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15.我々の知るテオ様

「セバス様。それで、どうだったんです?」


朝食を終えた使用人たちが、それぞれの持ち場へ散り始めた頃。


食堂に残っていたメイドの一人が、私へ尋ねてきた。


「何がですかな」


「昨日の新年の宴ですよ」


「例年どおりでございましたよ」


「そうじゃなくて」


何が不満なのか、頬を膨らませている。


「テオ様です」


「テオ様?」


「初めてちゃんと新年の宴に出られたんでしょう?」


「ああ」


そういうことか。


「立派にお務めを果たしておられましたよ」


「本当ですか?」


「私が嘘を申し上げる理由がございますか?」


「だってテオ様ですよ?」


失礼な。


「テオ様ですよ」


なぜか別の侍女まで同意した。


「あなた方は、主人の御子息を何だと思っているのです」


「もちろん、大切なテオ様です」


「では、何が問題なのです」


侍女は少し考えてから、


「昨日もお戻りになった途端、廊下で『疲れた』と仰っていましたので」


「…………」


「私と目が合ったら、すぐに背筋を伸ばして『少々疲れました』と」


「…………」


容易に想像できる。


「五歳なのです。むしろ、十分でしょう」


「それはそうなんですけど」


外では公爵家の子息として振る舞う。


屋敷へ戻れば気が抜ける。


むしろ健全ではないか。


「それに、宴では随分と注目を集めておられました」


「やっぱり?」


「《糸》のことで?」


話を聞きつけたのか、いつの間にか人数が増えている。


あなた方、仕事は。


そう言いかけて。


まあ、少しくらいはよいかと思い直した。


「ええ」


昨年スキルを授かった、ラルシーア公爵家の末子。


カイ様の《剣聖》。


メイ様の《大魔道士》。


その弟であるテオ様のスキルにも、当然、貴族たちの関心は高かった。


「やはり、皆様驚かれておりましたな」


「でしょうねえ」


「私たちだって驚きましたもの」


「私なんて《魔道士》に賭けてたのに」


「私は《学者》」


「私は《剣士》でした」


……。


「あなた方」


「はい?」


「勤務中に、堂々と賭けの話をするものではありません」


「セバス様が言います?」


「私だから言うのです」


何しろ。


「総取りした人ですもんね」


余計なことを言う。


「しかし」


厨房の方から低い声がした。


料理長だった。


「テオ様ご本人は、気にしておられんのでしょう?」


「双子のお二人と話しておられる時は、楽しそうでしたな」


レオニー家のリン様とレン様。


北方の辺境伯家の双子で、揃って《遊撃士》を授かったという。


《斥候》の上位とも言われる珍しいスキルだ。


その二人が、テオ様の《糸》を見て。


『面白そう!』


と。


周囲の大人たちとは、随分違った反応をしていた。


「テオ様、喜んでました?」


メイドが聞く。


「いつもどおり、何本も出しておられましたよ」


「それ、絶対喜んでたやつです」


「なぜ分かるのです」


「テオ様ですから」


……便利な言葉だ。


「でも」


侍女が少し表情を曇らせる。


「やっぱり、変なことを言う方も?」


「……まあ」


いた。


カイ様とメイ様がいるから十分だと、慰めるように話す者。


そして。


大人たちの空気を察したのか、《騎士》を授かった少年が、


『服屋にでもなるのかよ』


と口にした。


「まあ!」


「どこの子です!」


「名前を」


「あなた方」


なぜ殺気立つ。


「子供同士のことです。それに、その場で謝罪もありました」


「でも」


「テオ様は?」


「『服屋も悪くないと思いますよ』と」


「…………」


「…………」


「…………」


なぜ黙る。


料理長だけが、ふっと笑った。


「テオ様らしい」


「ですな」


私も同意した。


あの御方は、昔からそうだった。


     ◇


「そういえば」


料理長が何かを思い出したように口を開いた。


「テオ様が初めて、はっきり『美味しい』と言ってくださった菓子も、アップルパイでしたな」


「またその話ですか」


「何度でもする」


料理長は真顔だった。


「それまでだって召し上がってたでしょう?」


「食べるのと、喜んで食べるのは違う」


職人とは面倒な生き物である。


「初めてお出しした時の顔を、私は今でも覚えている」


料理長が腕を組む。


「一口召し上がって」


少し間を置き。


「目を見開かれた」


「それだけ?」


「それだけで十分だ」


「それからですよね。やたらアップルパイが出るようになったの」


「旬の果物を適切に利用しているだけだ」


「生地も何回か変わりましたよね?」


「より良いものを追求している」


「リンゴの煮方も」


「研究だ」


「香辛料も」


「研究だ」


「テオ様のためですよね?」


「料理人としての研究だ」


頑なだった。


「でもテオ様、毎回喜んでますよ」


「……そうか」


料理長の口元が少しだけ緩んだ。


分かりやすい。


「皆さん、何を話しているんです?」


今度は、交代を終えた衛兵が顔を出した。


「テオ様のお話」


「坊ちゃんの?」


「あなたまで」


ついには衛兵まで集まってきた。


「坊ちゃんといえば、最近また剣の振り方が良くなりましたよ」


「そうなのですか?」


「ええ。ちゃんと腰が入るようになってきました」


嬉しそうに話す。


「まだ五歳でしょう」


「もう五歳ですよ」


どこかで聞いた理屈だ。


「最初は、つかまり立ちしてた頃でしたからね」


「そんな頃から?」


「我々が訓練しているのを、じーっと見てたんです」


衛兵が懐かしそうに笑う。


「それで、柱に掴まりながら」


右手を振る。


「ふっ」


もう一度。


「ふっ」


メイドたちが笑う。


「何それ、かわいい」


「かわいかったですよ」


衛兵も即答した。


「歩けるようになったら、今度は棒を持って真似し始めまして」


「危なくない?」


「もちろん、最初は取り上げましたよ」


「泣いた?」


「いいえ」


衛兵は少し考える。


「枝を拾ってきました」


「…………」


「それも取り上げました」


「そしたら?」


「素手で続けました」


「…………」


想像できる。


非常に。


「それで根負けしたんですか?」


「根負けというか……隊長が」


『そこまでやりたいなら、軽い木剣を作ってやれ』


と言ったらしい。


「そこからですね。我々の訓練を見ながら、ちょこちょこ真似するようになったのは」


「仕事を増やしているではありませんか」


「ちゃんと遊びの範囲ですよ」


衛兵が笑う。


「でも、転んでもまたやるんですよ、坊ちゃん」


その言葉に。


少しだけ、皆が静かになった。


「《糸》も同じなんでしょうな」


料理長が言った。


「でしょうね」


初めは、床に落ちただけで消えていた糸。


それを何度も何度も出す姿を、屋敷の者なら一度くらいは見ている。


失敗した。


また出す。


少し変える。


また失敗する。


時折、妙なことを思いつく。


そして成功すれば。


嬉しそうに笑う。


「そう考えると」


メイドが私を見る。


「やっぱり《糸》で良かったのかもしれませんね」


「ほう」


「だってテオ様、楽しそうですから」


なるほど。


悪くない答えだ。


     ◇


「それにしても」


別の使用人が口を開いた。


「セバス様は、本当は何を授かると思っていたんです?」


来たか。


「《どれでもない》ですよ」


「それは賭けたところでしょう」


「なんでそう思ったのかって話です」


「テオ様は勉強がお得意だから、《学者》とか《智者》とか」


「武術もやってるなら、《剣士》もありましたよね」


次々と候補が挙がる。


どれも、あの日まで屋敷の中で何度も聞いたものだ。


私は紅茶を一口飲む。


「分からなかったからですよ」


「え?」


「私にも、テオ様が何を授かるのかなど分かりませんでした」


「じゃあ、なんで《どれでもない》に?」


「ずるくないですか?」


「ずるくありません」


決められた選択肢の一つだった。


だから正当な勝利である。


「ただ」


私は少し考えた。


カイ様がお生まれになった日も覚えている。


メイ様がお生まれになった日も。


そして。


テオ様がお生まれになった日も。


三人とも違った。


カイ様は、幼い頃から人の前に立つことを嫌がらなかった。


メイ様は、幼い頃から好奇心が強かった。


そしてテオ様は。


よく泣いた。


よく眠った。


よく笑った。


普通の赤子だった。


ただ。


時折、不思議なほどこちらをじっと見ていることがあった。


言葉を覚えれば、何にでも「なぜ」と聞いた。


本を読んでもらえば、次の日にも同じ本を持ってきた。


姉君の授業に潜り込み。


衛兵の訓練を真似し。


料理長のアップルパイに目を輝かせ。


使用人の仕事まで、何をしているのかと尋ねて回った。


何か一つに秀でているというより。


何にでも首を突っ込む。


だから。


「皆様の予想どおりになるテオ様というのが」


私は紅茶を置いた。


「一番想像できませんでしたので」


「…………」


妙に静かになった。


「なるほど」


料理長が頷く。


衛兵も。


侍女も。


メイドも。


「なんか、ずるいですね」


「何がです」


「いい話っぽくして、賭け金を総取りしたことを正当化してます」


「正当な勝利です」


「私、結構賭けたんですよ」


「奥様が上限を設定されたでしょう」


「上限いっぱいです」


「それはあなたの責任です」


「冷たい!」


騒がしくなる。


いつもの屋敷だ。


私は再び紅茶へ手を伸ばした。


「あら」


その時。


声がした。


「楽しそうね」


…………。


部屋の温度が下がった。


気がした。


全員が一斉に姿勢を正す。


「奥様」


いつから。


いや。


聞くまい。


奥様は、にこやかに微笑んでいる。


「テオのお話?」


「……左様でございます」


「私も混ぜてくださればよかったのに」


「奥様がお聞きになるような話では」


「スキルの賭けでしょう?」


知っていた。


いや。


上限を決めたのは奥様だ。


当然である。


「そういえば」


奥様が私を見る。


「セバスが総取りしたのだったわね」


「左様でございます」


「みんな随分楽しんだみたいね」


「ささやかな余興でございます」


「そう」


にこにこ。


「賭けは賭けですものね」


「仰るとおりでございます」


よかった。


話の分かる御方である。


「返せなんて言わないわ」


「寛大なお心、感謝いたします」


「でも」


…………。


「テオを肴に、みんなで楽しんだのでしょう?」


「……左様でございます」


「セバスだけ儲かって終わりというのも、少し寂しいわね」


寒い。


確実に寒い。


「ねえ、セバス?」


「…………」


周囲を見る。


先ほどまで損失を訴えていた使用人たち。


誰一人、私と目を合わせない。


裏切り者どもめ。


「……皆を労うために」


「あら」


「使用人たちで宴を催そうと考えております」


「まあ」


奥様の笑顔が、ぱっと明るくなった。


気温が戻った。


気がした。


「みんな。セバスがご馳走してくれるそうよ。私からも少し出すわね。楽しんでらっしゃい」


「ありがとうございます!」


「……あなた方」


これだから奥様には敵わない。


「セバス」


「はい」


「ありがとう」


「…………いえ」


交渉をした覚えはない。


だが。


どうやら交渉は成立していたらしい。


「それと」


まだあるのか。


「次にテオのことで賭けをする時は、私も混ぜてね」


「奥様」


「なあに?」


「次がある前提なのでございますか」


「色々あるでしょう?」


奥様が指を折る。


「学院の成績とか」


「まだ五歳でございます」


「初めて倒す魔物とか」


「気が早すぎます」


「結婚相手とか」


「それだけはおやめください」


反射的に答えてしまった。


奥様の笑顔が止まる。


「…………」


「…………」


「どうして?」


再び。


部屋の温度が下がった。


「……何でもございません」


当のご本人は、今ごろ幸せな夢を見ているだろうか。


できれば、もう少し寝ていていただきたい。

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