32話 とある少女の思い出・その1
陶器のように白い肌。
絹のようにサラサラの銀色の髪。
ルビーのような赤い瞳。
絶世の美少女……イリスは、明かりのない廊下をゆっくりと歩いていた。
「……」
とあるものを胸に抱くイリスは、緊張に顔をこわばらせていた。
追手はいないだろうか?
誰にも見られていないだろうか?
そんな様子で、時折、周囲をキョロキョロと見回していた。
細心の注意を払い。
神経質なまでに警戒をして。
そして……ようやく、目的地に到着することができた。
外にある水場。
そこに到着したイリスは、ほっとした顔をしつつ、胸に抱えていたとあるものを……
「イリス」
「ぴゃあ!?」
背後から声をかけられたイリスは驚いて、胸に抱えていたものを落としてしまう。
慌てて振り返ると、自分と同じ翼を持つ女性が。
「お、オフィーリア姉さま!?」
血の繋がりはないけれど、姉のように慕う、同じ天族の女性がいた。
寝ていたらしく、頭にナイトキャップをかぶっている。
「どうしたのですか、こんな時間に?」
「そ、そそそ、それは……!?」
「おや? それは布団ですね」
「ぎくっ」
「なぜ、このような時間に布団を持って、洗面所へ……ああ、なるほど」
オフィーリアは全て理解した様子で、頷いた。
「おねしょをしたのですね? それで、証拠隠滅を図るため、こっそり洗おうとして……」
「人の隠し事を思い切り暴かないでくれません!?」
「大丈夫です。あなたくらいの歳でも、おねしょをしてしまう時はおねしょをしてしまいます。おねしょは恥ずかしいことではありません。おねしょを気にすることは……」
「おねしょ、おねしょと連呼しないでくださいません!?」
「ところで、布団だけですか? パンツも洗うはずですが……もしかして、今、パンツをはいていないのですか?」
「傷口に塩を塗り込むような真似はやめてくださいません!?!?!?」
ぜえはあと荒い吐息をこぼしつつ、イリスは魂の叫びを連呼した。
イリスは年頃の乙女だ。
それなのに、この歳でおねしょをしてしまうなんて、とんでもなく恥ずかしい。
だというのに、オフィーリアはそれを気にした様子はなくて、何度も何度も羞恥を煽るようなことを口にする。
意地悪ではなくて、ただ単に、彼女が変わり者で、そういう気遣いができないだけだ。
大好きな姉ではあるが、時折、妙に憎たらしくなってしまう。
「……ぐす……」
とんでもない羞恥心に襲われたイリスは、どうしていいかわからなくなり、ついつい涙ぐんでしまう。
そんな妹を見て、オフィーリアは表情を変えない。
無表情のままだ。
ただ、どことなく柔らかい雰囲気をまとい……
そっと、イリスを抱きしめた。
「大丈夫ですよ」
「うぅ……オフィーリア姉さまは、呆れていませんか?」
「そのようなことはありません」
「情けない妹だと思っていませんか?」
「イリスは誇らしい妹です」
「……ぐす……」
「はて?」
オフィーリアが不思議そうに小首を傾げた。
慰めたつもりなのに、なぜ、再び泣きそうになっているのか。
答えは、嬉しさのあまり泣きそうになっている、だけど……
その回答にたどり着けないのが、オフィーリアという女性だった。
「とりあえず、布団を洗いましょう。それと、パンツも洗わないといけませんね。パンツはどこですか?」
「……こちらですわ」
イリスはとても恥ずかしそうにしつつ、ポケットからパンツを取り出した。
オフィーリアは無表情でそれを受け取り、布団と一緒に洗濯かごへ。
深さのある桶にかごを沈めて、そこへ水と洗剤を注ぐ。
それから魔法で回転させて、あとはしばらく待てば洗濯完了だ。
「これで完了です」
「ありがとうございます……」
「ただ、隠し事はよくありませんよ?」
「それはそうなのですが……お父様とお母様に知られたら、なんて言われるか」
イリスは、両親に溺愛されているという自覚があった。
最強種は長命で、それ故に子供ができにくい。
なので、目に入れても痛くないほどに可愛がられているのだ。
そんな両親に、おねしょをしたことを教えればどうなるか?
心配しないでいい。
一緒に寝よう。
そうすれば安心できるだろう?
……なんてことを言い出すに違いない。
両親のことは嫌いではない。
むしろ好きだ。
しかし、イリスは年頃の乙女。
一人だけのプライベートの時間は欲しく……
寝る時は、一人でゆっくり休みたい。
「そうですね、ものすごく心配されそうですね」
「でしょう!? なので、黙っていてほしいのですが……」
「まったく、仕方ありませんね。ですが、妹の頼みなので引き受けましょう」
「ありがとうございます、オフィーリア姉さま!」
イリスは感謝した。
それこそ、泣きそうなくらいに感謝した。
それほどまでに、イリスにとっておねしょは重大事件なのである。
「ですが、一つ懸念事項が」
「え?」
「洗った布団は干さないといけませんが、それはどうします?」
「あ」
――――――――――
翌朝。
早く乾けー、と祈りつつ布団を干したイリスではあるが……
布団なんてもの、そうそう簡単に乾くわけがなくて、両親に見つかってしまうのだった。




