馴れ初め
―――それはある日突然に現れた。
何の前触れもなく一晩にして現れた不気味な居城。隣村の住民は怯え、その日のうちに屈強な男たちによる調査隊が結成された。しかし、期待と不安で送り出した調査隊は日が暮れても帰っては来なかった。
さらなる恐怖に住民が震えるなか、調査隊は翌日の白昼に帰還する。全員揃っての生還だったが、恐怖に震え目を見開く様はとても正気とは思えなかった。
何があったのか問いただす村長に調査隊の隊長の男が声を荒げた。
「生け贄を!屍の王に生け贄を!」
何があったのか、屍の王とは何者か、人々の疑問には答えることなく、隊員たちは口々に同じことを繰り返すばかりであった。かろうじて聞き出せたのは、城には人外の魔物が住んでいるということと、その王が人間の娘を求めているということだけだった。
恐怖は伝播し、瞬く間に村人の心を塗りつぶしていく。生け贄を、生け贄を、とうわ言のように繰り返し、自分以外の誰かに犠牲を求めて回った。
城が姿を現してから三日目の夜。花嫁の衣装を纏った村娘が、一人で不気味な居城の門下を訪れている。頼りない灯火に照らされた横顔はまだ幼く、女性と呼ぶよりも童女と呼んだ方がしっくりとくる。
この娘が生け贄に選ばれた理由は、村で最も「不要な存在」だったからである。村の夫婦の親戚に当たるのだが、両親は早くに亡くなり、引き取られてきた少女に村人は冷たかった。あまり裕福でない村にとって一人でも食いぶちが増えるのは決して歓迎できることではないのだ。
早い話が厄介払い。それによって屍の王の機嫌を損ねる可能性も考えたが、欲をかく人間の浅ましさがその恐怖を押し退けた。
そうしてたった一人で城にやって来た少女だが、実のところどうしていいか分からずにいた。不気味な雰囲気に今にも泣き出しそうなのを必死にこらえながら歩を進めるが、この先どうしていいのか、屍の王は何を求めているのか、自分はどうなってしまうのか、何もかもが未知数であった。
ーーー入るがよい
突然、どこからともなく響いてきた声に飛び上がるほど驚き、しかし辺りに誰もいないことを確かめてさらに不安を募らせる。
ーーー入れ
先ほどよりも苛立った声が響く。いよいよ両目に涙を滲ませながら、幼い花嫁は不気味な城の門下をくぐる。
門の先は庭になっており、暗闇でよく見えないがかなりの広さがありそうだ。この城が現れるまでは特筆するようなこともない森があるだけの場所であったが、本来あるべき木々や動物は見当たらない。
しばらく歩を進めると城の入り口とおぼしき巨大な木戸にたどり着いた。どう考えても少女の力で開く大きさではない。再び途方にくれようかというとき、木戸は何の力かひとりでに開き始めた。
ーーー入れ
先ほどと同じく声だけが聞こえる。その有無を言わさぬ圧力は少女の足を否応なく中へと進ませた。
いざ城の中に入ると、村の広場よりも大きなエントランスが少女を迎えた。大きな城のエントランス等と言えば年頃の娘ならば心踊らせる場所の一つだが、少女のいる場所はそんな理想とは程遠く、陰惨な拷問部屋を思わせるような内装をしていた。実際に装飾品と言わんばかりに壁際には様々な拷問器具が飾られている。
エントランスには二階へ登る階段が左右に一ヶ所ずつと、正面に入り口ほどではないにしろ、大きな扉が待ち構えていた。
ーーー進むがよい
言葉と共に正面の扉が開く。
もはや涙は瞳を溢れ、顔を歪めて泣きじゃくりながらもどうにか足だけは前へと進める。
そして遂に、少女は屍の王との謁見を果たす。
エントランスの先にあったのは玉座の間。最奥にあるのはどう考えても人間用ではない巨大な玉座。そこに鎮座している者こそが屍の王である。その姿は明らかに人間とかけ離れていた。
本来肉や皮膚のあるべき部分には何もなく、衣類からはみ出た部分は全て骨格のみで構成されている。しかも、その骨格ですら人間の物ではありえない、禍々しく尖りのある形をしていた。
「ようやく参ったか、小娘」
今度は頭に響くような声ではなく、まさに目の前の王が発した声が少女の耳に届く。最も、全身骨格の身体のどこから声が出ているのかは未だに謎のままだが。
「お、お初目にかかります。偉大なる・・・」
「下らぬ世辞は不要である。どうせ意地汚い村人どもに仕込まれたのであろう?」
「あっ・・・」
図星だった。村を出る前に、屍の王の機嫌だけは損ねぬようにと、大人に囲まれてあれこれと付け焼き刃の作法を学んで来たのだ。しかし、屍の王はそれを一見して看破した。もしかしたら何かしらの呪術で様子を見ていたのかもしれない。
「しかし何だその格好は、まるで花嫁ではないか。我輩は娘を一人寄越せと言っただけであるのに、人間の愚かな浅知恵には嘆息せざるを得んな」
屍の王の言う通り、少女が花嫁衣装なのは村人達の発案であった。調査隊の隊員は屍の王の言葉をそのまま伝えたが、多くの村人はそれを「花嫁」又は「生け贄」であると解釈し、そのどちらでも良いように花嫁衣装で送り出したのだ。
「まぁそんなことはどうでも良い、早速だが小娘よ、貴様を呼んだ目的を果たさせてもらおうか」
「ひっ」
覚悟はしていた。が、いざその時となると恐怖がぶり返してきて小さな悲鳴が漏れる。一体自分はどうなるのか?殺されるのか、玉座の間にも並べられた拷問器具の利用者となるのか、はたまた人ならざるものに変えられてしまうのか。少なくとも、幸福な未来だけは見据えることが出来なかった。
ある種の覚悟を決めて待つ少女に、屍の王から審判が下る。
「小娘、着ているものを全て脱げ」
「えっ・・・えっ?」
「二度は言わぬ、さっさとしろ」
冗談、ではなさそうだ。しかし、少女の目から観てもこの屍の王に性欲のようなものがあるとは思えない。自然と頭をよぎるのは自分を捕食する骸骨の姿だった。
「あの・・・わ、私を・・・食べますか?」
「問答など求めておらぬ」
小難しい物言いは少女に理解出来なかったが、もはや他に道がないことは理解できた。
覚悟を決め、村人から着せられたウェディングドレスを頭から順に外していく。慣れない服への戸惑いと、これから起こることへの恐怖で平時の倍以上の時間を要したが、王の要望通り、そこには産まれたままの姿の少女が立っていた。
両手を身体の前で祈るように組み合わせ、少しでも身体を見られまいと努力する。
「ふむ・・・」
そんな少女の姿を頬杖をついて眺める王は、やがてポツリとつぶやく。
「つまらんな」
ただそれだけだった。少女の覚悟も、恥じらいも、涙も、諦念も、そのどれにも一切の興味がない。何の感情もこもらない一言。
「あの・・・これは?」
「ふん、以前書物で読んだ人間の悪王の真似事をしてみたが、まるで理解出来んな。人間とはこの様なことに快楽を覚えるのか・・・くくっ、全く滑稽である。そうは思わんか」
「ふぁ」
少女がその場に崩れ落ちる。一糸纏わぬ素肌が埃まみれの床に触れるが、今はそんなことは頭に入ってこない。ただただ、自分が生かされたという事実だけを噛み締めていた。
「ふぇ・・・えぇぇーん!!」
今まで堪えてきた分を吐き出すように、滝のように涙を流し遠吠えのように声を上げる。もはや自分の置かれた状況などどうでもよかった。全てを放棄してひたすらに泣きじゃくる。
が、当然屍の王はそんなことに頓着しない。
「五月蝿い」
言葉と共に手を真横に一振りする。たったそれだけで少女の嗚咽は止まり、その両眼が再び王に固定された。
「ふむ、一度で止まるか。先日の男共より楽で良い。奴らときたら少しばかり幻覚を見せただけで童の如く震え上がりおっての、こちらの用件を伝えるのに無駄な時間を要したものである」
「ぶ・・・」
「なんだ?」
「ぶたないで・・・下さい・・・泣きません、うるさくしませんから・・・」
村で虐げられてきた少女にとって、それは生きるために必要な技能だった。いつまでも泣いていればやがて苛立った大人に体罰を受ける。言うことを聞かなければ食事を抜かれる。あの村で少女が生きるためには、従順であり続けるしかなかったのだ。しかし-――。
「今、なんと申した?」
「ぶ、ぶたないで下さい」
それは王の逆鱗であった。
「ぶつなだと!?小娘風情が我輩を愚弄するか!」
「ひっ!ご、ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!」
「恐怖の権化たる我輩が、暴力などに頼らねば恐怖を与えられぬと、そう申すか!?甚だ不愉快である!」
当然少女にそんなつもりはなかった。これまで生きてきた短い経験から、泣き続けるとぶたれるということが刷り込まれ、本能的に痛みをさけようとしたに過ぎない。だが、王にとっては最大限の侮辱であり、感情の読めない骨の顔からでも怒気が伝わってきた。
思わぬ反応に少女はパニックに陥り、ただひたすらに謝り続けることしかできない。
「もうよい!早々に立ち去れ!」
「ぁ・・・えっ?」
「失せろと言っておる、さもなくば死よりも大きな苦痛を与えるぞ」
「ひっ!」
短い悲鳴をあげると、まだ温もりの残ったウェディングドレスを掴んでその身を翻す。純白の布地を抱くようにし、そのまま振り替えることなく玉座の間から飛び出していった。
「ふん、やはり人間など迎えるべきではなかったか・・・不快しか残らなんだわ」
苛立たしげにそう言うと、巨大な玉座から立ち上がり、屍の王もまたその身を翻した。




