこの国にどう言う身分になるのだろうかと。そしてその疑問はどうやら口にしていたらしく、六純は「そうでした、忘れてました」と、己の懐に手を差しこみ、一冊の冊子を取り出し、それをパラパラと捲り、あるページで止めた。
そして、彼女に告げられた言葉は。
「静覇様、こちらのお妃様のご身分ですが、わが国にはもう正妃である【皇后】の位しか残されておりません。如何致しましょうか。」
「なに?愛妾の空きは?」
「ございません、空きを作ろうと思えば、誰かにお亡くなりになって貰うしかございませんね。」
自分の目の前で、誰かを闇に葬り去ってしまう様な会話がなされている事に、釉妃は慌てた。
だから、何も考えずに発言してしまっていたのだ。
「お飾りでも良いと仰って下さいますのなら、甘んじて正妃の御位に就かせて頂きます。その方が何かと都合が宜しいでしょうから。」
その方が己にも何かと都合が良い、との、思惑はその時はまだ持っていなかった。
その考えに至ったのは、梁麗に嫁した日の翌朝の事だった。
そうして、この様などさくさに紛れ、釉妃は梁麗の皇帝・柳 静覇、字は柳麗帝の皇后となるコトが、密かに決まったのだった。




