7.戦闘薬と成長する悪。そして奪われた足。
魔力を纏わずとも、レベルアップボーナスによって強化された身体能力は、すぐにカゲキラとキャミーの元へとクロエを送り届けた。五十メートル先で戦闘を続ける二人の様子を瓦礫の陰から覗き見る。
カゲキラが前に出る。キャミーが下がる。その逆はない。状況ははっきりとキャミーが劣勢であると告げていた。
キャミーは同胞を殺された怒れる銀鎧龍蟲をカゲキラへの盾かつ矛とし、カゲキラの邪魔をする立ち回りで戦闘を続けていた。それにより本来の実力差ではありえないほどのカゲキラの魔力を削っていた。
しかし銀鎧龍蟲は全て屠られた。キャミーを待っているのは二度目の死だけだった。
カゲキラは銃弾を弾き、躱し、時には〈魔纏〉の防御力に身を任せて、徐々にしかし確実にキャミーへの距離を詰めていく。
クロエはカゲキラの動きを観察しながら、戦闘薬の紙箱を開ける。中には大きめの錠剤が3つ入っていた。1つでおよそ5分間、能力を大きく上昇させる代わりに、効果が切れた後は反動として意識を失い1日は寝込むことになる。
クロエは戦闘薬の錠剤を3つまとめて嚙み砕いた。口に苦い味が広がる。効果が薄まる前にとっておきの継続回復薬で流し込む。
血が巡り、脳が冴え、世界が遅くなったように感じる。しかし一方で全身の筋肉は痙攣を繰り返し、てんでバラバラの方向へ勝手に動き出そうとする。劇薬を感知した胃が自律反応として戦闘薬を吐き戻そうとする。
「私の身体の女王は、私だ。従え」
強烈な意思によってクロエはそれらの反応を全て押さえこみ、機を待った。
わずか数秒後。
カゲキラが魔剣の斬撃範囲20メートルにキャミーを捕らえた。放たれるのは不可避の斬撃。キャミーが僅かな希望を掴もうと後方に跳んでかわそうとするが、その分以上にカゲキラが踏み込む。それが可能な距離、体勢、タイミングだった。キャミーが阻止し続けていたものだ。
命を刈り取る一瞬。キャミーの貌が憎しみに染まり、カゲキラが僅かに優越を顔に出した。その一瞬だった。
ゾクリ、とカゲキラに悪寒が走る。第六感が、熟練の冒険者として何度も死線を越えてきた勘がささやいた。
猶予は一瞬だった。死神を幻視するほどに濃密な死の気配がその持てる武器を振り下ろす。カゲキラはキャミーを横薙ぎに両断しようとしていた魔剣を翻して、自信の背後に掲げた。
重く轟く金属音がヨコハマ街遺跡を震わせる。
「チィィッ!」
「フハハハハ! 元気なのは足の健康のために結構だが、殺気を隠しきれていないぞッ!」
クロエの不意打ちの一撃。魔力感知を避けるために〈魔纏〉を使っていないとはいえ、戦闘薬を使用した全力の一撃を、カゲキラは片手で受け止めさらに嗤う。
「珍しいな! 足が逃げずに私に向かってくるとは! 足とは私に愛でられる以外には、私から逃げるためだけについているものかと思っていたぞッ!」
「よくわからないけど! 嫌われてるんじゃないのッ!」
「本物の愛とは愛することだ……むっ!」
カゲキラはクロエの両手斧を弾き返すと、側方に跳んでその場を離脱する。直後に二人の間を巨大なスラッグ弾が通り抜けた。
カゲキラは再びキャミーを追い始める。キャミーは下がりながら両手に持った銃を乱射する。クロエは巻き込まれないようにカゲキラと距離を取って並走しながらキャミーへ叫んだ。
「キャミー! あんたもこの男をブチ殺したいってことでいいのよね!」
キャミーが銃声に負けない大声で応える。
「その通りにゃ! ウチのパーティはあんたらが起こした爆発程度で死ぬ奴らじゃないにゃ! それが真っ二つに斬られて死んだにゃ! ウチも! ウチの恋人もにゃ! ジッドの遺品なんかもうどうでもいいにゃ! 協力したらくれてやるにゃ!」
「オーケー。当てるんじゃないわよッ!」
「そっちこそ散弾に当たったくらいで死ぬんじゃないにゃ! つーかお前、ウチとカゲキラを同時に殺せるチャンスを伺ってたにゃッ!?」
「一番面倒が少なそうだったからね。とりあえずもうしないから安心して」
「んにゃーっ! ……まぁ、今はいいにゃ! とにかくコイツをブッ殺すにゃ!」
クロエがカゲキラを横撃する。《魔纏》も使用して身体能力を限界まで上げた正真正銘の全力の一撃だ。キャミーの散弾もスラッグ弾も足を止めずに対処していたカゲキラだったが、流石にクロエの一撃を受け止めたカゲキラはその場に縫い付けられる。
「……面倒な」
一瞬の判断でカゲキラは受け流しに切り替える。両手斧の刃を直剣で滑らせて横に落とし、体勢の崩れたクロエの腹に蹴りを叩きこむ。
隙と見たキャミーが大口径のスラッグ弾を撃ち込むが、カゲキラは僅かに身を引いて躱していた。クロエとカゲキラは反対方向に離れていくが、まだ魔剣の攻撃範囲。
伸長した魔力の剣身による横薙ぎの一撃。
クロエは両手斧の柄を上げて防御した。レベル8武器の頑丈さがあるからこそ耐えられている。
カゲキラは唇を舐めた。
「……反応できるのか。やはり戦闘薬を使っているな。だがこれほどの大幅な能力向上。放っておいてもじき戦闘不能になる」
カゲキラは戦いにおいて冷静さを失わない。積極的に攻撃を仕掛ける必要はないとしてクロエを放ってキャミーを追おうとした。
時間制限を自覚しているクロエは地に手をついて足から着地すると、即座に突貫を仕掛けた。かわせばキャミーから距離が出来てしまう角度、タイミングだ。キャミーから距離を取りたくないカゲキラは舌打ちをするとクロエを迎え撃つ。
「その受け流しは、さっき見たッ!」
受け流した直後に振るわれたカゲキラの魔剣を、体勢を崩すことなく両手斧から手を離すことでかわす。カゲキラも武器を手放す予想外の動きに驚きで目を見開いた。
空中で体勢を変えてのクロエの蹴りを、カゲキラは腕を上げて防御した。直後、カゲキラの脇腹に直径7センチにもなる特殊スラッグ弾がめり込む。
「ぐっ……!」
柔らかくすることで貫通力を抑え、代わりに衝撃力を大幅に増加させたホローポイント弾頭は着弾の衝撃を余すところなくカゲキラに伝える。その威力はカゲキラの《魔纏》をもってしても完全には減衰させられなかった。身体がよろめく。
このスラッグ弾のせいでカゲキラは銀鎧龍蟲との戦闘で、予想よりも大幅に魔力を消耗することになった。銀鎧龍蟲に隠れ、または散弾を目くらましとして、撃ち込まれるこの特大の弾丸は、食らう度に体勢が崩れ、モンスターたちの追撃を呼んだ。
キャミーが使用しているのは二丁一対のレベル8散弾銃『蛇と蜂』。右手に超大口径の特殊スラッグ弾のみを吐き出す『蛇』を、左手に散弾のみを撃ち出す『蜂』を握っている。
カゲキラがぐらついた一瞬でクロエは離した機工両手斧の柄を掴む。動きの勢いを殺さない回転斬り。カゲキラは両手で魔剣を抑えて機工両手斧の一撃を受けるも、踏ん張り切れずに10メートルほど飛ばされて着地する。
「大したパワーだ。しかしやはり反動も相当のようだな」
クロエの全身からは限界を超えた稼働によって血が噴き出していた。袖口から垂れた血は両手斧の柄を伝う。クロエは垂れてきた鼻血を拭うと凄絶に笑う。
「戦闘薬は初めて使ったけど、いいものね。激痛を我慢するだけであなたと互角に戦える」
「……フン、馬鹿が。肉体を必要以上に酷使して得られるものは……」
自然主義者の立場から鼻で笑おうとしたカゲキラだったが、己の最も大事とするものが汚されていることに気が付く。
「……っておいッ! 貴様ァッ! 足を大事にせんかッ!」
「え? あぁ。そっか。あなたの大好きな足も傷だらけになってると思うわよ。最初あなたを不意打ちした時から血を踏んでいる感触がするもの」
カゲキラは冷静そのものだった表情を憤怒に歪めた。ざしゅ、と一歩踏み出す。
「殺す。貴様がこれ以上、足を傷物にしないうちにな」
カゲキラが足への激情に流された一瞬をキャミーは見逃していなかった。左手の『蜂』から散弾銃が撒き散らされ、カゲキラへ横薙ぎの雨となって襲い掛かる。一瞬反応が遅れたカゲキラだったが、迫る来る弾丸を横目に見やる。
「……ハッ」
散弾はカゲキラの全身に一斉に着弾する。しかしカゲキラは多少魔力を込めて《魔纏》を強化しただけでそれら全てを無傷でやり過ごす。
カゲキラはそれで終わりだと思っていた。実際数十秒前までならそれで終わりだった。一回引き金を引くたびに散弾が一斉に発射され、連射をしたいなら都度引き金を引かなければいけない。一瞬の間がある。
しかし、今はその間がなかった。着弾、着弾、着弾着弾着弾着弾着弾着弾着弾着弾。振りしきる雨が路面を打ち続けるように、散弾はカゲキラの身体に降り注いだ。一つ一つの散弾の威力は微弱でも、それらが積もり、重なり、膨れ上がる。
銀鎧龍蟲との戦闘時には流れ弾で敵意を引くことを恐れて、その後は伏せ札として、使わなかった『蜂』の全自動連射機能だ。加えて、雨の中には大粒の雹も混ざっている。『蛇』から放たれる超大口径特殊スラッグ弾である。
「ぬっぅぅぅうううう!」
カゲキラは耐えていた。零コンマ数秒経過するだけで膨れ上がる衝撃。吹き飛ばされたら遥か彼方へ押しやられることは分かっていた。
二人が追ってくるなら吹き飛ばされてもいい。だが万が一にもキャミーに逃げられる事態、それだけは避けなければいけなかった。キャミーには縁故がある。友人がいて、親もいる。知り合いが多く、友好的であり、社会的影響力がある。
キャミーが周囲にカゲキラに殺されかけたと声をかけて回れば、周囲の人間はカゲキラよりもキャミーを信用し、カゲキラのことを疑い始めるだろう。カゲキラにギルドの調査の手が伸びれば一巻の終わりだ。積み上げた信頼も塗り固めた嘘の仮面も、時間がかかろうとも間違いなく砕け落ちる。
「キャミーはなんとしてでも確実に今、このヨコハマ街遺跡で殺さなければッッッ!!! 私が! 私であり続けるためにッ!!」
肉体の死よりも忌むべき、己の精神の死をカゲキラは予見する。その恐怖は、最悪の未来への拒絶は、長年の冒険者活動により、極限まで研ぎ澄まされた集中力へと変換された。
一閃。
静寂がヨコハマ街遺跡を包んだ。
散弾の嵐が途切れる。キャミーが身体を支えきれなくなり、崩れ落ちる。その身体は二つに分かれてアスファルトの瓦礫の上を転がった。
30メートル先のキャミーを切断した魔力の剣身が、徐々に短くなり直剣を覆う程度にまで縮み、そして消えた。
カゲキラは無言で直剣を握っていた右手の平に視線を落とす。肉体が耐えきれない力で握っていたのかいつの間にか血まみれになっていた。
「ふぅ~」
「ッ、ァアァァァアアアっっっ!!」
カゲキラの覚醒を悟ったクロエによる一縷の望みをかけた突貫。両手斧を振りかぶる両腕は破断しそうな激痛を訴え、地を蹴る両脚からは血が噴き出る。
「無駄だと分かっているだろう」
が、一瞬の交錯ののち、クロエは瓦礫のアスファルトを舐めていた。なんとか身体を起こして違和感が通り抜けた自らの右足に視線を向ける。
脛の半ばから下が存在しなかった。
「私は追い詰められた時に力を発揮するタイプだったようだな。他人事に聞こえるかもしれないが、私は今、素直に喜んでいる。いや。自信はあったさ。常に私ならできると自分に言い聞かせ、自信を持つように自分を誘導している。だがそれが、誰の目にも明らかに証明されるのはやはり嬉しいことだ」
カゲキラはクロエを見下ろしながら立っていた。その左手に盃でも持つように支えられているものは、ショートブーツを履いた足だった。
「試練は人間を成長させる。成長は人に新たな恵みをもたらす。私は成長できた。30メートルの魔剣など訓練中でも作り出せたことがない。ならば私にも恵みが与えられてしかるべきだ」
カゲキラはクロエに視線を合わせた。目線を逸らさないまま、足を逆さまに持つと、見せつけるようにショートブーツのかかと付近を咥えた。左手でショートブーツの中の足首を掴み、咥えたままの顎を持ち上げる。ズルリとショートブーツが脱げ、血の染み込んだ黒い靴下を履いた足が現れる。ショートブーツは地面に落ちて、ぽすり、こんころ、と軽い音を立てた。
続いて目線を合わせたまま、カゲキラは靴下を履いた爪先を咥えた。皮でも剥くようにゆっくりと引っ張り上げる。徐々に血で汚れた褐色の裸足が露わになった。脱がされた靴下は、ふさっ、と真っすぐに落ちて柔らかい音を立てた。
沈黙。
べぇろーり。
かかとから足指の付け根まで、おもむろに舌が這った。
「ッッッ!!!!」
羞恥がクロエの頬を焼き焦がす。全身が煮え滾るように熱くなり、血の一滴一滴が灼熱と化す。嚙み千切られた唇からは新しい血が流れ出て顔を汚した。
だが、クロエは動けない。右足は脛の半ばから失われた。戦闘薬による能力の向上はリミットが近い。反動による激痛と気怠さが全身を蝕み、視界すら霞み始めている。
「フフフ、ハッハッハ! いいね! その羞恥と屈辱が入り混じった顔! 足は至高の酒ならば、恥辱に歪む顔は特上の肴といったところか? ……ふふふ、どれもう一舐め、味わわせてもらおうじゃないか……」
「……クソっ」
薄れていく意識の中でクロエは毒づいた。しかし次に出てきたのはシラヒへの謝罪だった。
「……隙を作り切れなかった……か。シラヒ、ごめ……)
視界が白く染まりかけた中で。
ドンッ! と。世界が揺れた。
池に石を落としたときに波紋が広がるように、遠く離れたビルの屋上で膨れ上がった魔力が世界を叩いた。カゲキラが驚愕と恐れを込めて瞬時に振り向く中で。
クロエは自覚しないまま口元を綻ばせていた。
「怒るなよ。……バレるだろ、馬鹿」




