その5
「まあ、あれだけ余裕のない動きを“駒”がしているからには御舎弟様の身に何かあったと考えるべきでしょう」
「根拠は?」
「私は残念ながら御舎弟様の実力の程を知りませぬが、若君も殿もそれをよく御存知の筈だ。若君があれほど形振り構わずに動くと云う事は、国の一大事か御家族の一大事があったと云う事でしょうな。流石に国の一大事ならば私とて耳にしている筈。ならば、もう一つの方で若君は慌てられているのでしょうな」
「道理ですな」
理路整然としたヒューイットの読みを聞き、ダリウスは重々しく頷いて見せた。
「ええ、道理です。ですからこそ……疑うべきかと」
声を潜め、ヒューイットは進言した。
「兄上が動き出している、か……。やれやれ、文官の御機嫌取りを開始せねばなりませんかね」
大きな溜息を付きながら、ダリウスはこれからやらなくてはいけない事を素早く勘案し始める。
いくら財政の健全化を目指す兄とは言え、一見すると不必要と思える行動を取れば文官達の不評を買う。只でさえ借金が嵩んでいるのだ、不要な出費を嫌うのは文官の本能と言えた。例え、家中の信望篤い兄でも無理をすれば強い反発を受ける。その上、形式上ではあるが、既に他家の人間でもある。ある意味で杓子定規である事を美徳とする文官からすれば、それらの積み重なりは致命的な反発を生み出すと考えられた。
そうなる前にダリウスが根回しをし、兄が動きやすい状況を作る事こそが最善であると結論づけたのだ。
「それが妥当かと。あの方の事ですから、この後大きな事が起きると考えて置いた方が宜しいでしょう」
「“帝国”が北上してくるのは今少し後でしょうし、アレウスが“覇者”に捕らえられるような真似は兄上の目が黒い間はない筈……。すると、“江の民”が動くか、それともファーロスの一門が何かやらかすか……」
「若しくは、ソーンラントが地図の上から消えるか、でしょうな」
ダリウスの言を継ぎ、さらりととんでもない事をヒューイットは言い出した。
「兄上の覇業が始まる前に終わりかねないな、それは」
突拍子もないことの筈なのに、ダリウスにはそれが尤も可能性の高いこととしてすとんと胸に落ちる。こないだ呼び出された時に見せていた余裕と、ヒューイットの報告から見えてくる兄のそこはかとない焦りから見えてくるものがあった。何としても抑えておきたい何かがあるのだ。“覇者”の思いも寄らぬ伸張に流石の兄も困惑しているのだと感じた。
「せめて、バラーは保って貰わぬと困りますな」
真顔でヒューイットはぽつりと呟いた。
そして、それにはダリウスも同感であったし、きっと兄も同感だろうと思った。
アーロンジェ江のハイランド国境に近い南岸に位置するバラーはラヒルの詰めの城であり、対ハイランドの前線基地でもある。アーロンジェ江北岸にある自由都市や未だにソーンラントに付いている領主達との連絡口でもある。そこより下流が“江の民”の領域である以上、ありとあらゆる意味でソーンラントの生命線と言える街であった。
「流石にバラーが落ちたら、如何なファーロス一門とて東征を続けられぬだろうしなあ」
「御意」
ヒューイットは短い返事をした。
ダリウスは、この男が基本余分なことを言わないことをよく知っている。必要だと思う事はくどくどと説明することもあったが、それが充分に為されたと判断するとダリウスが結論を言う迄は余計な差し出口を一切挟もうとしない。例え自分の結論とは違っていても、主が決めたことには反対すらせず、それを成功させる為に全力を注ぐ。ダイトン・ヒューイットとはその様な男であった。
「俺に何かが出来ると思うかね?」
故に、ダリウスは素直にヒューイットに助言を求めた。
「さて? 我が君の御心の儘に」
知らぬ者が聞いたのならば、責任逃れのはぐらかす言葉であろう。しかし、ヒューイットはダリウスが既に何をするか決めているものと判断していた。
「ま、俺は動けん。兄上にお任せしよう。とりあえず、遣れる事は家中の引き締め、ソーンラント方面への情報収集の強化といざという時に兵を出せる様に準備しておく程度、か」
「既に若君がなされているとは思いますが、殿が殿なりに動く用意をしておくのも肝要かと」
ヒューイットは深々と頭を下げた。
「ま、兄上が俺に声を掛けていない時点で、遣れる事など限られていますからね」
ダリウスがホッと肩の力を抜いた瞬間、
「大将、何か面白い事でも起きてんのか?」
と、騒がしい男が何の前触れもなく入室してきた。
「ブーン殿。流石にノックをしないのは如何と思われるが?」
ヒューイットの苦言に対し、
「大将は気にしねえよ、そんな事。何せ、焦臭い時だぜ、おい」
と、豪傑笑いで受け流した。
「確かに俺は気にしないが、家中の者にはそこら辺五月蠅いのもいるから程々にな」
ダリウスは慣れきった感じでそれを許し、苦笑して見せた。
「流石大将、話が分かる」
「それで、何事だね?」
「ん? 何かそわそわしている感じがするからよ、戦が近いのかと思って先陣を貰いに来たんだぜ」
悪びれるところ一つ無く、ブーンはダリウスに先陣の誉れをねだった。
「負け戦の殿ならば兎も角、先陣は流石にくれと云われたから渡す訳にはいくまい」
流石のダリウスもこれには苦笑しか返せなかった。
父親が“軍神”と呼ばれているだけあり、ダリウスの家はハイランド有数の武門の家である。古来より、先駆けは武門の誉れと言われているだけあり、彼の家で先陣を賜る事こそ最高の栄誉と受け止められていた。
ダリウスが家中からの人気が無いからと言って、彼に付いている者が皆無という訳ではない。その中には家中でも一二を争う剛勇の者がおり、おいそれと外様の将を先駆けに任じる訳にはいかなかった。




