⑧
いつの間にか周囲が静まり返っていた。
ローズマリーが顔を上げるとクリストフは顔を真っ赤にしてワナワナと震えている。
こちらを指さしながら唇を閉じたり開いたりを繰り返す。
「……なっ、信じられないっ! 聖女のくせになんて穢らわしい女だっ、お前との婚約を破棄してやる!」
「まさかローズマリーがクリストフ殿下を裏切るなんて信じられない……同じ聖女として悲しいわ」
「はい……?」
最初、ローズマリーは二人が何を言っているのか理解ができなかった。
しかしすぐにクリストフはローズマリーが不貞行為を働いたと思っているのだと理解する。
赤ん坊とローズマリーの髪色が似ていることもあるだろうが、こんな短期間に子どもを産めるわけがない。
そのくらい二人にも簡単に想像することができるだろうに。
「それよりも今は魔法樹のことを……っ!」
今はクリストフとの婚約破棄のことなどどうでもよかった。
そのことに抵抗しようとしていると思ったのかクリストフは怒りに顔を歪めながら叫ぶ。
「今更、言い訳など聞きたくない! まさかミシュリーヌを陥れただけでなく、こんなことまでするとはっ」
「クリストフ殿下、わたしの話を最後まで聞いてほしいです。それに国王陛下のいない今は……っ」
「この裏切りの罪は重いぞ!? ローズマリー、俺はお前を心から軽蔑している」
「……!?」
これで魔法樹を救いたい、次こそは守ってみせる……そう思っていたのだがクリストフはローズマリーの話をまったく聞くつもりはないようだ。
彼の隣いるミシュリーヌは、ざまぁみろと言いたげにこちらを見下して微笑んでいる。
彼女と同じくルレシティ公爵の唇も弧を描いていた。
ミシュリーヌはずっとクリストフの婚約者であるローズマリーを疎んでいた。
つまりローズマリーが消えたら、クリストフと婚約できると思っているのかもしれない。
ミシュリーヌがクリストフに耳打ちして何かを伝えている。
すると少しは気分が落ち着いたのだろうか。
額を押さえながら首を横に振った後に「そうだな」と呟いてからローズマリーにこう言った。
「だが、お前は魔法樹を守るという使命がある……俺はこのくらいでお前を見捨てたりしない。婚約破棄はするがな」
「…………」
「君は俺を心から愛しているのだろう? 今すぐに謝罪をして今後バルガルド王国と俺のためだけに尽くすと誓うんだ!」
「……!」
「それから魔法樹を元に戻するなら皆も許してくれるはずだ。側妃としてそばに置いてやってもいい……さぁローズマリー、今すぐに謝罪をしろ」
クリストフの言葉にローズマリーは言葉を失っていた。
『君は俺を心から愛しているのだろう?』
どういう意味なのかさっぱりわからない。
俺のためだけに尽くす、側妃としてそばに置く……あまりの気持ち悪さに鳥肌がたっていく。
「クリストフ殿下はなんて慈悲深いのかしら。わたくしも見習わなければなりませんわね」
「……!?」
「今後もわたくしの聖女の仕事の補佐としてそばにいることを許すわ。今までされてきた嫌がらせもこれからはちゃんと働くことで返してくれたらいいのよ」
周囲から巻き起こる拍手。二人の対応を絶賛しているではないか。
まるでローズマリーだけ別の空間にいるような感覚だった。
「わたくしはクリストフ殿下と結婚するから、あなたがわたくしたちを支えてね……ずっと、ね?」
「…………」
ローズマリーは冷めた目で二人を見ていた。
会場は静まり返っており咎めるような視線が突き刺さっている。
「……いやです」
「は……?」
もう我慢の限界だった。
当たり前のように嘘をついているミシュリーヌも、勘違いしているクリストフを心の底から軽蔑していた。
「絶対に嫌です、と申し上げたのです。勘違いするのはやめてください」
「なん、だと……」
「お二人のそばにいるくらいならわたしはこの国から出て行きます」
今まで何をされても文句を言わなかったローズマリーは初めて自分の気持ちを吐露する。
それにこのまま魔法樹を守れないのなら国外に行った方がいい。
クロムの願いを叶えるためにも……そう思っての言葉だった。
「わかった、もういい。なら望み通りにしてやろう……!」
「……!」
「──ローズマリー・リィーズを国外追放とするっ」
ローズマリーは赤ん坊を守るように抱きしめていた。
空気を読んでくれたのか、今は泣き止んでくれている。
「聖女として何もしていないのに偉そうに国を出たいだと!? ミシュリーヌの優しさがここまでローズマリーをつけ上がらせてしまうとは。魔法樹の管理はミシュリーヌ一人で十分だ!」
その瞬間、ローズマリーの中で何かがプチリと切れた。
今までローズマリーはずっとずっと我慢していた。
満足な食事ができたらそれでいいと言い聞かせていた。
だけどもう限界だ。
ローズマリーは枯れてしまったクロムのことを思い、瞼を閉じてからゆっくりと開いた。
「本当によろしいのですね? わたしは今まで一度もミシュリーヌ様が魔法樹を癒しているところを見て……」
「──無礼者ッ! これだから元平民は非常識で嫌になりますわ!」
ミシュリーヌがローズマリーの言葉に被せるようにして声を荒げた。
ローズマリーはため息を吐くしかなかった。
これ以上、何を言ったとしてもこの状況では無駄なのだろう。
クリストフとミシュリーヌはローズマリーの初めて見る反抗的な態度にかなり苛立っているようだ。
頭に血が昇っているのか、吐く息は荒く目が血走っている。
「ただ追放するだけではつまらない……ああ、そうだ。いいことを思いついた」
「赤ん坊もろともローズマリーを捕獲して箱に閉じ込めろ。もちろん〝あの箱〟だ」
「……!?」
「俺を裏切った罪を償うがいい……!」
クリストフの近衛騎士が容赦なくローズマリーを引きずっていく。
「……っ! やめてくださいっ」
「早くこの箱に入れ!」
「ぐっ……!」
抵抗していたが背中を強く打ちつけたことで声が漏れた。
大きな箱に投げ込まれたローズマリーは魔法樹の赤ん坊だけは傷つけないようにと抱きしめる。
最後に見えたのは眉を寄せて不快そうに眉を寄せるクリストフと、ミシュリーヌとルレシティ公爵の真っ赤な唇が大きな弧を描いていた。
その光景を最後にローズマリーの視界は真っ暗に染まる。
箱に閉じ込められて何も見えなくなった。
* * *