2.3 骨折り損のくたびれ儲け
ゴブリンを「対話」で消滅させ、第1階層をさらに奥へと進む。
洞窟の空気が一段とひんやりとしたものに変わり、カツン、カツンと、乾いた硬い音が通路の奥から響いてきた。
「……出たな」
暗闇から現れたのは、全身の肉が削げ落ち、白い骨格だけが歩行している魔物――スケルトンだ。
その眼窩には怪しい赤色の魔力が灯っており、錆びた鉄剣をぶら下げている。ゴブリンよりも明らかに威圧感がある。
「主よ、今度こそ我の出番だな!」
ソクラテヌがフンスと鼻を鳴らし、禿げ頭を輝かせながら一歩前に出た。
「そこの骨の御仁! 聞けば君はすでに死んでいるというが、死んでいる者が『動いている』とはこれ如何に! 君は自らが『生きている』と錯覚しているのではないかね!?」
いつもの猛烈な質問攻め。しかし、スケルトンはピクリとも orientation(動揺)しない。
ただカタカタと顎を鳴らし、無感情に鉄剣を振り上げてソクラテヌに斬りかかった。
「わわっ!? 待ちなさい、対話が成立していないぞ! 君の論理構成はどうなっているんだ!」
「ソクラテヌさん、下がって! 相手は脳みそも鼓膜もない骨です! 話聞いてません!」
いくら精神攻撃が強くても、そもそも「言葉を受け取る器(脳)」がない相手には、ソクラテヌの問答法が届かない。
鉄剣がソクラテヌのトガをかすめる。まずい、このままだと物理で殴り倒される――!
その時、僕の視界に再びシステムログが走った。
【警告:対象の『思考容量』が不在です】
【条件クリア:源流思想の共鳴――2体目の思想体を解放します】
【『ロウシン』が召喚されました】
「ほっほっほ。何をそんなに、せかせかと生き急いでおるのかね」
気がつくと、僕とスケルトンの間に、地面に届きそうなほど長い白髭を生やした、小柄なおじいさんがちょこんと座り込んでいた。
「ギ、ギギ……?」
突然現れた謎の老人に、スケルトンが剣を止める。
「新顔か! して君は、どのような問いを彼に投げかけるのだね!?」
ソクラテヌが期待の目を向けるが、ロウシンと呼ばれたおじいさんは、深くため息をついて煙管をふかした。もちろん煙など出ていないが、そんな雰囲気だけはある。
「問いなど、最初から必要ない。形あるものは、いずれ形なきものへと還る。あるがまま、自然のまま(無為自然)が一番心地よいのじゃよ」
ロウシンが、骨だけの手首を掴んで振り下ろされようとしていたスケルトンの鉄剣に、そっと手を添えた。
その瞬間、スケルトンから立ち上っていた禍々しい赤い魔力が、すうっと霧のように霧散していく。
「お前さんは、もう十分に生きて、十分に死んだ。なのに、なぜまだ戦おうという『執着』を握りしめているのかね? 水のように、ただ流れに身を任せ、無に還ればよいものを」
「ガ……ガガ……」
ロウシンの穏やかな、しかし絶対的な「虚無」のオーラに包まれ、スケルトンが動きを止める。
憎しみも、怒りも、存在理由すらも、すべて「どうでもよくなっていく」かのように。
「あ、アゴのカタカタいう音が止まった……?」
「これぞ『上善如水』。戦わぬことこそ、最も強いのじゃ」
ロウシンが優しく微笑むと、スケルトンの身体から完全に魔力が抜け落ちた。
ガシャアアン!!と激しい音を立てて、ただの「カルシウムの骨の山」へと崩れ落ち、そのまま光の粒子となって消滅していく。
あとに残ったのは、ゴブリンのものより少し大きめの魔石だけだった。
【スケルトンを討伐しました。経験値を獲得】
【ソクラテヌの『記憶の断片』が0.1%解放】
【ロウシンの『記憶の断片:無何有之郷』が0.1%解放】
「……ふむ。言葉を使わずに相手の存在を肯定しつつ無に還すとは。東方の知恵、実に見事であるな!」
「いやいや、お主の言葉の嵐も、賑やかで悪くない。まぁ、わしは眠いからもう帰るがの……」
ロウシンはそう言うと、満足げに粒子となって僕の影へと消えていった。
「……なるほど。話が通じる相手にはソクラテヌさん、話が通じない脳筋にはロウシンおじいちゃん、ってことか」
僕の『倫理マスター』は、どうやらとんでもないご意見番を揃え始めてしまったらしい。
僕は冷や汗を拭いながら、地面の魔石をポケットに放り込んだ。




