千手観音(ムゲン)
ジョーイの視線の先には、無邪気に燥ぐ少女と白衣の天使がいた。
(くそ、早く部屋に帰れよ)
現在、ジョーイは熊のパンツ一枚でベランダに放り出されている。部屋の中で、何が起きているのかは全く見当がつかない。
「ねえ、看護婦さん、アレ・・・・」
無邪気な少女は、ジョーイのいるベランダを指した。ついに彼にとって最も恐るべきことが起こった。
「あ、お前はジョーイ」
看護婦は先程までの笑顔は何処へやら、般若のような顔になると、下から罵声を浴びせてきた。
「この、クソ野郎が、さっさと部屋でマス掻いてろゴミが」
「おい、やめろ、俺に優しくしろ」
「うるさいんだよ。このチンポ」
ジョーイの顔色が真っ青になった。彼女は近くにいた少年に声をかけると、彼の持っていた玩具の銃を取って、ジョーイに向けてきたのだ。
「何だそれは?」
看護婦の持っている物はエアガンである。彼女はそれでジョーイを狙い撃ちにした。
「いでえええ」
肌身には堪える痛みだった。天使は悪魔へと早変わりし、彼を責め立てた。褐色肌は赤みを帯びて、丸い跡がいくつもついている。
「俺は終わりか、こんな情けない姿で死ぬのか~」
ジョーイの叫びは、防犯ガラスの向こう側には届いていないのであった。
一方、部屋の中では平子と、一人の老人が向かい合っていた。
「あら、おじ様何か用かしら?」
「ジョーイ君は何処かな?」
白髪の老人は平子の横を通って、窓のカーテンに触れようとした。だが、それを平子が止める。彼の腕に両手を回して、甘えるようにもたれ掛かった。
「ねえ、おじ様~。ジョーイは良いから、私と遊びましょう」
老人の腕に胸を押し付けて、体をくねらせた。老人はパッと、平子の腕を振り払った。
「悪いのう。わしの知っている平子は、そんな風に男に媚びるような言い方はしないはずだが」
老人はニヤリと笑うと、両手を前に突き出した。
「誰もいなくて良かったわい」
老人の体が金色に光った。そして老人の両肘の先から金色の、まるで金箔で塗りつぶし様な色合いの、二本の腕がそれぞれ出現した。
「これはパンドラ?」
「んふふ、その通り。わしのパンドラは千手観音」
まさに二人の間で衝突が起きようとしていたその時、窓が突然割れた。そして槍の先が、平子の肩を僅かに掠めた。
「うあ・・・・」
平子は思わずよろめいた。ジョーイがライオネルを片手に、窓を割ったのである。その顔は怒りに満ちていた。
「全部、聞こえたぜ。窓に小さく穴を開けといたんだよ。爺にもムカつくが、やっぱり平子ちゃんに化けた、お前の方がムカつくぜ」
ジョーイはライオネルを偽平子に向けた。
「待て、ジョーイ君。わしに任せろ」
老人は力を入れると、黄金の腕で、偽平子の顔面を殴った。
「うげあああ」
偽平子の顔にヒビが入った。そして後ろのベッドに倒れた。
「やるな爺。偽の面が破れて、下衆な顔が露わになったぜ」
平子の顔が砕かれ、本当の顔が現れた。何とそれは男性だった。
「何、男だと?」
「くそ、バレちまったか。俺の名はルーク。パンドラ名は出来損ないの模範」
老人は黄金の腕をさらに背中から二本生やした。これで、合計6本の手になった。
「千手観音とは行かぬが」
老人はルークに黄金の腕による拳のラッシュを放った。
「ぐああああああ」
ルークは顔面をボコボコに殴られて、そのままベランダまで吹っ飛ぶと、顔面を赤く腫らして、最早、人なのかどうかも分からなくなっていた。
「さあて、爺、確か名前は竜とか言ってたな。後で本名聞かせてもらうぜ。その前に、このルークって野郎に話がある」
ジョーイは腰を抜かしているルークの胸倉を掴んだ。そして無理矢理に立たせた。
「おい、クソ野郎。一つ聞きたいことがある」
「な、何だ・・・・?」
ルークは鼻水やら涙やらでベチャベチャに顔を汚していた。
「うわ、汚ね。まあ良い、お前らのボスは何処にいるんだ?」
ジョーイはドスの聞いた声で、ルークの耳元で叫んだ。
「そ、それは言えねえ」
ルークはジョーイから視線を外して、外の庭を見ていた。今度は老人の竜が脅しにかかる。
「わしはお前のボスの名を知っている」
「何?」
驚いたのはルークだけではない。ジョーイも同時に振り返り、竜の顔を見た。
(知っているだと、こいつは本当に何者なんだ?)
「神崎裕人。だろ?」
「ひっ・・・・」
ルークの顔が見る見るうちに青くなっていく。そして乾いた唇を震えさせ、そのまま泡を食って気絶した。
「おい、もしもーし」
ジョーイは乱暴にルークを振り回すが、一向に目覚める様子はない。仕方がないので、そのままベッドの上に寝かせると、竜の元へ近づいた。既にお互いのパンドラはしまってある。
「おい、爺、あんたはいきなり出てきて、本当に意味不明な野郎だぜ」
「ああ、そうかの」
「ふざけるなよ。俺達はマジで命かけてんだ。知っていることを全て話せ」
「嫌だと言ったら」
「ふっ、簡単さ」
竜はてっきりジョーイが脅しをかけてくると思っていたが、彼のやり方は全く予想外のものだった。
「こうするんだ」
ジョーイはベランダに出ると、取っ手の部分に、まるで乗馬でもするかのように乗った。
「何をする気じゃ?」
竜の額に汗が流れる。
「話してくれないなら、俺は飛び降りる」
「何・・・・?」
「言った通りの意味だ」
ジョーイは本気だった。彼は冗談でハッタリをかますような人間ではない。それはこの数日間で、竜も知っていた。だが、彼が何故、暴力に訴えず、このような手に出たのかは、甚だ疑問だった。
「奇妙なことだが、俺はあんたを信用していない。しかしさっきの平子ちゃんの偽物に対する怒りの表情は、本物だった。だから俺は、あんたが良い人であることに関しては信用している。もしあんたが冷酷な悪党なら、俺が飛び降りても構わんのだろう」
ジョーイはベランダから庭を見下ろした。いくら人工芝でも、以外に芝の量は薄く、飛び降りれば、良くて骨折、悪くて死ぬだろう。
「お主はズルいのう」
「お互い様だ」
竜は観念したように笑った。ジョーイも釣られて同じく頬を緩ませた。
「こっちに来い。君の執念の勝利じゃ」
ジョーイは部屋に戻った。そしてベッドの端に腰かけると、竜がゆっくりと話し始めた。




