シミュラークル(出来損ないの模範)
「主様」
ジョーカーは螺旋階段を上り、ところどころ錆びて、赤く変色した両開きの扉を開いた。ゴゴゴッと重苦しい音と共に、松明で照らされた石造りの部屋が見えてくる。部屋の奥にはベッドがあり、ピンク色のベールで囲まれており、黒い人型のシルエットが横になっている。
「お休み中でしたか」
ジョーカーは床に片膝を付け、己が主の目覚めるのを待った。
「キングは敗れたか・・・・」
シルエットはベールを破き、ベッドから出た。そしてその素顔を、実に久しぶりに外界に晒した。
髪は美しい銀髪。射抜くような切れ長の碧眼に、汚れなき、まるで彫刻のような洗練された肉体美、全てのパーツが完璧に配置された、端正な顔立ち。化粧をしているかのような妖しく透き通るような血色。見る者を無意識に屈服させてしまうであろう、危険な魅力を兼ね備えた男が、ジョーカーの前にその姿を現した。
「ああ、神崎様・・・・」
ジョーカーは男の名を口にした。神崎は彼女の顎にそっと触れると、その次に唇に触れた。彼女の真紅の唇が、緊張で強張る。
「私が行かねばならない。九条を始末する。そして我が栄光の日々を今こそ確立するのだ」
神崎は、ジョーカーの横を静かに通り抜けると、扉を開けた、冷たい冷気が部屋に入ってくる。
「待ってください。神崎様。あなたが行かれる必要はありません」
ジョーカーは神崎の背中に頬を付け、縋り付いた。そして何かの合図だろうか、親指を鳴らした。
真っ暗でよく見えない、螺旋階段の下に、同じく黒いローブを纏い、闇に溶け込んだ四人の人間が、片膝を付いていた。
「奴らは?」
神崎はジョーカーをチラリと見た。彼女は口元に笑みを浮かべると、神崎をその場に残して、黒いローブの者達の元へ向かった。
「神崎様、この者達は、己の命を神崎様に捧げるために集まった者達でございます。あの老いぼれが金で雇った部下とは違う、正真正銘、神崎様のために命を捨てる覚悟で現れた、悪魔四闘士、右からボーン、ナイト、ルーク、ビショップの四人でございます」
「ほう・・・・」
「キングの雇った、トランプの六騎士をはるかに上回る者達で、きっと神崎様のお役にたちましょう」
悪魔四闘士は、立ち上がると、そのまま闇の中に消えた。九条平子を抹殺するために、彼らの活動が始まった。
東京のとある病院の、とある病室で、ジョーイは一人窓を見ていた。その表情は険しく、この世の全てを憎んでいるかのように歪んでいた。
「ちくしょおおお、平子ちゃんに隼人の野郎。全然見舞いに来ないじゃないか」
ジョーイが入院してから2週間が経とうとしていた。初めは一日おきに見舞いへと来ていた平子と隼人は、いつの間にか、彼の存在を記憶の彼方へと抹消したように、めっきり来なくなった。
「くそ、藁人形を手に入れて、裏山の神社で呪いを掛けるぜ、奴らに・・・・」
ジョーイが一人で復讐の炎を燃やしていると、病室の扉がノックされた。
(もしやお見舞いか)
ジョーイの期待は当たっていた。病室には制服姿の平子が一人入ってきた。時間的にも学校帰りであると思われる。
「ぬおおお、平子ちゃん来てくれたのか」
「ふふっ」
平子はニコッと笑うと、病室の扉を閉めた。そして手に持っている、果物の詰め合わせバスケットをテーブルに置いた。
「気分はどう?」
「ああ、バッチリさ」
「じゃあ、私がリンゴを剝いてあげるね」
平子はナイフでリンゴを剝き始めた。以前より上手くなっているのか、手早く切ると、上級者の為せる技である、兎型にリンゴを切り揃えていた。
「私が食べさせてあげるね」
平子はフォークでリンゴを刺すと、ジョーイの口元に近付けた。
(何だ、今日の平子ちゃんはいつもと違うぞ。ドキドキするぜ)
「あ、そうだ」
平子はフォークに差したリンゴを皿の上に戻すと、ベッドの上にちょこんと乗った。そしてジョーイの腕に、自分の両腕を絡ませた。
「な、何だい平子ちゃん?」
冷静を装ったつもりが、声が裏返ってしまう。ジョーイは平子の様子がおかしいことに気付いていた。もしや自分に気があるのでは、などと彼らしい妄想に満ちた解釈をした。
「ねえ、私ってどうかな~」
平子はジョーイの前で、手を頭の後ろに持ってきて、モデルがよくするようなぽーすをキメた。
「どうって・・・・?」
「私って魅力ない?」
平子は不安そうに上目遣いで、ジョーイをじっと見つめた。
「んなことはないぜ。俺は君にメロメロだからよ」
ジョーイも気が気でないようで、眼が泳いでいる。それに対して平子は嬉しそうに、ジョーイに抱きつくと、ベッドにそのまま崩れるように押し倒した。彼女の胸が丁度、ジョーイの顔に当たっている。
「んぐうう・・・・」
ジョーイは顔を塞がれ、窒息寸前だった。しかし彼に後悔はなかった。
「じゃあさ、ふふふ、しちゃおうか」
平子は小悪魔のごとく微笑むと、舌をペロッと恥ずかしそうに出した。
「病院だよ・・・・」
「え、ダメなの?」
「んなことはない。さあ、一緒に愛を貪り合おう」
ジョーイは平子をベッドから降ろすと、手早くパジャマを脱ぎ始めた。そしてあっという間にパンツ一丁になった。
「へへへ、さあ平子ちゃんも」
「待って・・・・」
平子は口元に人差し指を当てて、扉に耳を付けた。遠くからコツコツと歩く音が聞こえてくる。そして扉の前で止まると、ジョーイの病室の扉をノックした。
「どうしよう、人が来ちゃったわ」
「何ぃ・・・・?」
平子はジョーイの手を掴むと、無理矢理ベランダに彼を立たせて、窓を閉めようとした。
「おい、どういうつもりだ?」
「しばらく待ってて、すぐ追い返して、窓開けるから」
平子はそれだけ言うと、ベランダの窓を閉め、ご丁寧に鍵まで掛けた。そして白のカーテンで窓を塞ぎ、扉の方に向かって行った。
「おい、ウソだろ平子ちゃん」
ジョーイは現在、ベランダにパンツ一枚で立たされている。ベランダにパンツ一枚で過ごす人間など、変態か、ジョーイぐらいのものだろう。彼はベランダから、病院のよく手入れされて、綺麗な人工芝の庭を見た。車椅子を、優しそうな看護婦が押して、椅子の上にはパジャマ姿の少女が座っていた。
「かつてないほどに大ピンチ」
ジョーイはムンクの叫びのように、口を大きく開けて、声にならない、文字通り叫んだ。
(ちなみに今日のパンツは熊ちゃんの刺繍入りです)
部屋の中はカーテンのせいで、様子が確認できないが、どうやら長い用事らしい。一向にジョーイに救いの手は差し伸べられない。彼の孤独な戦いが始まった。




