①⑤
口端から垂れるよだれをリオネルはさりげなく拭ってくれる。
ローズマリーが申し訳なくなり視線を向けるが、ニコニコと笑顔を絶やさない。
そんな紳士的な対応に感動していた。
小説のワンシーンが体現してきたような王子様。
同じ王太子であるクリストフとはまったく違うことだけは確かだ。
目の前にあるのはローズマリーの夢にも出てきたことはない意味のわからないほど豪華な料理たち。
震える手でフォークとナイフを手に取り、目の前にある肉の塊に手を伸ばす。
フォークとナイフで押さえるとジュワッと溢れる肉汁。
ナイフを動かして大きめにカットする。
断面はほんのりと赤みがあって、更に食欲を誘う。
(孤児院の神父が食べていたあのお肉が……わたしの目の前にあります!)
ローズマリーはゴクリと唾を飲み込む。
緊張からプルプルと震える腕で肉塊を口に含んだ。
「────ふぐッ!?」
ローズマリーの手からナイフとフォークが落ちてしまう。
はしたないとわかっていたが、手を止めることができなかったのだ。
ナイフとフォークが皿とぶつかりカチャリと音を立てた。
「ま、まさか毒が!?」
「…………っ」
「医師を呼んでくれっ!」
リオネルの言葉を否定するように、ローズマリーは口元を押さえてゆっくりと首を横に振る。
目尻からは涙が溢れ出る。
今までバルガルド王国でどんなにつらくても流れなかった涙が……ローズマリーの頬を伝っていった。
(な、なんて罪な味なのでしょう……! この世界には、こんな美味しいものが存在するのですね)
リオネルや周りにいる侍女たちが慌ててる中、ローズマリーは肉塊を咀嚼してから口内に残っている後味と鼻に抜ける香りを楽しんでいた。
ゴクリと肉塊を飲み込んだ後、感動から動けなかった。
暫く自分の世界に浸っていたローズマリーだったが、ゆっくりと口を開く。
「……おいひいれふ」
「は…………?」
ローズマリーの言葉に周囲はピタリと動きを止めた。
「──美味しすぎますっ!」
「……!?」
「お肉が……お肉が口の中でじゅわっと溶けました! こんなに美味しいもの、初めて食べましたっ」
ローズマリーがそう言って目尻の涙を乱暴に拭う。
こんなに脂が溢れてくる背徳的な食べ物がこの世界にあるなんて信じられなかった。
リオネルは拍子抜けしたのか、ホッと息を吐き出しつつも「……よかった」と呟くように言った。
そして慌てて部屋に駆け込んできた医師たちに片手を上げて、大丈夫だとアピールしている。
「このお肉は……罪深いです!」
ローズマリーが真剣にそう言うとリオネルの口端がピクリと動く。
ピクピクと肩が揺れてお腹を押さえつつ笑うのを我慢しているようにも見えた。
(リオネル殿下はどうしたのでしょうか。それよりも冷める前に美味しいお肉をいただかなくてはっ)
新しく持ってきてくれたフォークとナイフを受け取りお礼を言う。
気を取り直したローズマリーは一口、また二口と頬張っていると幸せが溢れていく。
ローズマリーの前に並べられた皿が次々に綺麗になっていく。
今なら無限にお腹の中に入っていくような気がした。
スープを飲み込んだローズマリーはガタガタと震えが止まらなかった。
「こ、このスープはなんて優しい味がするんでしょうか。それに野菜の甘味がじんわりと口に広がって感動です。パンもふかふかあつあつですっ! 頬擦りしたいほど可愛いです~!」
毒が入っていたかもしれないと呼び出されたシェフたちも、ローズマリーの食事への熱意ある感想と喜び具合に感激して涙ぐみながら頷いているではないか。
半分ほどの料理を食べきったところで急激に襲う満腹感。
お腹を撫でると信じられないくらいぽっこりと膨らんでいる。
(おお……なんてことでしょう。お水以外でこんなにお腹が膨らんだのは初めてです!)
ローズマリーが大きなお腹を撫でていると、リオネルは笑いすぎたのだろうか。
涙を指で拭っているリオネルの姿があった。
侍女たちもそんな彼の姿を見て戸惑っているように見える。
(笑いのツボというのは人それぞれですからね……)
フッとローズマリーは口角を上げた。
ローズマリーは内臓を押し上げるような満腹感に苦しんでいた。
お腹が空いても苦しいが、いっぱいになりすぎるのもつらいのだと初めて知ったのだ。
(とても苦しいです。今度から食べる量を調整しなければなりません)
いつもと違う食べ物だからなのか吐き戻しそうになるのを必死に耐えていた。
(ここで吐き戻したら、わたしは一生後悔するでしょう。消化するまで中にいてもらいます)
ローズマリーが満腹感と戦っていた時、リオネルはテーブルに置いてあるナプキンで口端についたソースを優しく拭ってくれた。
リオネルにお礼を言わなければと顔を上げる。
「ありがとうございます。お腹がいっぱいになりました。幸せです」
ローズマリーは無意識に満面の笑みを浮かべた。
大聖堂に閉じ込められた三週間ほどはパンと水。
その後は花の蜜や草、木の実で飢えを凌いでいたためお腹いっぱいになることができた幸せを噛み締める。
つい先ほどまで地獄にいたのに今は天国にいる。
実際に内臓はズンと重たいのだが、羽根が生えたように体が軽かった。
「ははっ、それはよかった。まずは……君の名前を教えてくれないかい?」
「わたしはローズマリーです」
「ローズマリー、色々と聞きたいことがあるんだけどいいかな?」
リオネルの言葉にローズマリーは食い気味に答えた。
「もちろんです。なんでも答えますっ!」
「あ、ありがとう……」
一生の思い出に残る食事を与えてくれたのだ。
なんだって答えようじゃないか。
「なんでしょうか!?」
「バルガルド王国は聖女に対してどんな扱いをしていたんだ? 僕はバルガルド王国のミシュリーヌという聖女しか知らないんだ」
ローズマリーはミシュリーヌの顔を思い出していた。
箱に入る前の憎たらしい顔を思い出して唇を噛み締める。
「……彼女は偽物の聖女です。本物の聖女ではありません」
もう黙っている必要もないと、ローズマリーはミシュリーヌが偽物であることを口にする。
するとリオネルから帰ってきたのは予想外の言葉だった。