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第十三幕

バチッと囲炉裏の中の炎が爆ぜた。金蔵はひっかき棒で崩れた炭を均す。炎が新鮮な酸素を貪り、再び燃え上がった。

「・・・・・・か・・・・・・片桐さん・・・・・・さん?」

金蔵が声がした方に顔を向けると、そこには布団の中で横たわってこちらを見ている北斗がいた。彼の体の至るところに、湿布と包帯がまかれている。

「気が付いたか」

北斗を労る金蔵の声には、今までにない、どこか相手を労る様な響きがある。黙って頷く北斗に、金蔵は続けた。

「一通り手当はしておいた。内臓も骨も脳も傷ついちゃいねぇ様だ。俺が言うのも何だが良かったな」

「・・・・・・」

北斗はあいまいな笑みを浮かべるだけで何も答えない。答えようがないのだろう。そんな彼を尻目に、金蔵がキセルに火を入れながら言った。

「何故マタギになりたいんだ?話してみろ」

暫くの間を置いて、北斗がぽつぽつと少しずつ話し始める。


つまらない人生を歩んでいた事


そんな中、山の中で綾子に出会った事


―話が綾子に及んだ途端、煙管を使う金蔵の手がピタリと止まった。それに気付く事なく、北斗は淡々と己の妻について話す。

北斗の口から詳らかになっていく綾子。金蔵は煙管を使うのも忘れて、ただ話にのめり込んでいる―


そんな金蔵を目の端で捉えながら、北斗は語る。


綾子と過ごした日々の中で、生まれて初めて『生』を実感出来た事


綾子との生活


生まれて初めて味わう充実した日々


赤カガチの襲撃


綾子との別れ


その際、綾子を見捨てて逃げてきた事


話が赤カガチに及んだ時、金蔵の手から煙管がポロリと落ちた。それに気付き、気遣う様な視線を向けてくる北斗に、

「なんでもない、続けてくれ」

と金蔵は言う。そして表情を隠すために視線を落としつつ、囲炉裏の灰の中からキセルを回収する。そんな彼を前にして、北斗は再び視線を天井へと戻し、ややしんどそうな様子で話を続ける。



「都会に帰れ」

綾子の遺言。それを守るべく、一度は都会の生活を送ったが、どうしても馴染めなかった


やはり山で暮らしたい


命を輝かせたい


綾子と一緒に暮らしたい


その為に、赤カガチから綾子を取り戻したい


「おい」

金蔵が北斗の話の腰を折った。

「・・・・・・はい」

北斗は気を悪くした風でもなく、小さな声で返事をした。

「妻を取り戻すってどういう事だ?お前の妻は死んだんだろう? 死んだものをどう取り戻すんだ?」

金蔵の疑問に対し、北斗は訥々(とつとつ)と答える。


生前綾子が話していた事


生きとし生けるものの心は全て心臓に宿る事


だから綾子の心は今、その心臓をくらった赤カガチの中にある


だから僕は赤カガチを殺し、その心臓を・・・・・・。


とてもついていけない話に、首を振るより他ない金蔵。煙管を数度ふかし、心を均したあと、どうにか理解できた部分に絞って返答をする。

「赤カガチ、奴に挑むのはやめとけ。あれは人がどうこうできる代物しろものじゃない。言わば天災みたいなもんだ」

「赤カガチをご存知なのですか?」

布団の中から顔をあげて問うてきた北斗に、金蔵は不敵な笑みを浮かべて言った。

「俺を誰だと思っている?お前が生まれる前からマタギを生業にしていた男だぞ」

そう言って金蔵は煙管を傍らに置き、在位のまま北斗にその体を向ける。

「なぁ、お前の気持ちも分からんでもないが、もう過去とは決別して新しい人生を歩んだらどうだ? 別の女と結婚して家庭を持って幸せになれよ。お前が幸せになればきっと死んだ女房も喜ぶだろう」

囲炉裏の炭がパキッと音を立てた。今夜はいつになく夜風の音が鋭い。明日は雨になるかもしれない。

「綾子が教えてくれたんです」

金蔵の発した言葉の余韻が、部屋の空気の一部と化したあたりで、北斗がぽつりと呟く。

「なに?」

僅かにその身を乗り出した金蔵に、北斗が続ける。

「『存在』ってそれ自体が奇跡であり、幸せなんだって。命とは自分でいられる時間。その一瞬一瞬が貴重であり幸せそのもの」

深いのか大きいのかイカれているのか分からない話を前に、目を白黒させる金蔵。そんな彼に北斗が続ける。

「今僕の鼓動は空虚で、その命の輝きは色あせている。何故なら綾子がいないから。僕の命を輝かせる為には綾子が必要なんです。綾子がいてこその僕であり、僕がいてこその綾子なんです。僕達は運命、二人で一つなんです」

「おめぇの女房は死んだんだ! もうどこにもいないんだ! いい加減に目を覚ませ!現実を見つめろ!」

まるで『何か』に憑かれた様に喋る北斗にたまりかねたのか、金蔵がいきなり彼を一喝する。


哀れだった。目の前の青年が。現実を受け入れられず、己が生んだ愚かな妄想にしがみつく事でなんとか自我を保っているこの青年が。こんなのが人の人生と言えるのか?


こいつは俺と同じ、かけがえのない者の犠牲の上に命を貪る罪人。


でも、だからこそ、だからこそ俺はこいつを救いたい!こんな人生は俺一人でいい! お前はまだ若い!幾らでもやり直せる!


お前はまだやり直せるんだ!


そう痛切に願う金蔵の魂に触発されたのか、彼の口から出るその言葉には、人の心を震わせる熱いものが宿っている。金蔵の言葉は続く。

「妻を取り戻す為にお前が死んだら元も子もないだろう! いい加減目ぇ覚ませや! お前が奴に食われて一番悲しむのは誰か、そこのところをよく考えろ!」

いつしか金蔵は立ち上がり、北斗を見下ろす形で説教をしていた。言葉とは裏腹の、降りてきた温かい眼差しに口角を僅かにあげ、北斗は答える。

「奴に食われるならそれでもいい。奴の中で綾子と一緒になれるから」

北斗の狂気に触れ、真っ白になって立ちすくんでしまう金蔵。そんな彼に、北斗は気味の悪い程真っ直ぐな眼差しを向ける。


正気と狂気が視線を通してぶつかり合い、重なり合い、そして逸れていく・・・・・・


北斗が三回目の瞬きをした時、金蔵はまた囲炉裏の側まで戻り、どかりと座る。そして不貞腐れた様な表情で、また煙管をふかし始めた。ぼんやりと上がる紫煙の中で、金蔵は思う。

(こいつはイカれていやがる。尋常じゃねえ)

行き過ぎた純愛、いや、狂愛を前に畏怖するだけの金蔵に、北斗が言う。

「・・・・・・片桐さん」

「なんだ」

北斗からの問いかけに対し、金蔵はまだどこか落ち着きの欠けた目で応える。そんな彼に、北斗は続ける。

「力を貸して欲しい」

そう言って頭を下げる為か身を起こそうとする北斗に、金蔵はぶっきらぼうに言う。

「まだ動くな。怪我の治りが遅くなる」

驚きの表情で動きを止めた北斗に、金蔵は続けた。

「早く体を治せ。怪我を抱えて歩ける程山は甘くはない」

北斗はその言葉の意味する事を読み取り、安堵した様に再び横になる。

「ありがとうございます」

北斗は小さな声で金蔵に礼を述べる。

「もう寝ろ。それ以上話すと傷に触る」

「はい」

暫くして軽い寝息が聞こえた。金蔵は北斗の寝顔を遠目に見ながら、煙管を片手に物思いに耽る。

(こいつは狂人だ。間違いない。さて、どうする?)

常識的な対応としては、病院とこいつの家族、そして警察に通報する事だ。

そうする事で北斗は家族の下に連れ戻され、強制入院となるだろう。法にのっとった無難な対応かもしれない。所謂いわゆる『大人の対応』というやつだ。だが

(それでこいつの『心』心は救われるのか?)

繰り返しになるが、警察に保護された後、こいつを待つのは長い入院生活だ。下手をすると一生病院のベッドの上かも知れないし、例え退院出来たとしても、こいつはそのまま赤カガチを狩りにいくだろう。

その場合、おそらくこいつの山岳技術では赤カガチに辿り着く前に山で遭難死だろう。そんな結末で、この哀れな男の魂は救われるのか?

こいつがこんな結末を受け入れるのか?


俺ならば、こいつの望みをかなえてやれる。

俺ならば、こいつを赤カガチ、あのくそったれの前に立たせる事くらいは出来る。


そしてこいつはそのまま赤カガチに挑み、そして敗れて食われるだろう。


この結末はこいつの狂った望み通りかもしれない。

だが、本当にこんなのが人の幸せなのか? 


やはり俺はこいつの為に通報すべきではないのか?。しっかりとした治療を受ければ、己の馬鹿げた妄想から解放されるかもしれん。そして別の女性と家庭を持ち、幸せになれるかもしれない。


現実に逆らい、妄想の中に逃げ込んで自分一人幸せに生きるのと、冷たい現実に膝を屈し、満たされぬ心を抱えたまま人並みの生活を送るのと、どちらが正しい?

あいつにとってどちらが幸せなんだ?俺はどうすればいい?どうすればいいんだ?教えてくれ、大作。

「自分の心に従って、思った通りに生きる! それが男の人生ってもんよ!」

金蔵の頭に、唐突に大作の言葉がよぎった。これはいつだったか・・・・・・。そう、十年前に二人で大型の羆を仕留めた夜の時の記憶だ。

一升瓶を片手に、二人で祝杯をあげた夜。俺の命がまだ輝いていた時の記憶。

(そうだったな、大作)


簡単な事だった。


何でこんな簡単な事に、今まで悩んでいたのだろう?

浮かんだ笑みを頬に残し、金蔵は立ち上がって物置に向かう。

「確かこのあたりに・・・・・・よし、おう、あったあった」

彼の手にあるもの、それは油紙に包まれた一丁のライフル。

(大分型は古いが手入れすればまだ使えるだろう。素人の練習用には丁度いい)

そう言って金蔵は道具を手に作業場へと向かう。

そして台の上で銃を分解し、手入れを始める。


俺は俺のやりたい様にやる。

俺のやりたい事とはなんだ?  

それはこの青年に手を貸してやる事だ。

その結果こいつが不幸になったら?

その結果こいつが赤カガチに食い殺されたら? 


そんなもん俺の知った事か。


俺は俺のやりたい様にやる。

その結果、こいつが不幸になったとしても、そんなもの俺には関係ない。

誰かの幸せは誰かの不幸であり、誰かの不幸は誰かの幸せなのだ。

世の中なんてそんなもんだろう。

例えこいつが赤カガチに食い殺されたとしても、それはこいつが自ら望んだ事だ。起きた結果は全てこいつの責任であり、俺には関係のない事だ。難しく考える事はない。

俺は俺のやりたい様にやる。俺はこいつの手助けをしてやりたい。だから俺はこいつに力を貸す。その結果、こいつが不幸になったとしても、それは俺の知った事ではない。こいつが自分で選んだ事だ。俺には関係ない。



(初対面の時、何故こいつを叩きだす気になれなかったのか、ようやく分かった)

金蔵は洗矢のブラシで、銃身の中のすすをかき出しながら、金蔵は思う。

(同類なんだな、俺らは。決して逃がれられない罪を背負った者同士。だから何かしら引き合うものがあったのだろう)

寝息を立てる北斗を見る金蔵の心に、大作に抱かれて笑う、まだ幼い綾子の面影が浮かぶ。

(まさかあの嬢ちゃんの旦那とはな)

唯一無二の親友を見捨てて生き恥を晒している自分。そうしたら、その親友の孫の旦那が訪ねてきて力を貸せと言う。しかも相手はその親友を殺したあの獣だ。

(やはり犯した罪からは逃れられんか)

作業する手を止め、部屋の奥、仏壇にある友の遺影に目をやる。

(大作、見ろよ、綾子の旦那だぞ。あんなに別嬪なのに男の趣味は今一つだな)

いつもと変わらない、額縁の中で切り取られた友の笑顔が、今夜に限っては幾分か華やいでいる様に見えた。



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