2 72時間前(後編)
まるで甘い綿菓子のような、どこか掴みどころがない声に、私は振り向いた。
「ライアス殿下……」
ライアス殿下は手をひらひらと振り、足取り軽く近づいてくる。夕日を浴びてオレンジ色に輝いている金髪を、気怠げにかき上げた。
殿下は窓の外に、横目で視線を送る。
「あー、君の婚約者殿は、また愛しの妹君と帰ったんだね。婚約者の君を残して」
「えぇ。これからカトリーヌ様の診察があるそうですわ」
「あぁ、なるほど。本当にアルベールは過保護だな、ふっ」
殿下は顎に手を当て頷くと、意味深に笑みを浮かべた。
「ご友人である殿下からも、注意していただきたいですわ。いくら家族だからといっても、血の繋がらない独身の男女が、あのように人目も憚らず、べ、ベタベタと……」
自分でもあまりに下世話な話をしてると気づき、私は口をつぐんだ。
「残念ながら、俺は他人の事情には口を挟まない主義なんでね」
「……えぇ、申し訳ございません」
私は再び窓の外を見るが、二人の姿はなくなっていた。
「ただ……、レディが一人で、こんなにも健気に耐えている姿を見ているのは、俺としてもつらいな」
そう言う殿下の口調は、心配しているとも、からかっているとも取れる。
前髪の隙間から覗く青い瞳と視線が合うと、なんとなく気まずくて目を逸らした。
ライアス殿下は隣国シルフェード王国の第二王子で、この学園へ留学されている。
我がトレーリア王国には幼少の頃から度々訪れていて、外交を司るヨーク公爵家の子息であるアルベール様とは付き合いがあったという。
私が殿下と初めて顔を合わせたのは、二年前に殿下がこの学園へ来学された時だった。
アルベール様が殿下に、私を婚約者だと紹介してくれた。
それからは、これといって特別に交流はなかったのだけど。
――半年前、この場所で殿下と再会した。そういえば、あの日も今日と同じように、夕日が綺麗な日だった。
『アルベール様。いくらカトリーヌ様が病弱でも、もう子供ではないのですよ? そんなに付き添う必要はあるのですか?』
その日私は、婚約が決まってから二年半の間、ずっと疑問に思いつつも、ずっと言えなかったことを口にした。
カトリーヌ様が学園に入学してから、毎日のようにアルベール様は彼女と登下校を共にする。
病弱な彼女を気づかうように、寄り添って……。
『ローゼ、君は正気で言ってるのか? カトリーヌは大事な家族なんだぞ。付き添うのは当然ではないか!』
『家族と言いましても、……血の繋がらない年頃の男女が……』
『君までも、そんな下世話なことを言うのか? 見損なったぞ!』
アルベール様は苛立ちを見せると、こちらを見ることもなく立ち去っていった。
やはり言うべきではなかったと、後悔の念に駆られて、しばらくその場で立ち尽くしていた。
『そこの君、そんなに眉間にシワを寄せたら、美人が台無しだよ?』
そう声をかけてきたのが、ライアス殿下だった。
殿下は全てご存知なのだろう。私たちの関係が悪いことも、アルベール様とカトリーヌ様の関係も。
それからというもの、私が眉間にシワを寄せるそのタイミングを見計らったように現れる。
口調も軽くて、ふわふわと捉えどころのない、雲のような方だと思った。
でも、深い空色の瞳で見つめられると、全てを見透かされそうで、落ち着かなくなる。
独身の男女が話すために、適正に保たれた距離。夕日に照らされて長く伸びる殿下の影すら、交じり合うこともない。
ここ最近は、アルベール様より、殿下と話す時間のほうが長い。
婚約者の友人、という関係だけでは近すぎる。だけど、私の友人というわけではない。
ただ、ここで、遠ざかる二人の後ろ姿を見送り、殿下は私の愚痴を聞いてくれる。
そんな、名前のない関係だった。
殿下は窓に手を触れて外に視線を向けていたが、突然思い出したように声を上げる。
「あ、そうだ。ローゼ嬢に見せたいものがあるんだ。明日、俺のサロンに来てくれるかい?」
「え? ……はい、承知いたしました」
(私に見せたいものって、何かしら……?)
私は戸惑いつつも、頷いた。




