③⑦
ローズマリーの目の前には何故かクリストフの姿があった。
(どうしてここにクリストフ殿下が……!?)
最初は夢でも見ているのかもと思ってしまった。
反射的に隣にいるアイビーとオパールを彼から守るように抱きしめる。
今はお祭り騒ぎで警備も通常よりも薄くなっているとはいえ、クリストフがここにいることが信じられない気分だった。
彼には以前のような輝きはなく髪はボサボサで服も擦り切れていて、所々穴が開いている。
この状況から見るに、カールナルド王国の許可を得てここにいるわけではないのだろう。
(まさかバルガルド王国からここまで一人できたのでしょうか)
クリストフの体が濡れているところを見るに水の中を通ってきたのかもしれない。
(まさか水魔法を……? カールナルド王国にいれば魔法を使えるということなのでしょうか?)
その証拠に噴水の水が次々とクリストフの左手に集まっているではないか。
中庭には誰もおらずクリストフの荒い息の音だけが響いている。
アイビーとオパールを背中で隠しているはずなのに、二人はローズマリーを守るように前に出ていた。
「どうしてここに……っ」
「ああ、ローズマリー! やっと会えた、やっとだ!」
「……何を言っているのでしょうか」
「ローズマリー、一緒にバルガルド王国に帰ろう。帰ったらすぐに結婚式を挙げようじゃないか! 今度こそ幸せにしてやる。守ってやるからな!」
ローズマリーの発する言葉をかき消してクリストフは叫ぶ。
どうやらこちらの話を聞く気はないようだ。
焦点の合わない血走った目、こけた頬とかさついた唇。
ローズマリーの言葉はまったく耳に届いていないのだろう。
ローズマリーはチラリとリオネルが去っていった建物に視線を送る。
リオネルは紅茶とお菓子を用意するよう侍女に言いにいくと言っていた。
だが、すぐに帰ってくることはないだろう。
(わたしがクリストフ殿下から、オパールちゃんとアイビーくんを守らなければなりません)
リオネルが来てくれさえすれば何とかしてくれるはずだ。
彼が来る前までは、クリストフを足止めしなければならない。
ローズマリーは彼の足を草花を操り拘束しようと考えた。
彼にバレないようにゆっくりと草を伸ばして足に絡めようと慎重に伸ばしていく。
(植物を操るのは箱の中ですっかりうまくなりました。もう少しでクリストフ殿下の足を拘束できます)
その間もクリストフはローズマリーに『国に帰ろう』『愛し合っている二人ならば……』と意味がわからない譫言を繰り返している。
(クリストフ殿下は一体、何を勘違いしているのでしょうか)
行き過ぎた妄想にローズマリーはゾッとしていた。
元々、クリストフと愛し合っていた覚えはない。
それによくあんなことをしておいて、ローズマリーがクリストフを愛しているという妄言を吐けるなと怒りが込み上げてくる。
だけど体裁と自分の身なりを気にばかりしているクリストフがここまで必死になっている様子を見て、バルガルド王国で何かあったのだろうと確信する。
よくよく考えたら魔法樹が枯れてしまえば貴族たちは魔法をつかえなくなってしまう。
それだけでバルガルド王国は大混乱ではないだろうか。
(だからわたしを連れ戻しにきたのですね。もうどうにもならないのに……)
だからこそこうして国同士のルールを破ってまでローズマリーと魔法樹を取り戻そうとしているのだろう。
ローズマリーがクリストフを愛しているからついてくると思っているのだとしたら、大きな勘違いである。
(わたしがバルガルド王国に戻るわけありません。クリストフ殿下がおかしくなってしまいました)
このまま彼を刺激しないようにしながらなんとか時間を稼ぎたい。
もう少しでクリストフの足に草を絡ませて拘束できるかもしれないと思っていた時だった。
「魔法樹がこんなにいるじゃないか……! 俺のためにありがとう、ローズマリー」
クリストフは二人が魔法樹だとわかっているようだ。
ローズマリーは彼のありえない発言に唖然としていた。
バルガルド王国に魔法樹を奪われたのだとしたら、アイビーとオパールが不幸になってしまう。
それだけは避けなければならない。二人は絶対に渡さないと抗議しようとした時だった。
「さっさとバルガルド王国に持ち帰ろう!」
「……!」
「コレがあればバルガルド王国はまた栄えることができる! 魔法を使いたい放題だ」
クリストフの発言にローズマリーは震える拳を握った。
アイビーとオパールのこの姿を見たとしても魔法樹を所有物扱いする彼が許せなかったのだ。
ローズマリーは怒りから反射的に口を開く。
「この子たちはモノではありません。勝手なことを言わないでください」
「…………は?」
「わたしはバルガルド王国に帰りません。あなたのことも大嫌いです。顔も見たくありません」
あまりにも身勝手なクリストフの発言には我慢ができなかった。
それと同時に、つい本音が漏れ出てしまう。
というよりは先ほどから勘違いばかりされて気持ち悪いと思っていた。勝手にローズマリーがクリストフを心から愛しているという設定を聞いて鳥肌が止まらない。
クリストフは血走った目を見開きながらこちらを見据えていた。
しまった……そう思った時にはもう遅かった。
折角、バレないように彼の足に巻きつけていた草がブチブチと音を立てながら切れてしまう。
足元を見たクリストフはローズマリーが何をしようとしていたかがわかったのだろう。
額には青筋が浮かんでいき、クリストフは怒りを滲ませる。
「ローズマリー……また俺を裏切るつもりか?」




