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バークレー 前編

 結局その日は、図書館へ行く時間まで、日置は竹野と一緒に過ごした。話が決まると、竹野は日置をドライヴに連れ出したのだ。

 車内に、煙草の匂いが染み付いていた。


 「済まんな。目の前では吸わないから、少しの間我慢してくれ。だめなら、窓をあけて空気を入れ替えろ」


 彼は、日置の感覚に、素早く反応した。


 大学周辺の高速道路を、時速60マイルで走行しながら、竹野は日置の訓練に付き合ってくれた。


 読心能力を持つ人間から思考を隠す訓練など、1人でできるものではない。仮に、日置を人畜無害と判定したとしても、自らの能力を明かすリスクを負ってまで、教えてくれるのは、並ならぬ親切だった。


 「それだけ貴重な存在ということだ。仲間にしておきたいだろう?」


 日置が何も口に出さないうちから、竹野が応じた。簡単には身につかない能力だから、訓練の必要がある。


 アメリカの高速道路は、無料で走行できる。乗り降り自在であった。高速道路と一般道路の区別は、日本ほどには明確でない。


 しかも高速道路であろうが、車間距離は一般道路と変わらない。時速60マイルといえば、およそ100kmである。それが数珠(じゅず)つなぎに1mかそこいらの車間で走っているのだから、慣れとは恐ろしいものである。


 そして、皆一様に、制限速度だけは遵守(じゅんしゅ)している。これは単に、警察が恐ろしいからである。


 アメリカでは、一般人でも特別な許可なく銃を持つことを許される州が、多い。スーパーマーケットに、野球バットと同じ感覚で、銃が並ぶ店もある。そういうお国柄の警察では、銃の使用に関して、日本の警察よりも遥かに使用基準が緩い。


 警察に車を停められたら、攻撃の意思がないことを示すため、両手をハンドルの上に起き、免許証を見せろと言われても、慌てて自分で内ポケットから出さず、警察官に場所を説明して取らせるか、自分で取り出す場合でも、許可をもらってからにする。

 武器を取り出す動きと見なされた途端、警告なしで撃たれるからである。


 警察の言い分としては、撃たなければ撃たれ、当たれば死ぬのだから、仕方がない。そう考えると、武器を持った犯罪者に対しても簡単に発砲できない日本の警察官は、日頃から随分な危険に命を晒していることになる。


 スピード違反の取締りも、日本のように定点観測ではなく、ヘリコプターを使って違反車を追いかけることもあるそうだ。

 アメリカを舞台にした映画で見るカーチェイスの場面は、誇張とばかりも言えなさそうである。


 訓練がてら、竹野と日置は様々な話をした。


 「数学を専攻した理由って、人間関係が原因か?」

 「正解。数字は嘘をつかへん」

 「そうしたら、日置は一生結婚できそうにないな」

 「構へん」


 日置は、湧き上がった感情を誤魔化そうとして、窓の外に意識を向けた。そんなことをしても無駄だと言うことは、承知していた。

 茶色い丘の中腹には、黒っぽい牛の群れが散らばっていた。時には、その群れが馬であることもあった。


 竹野は一旦話を止め、黙って車を走らせた。


 「アメリカに来た記念に、明日サンフランシスコを案内しようか。マーシーとナナも一緒に」


 暫く後、竹野が話題を変えた頃には、日置はすっかり外の景色の観察に夢中になり、前の話題をほとんど忘れていた。


 「そうやなあ。ゴールデンゲートブリッジも見てみたいし。あ、でも明日はクライドが大学を案内してくれる言うとったから、あかんなあ」


 「じゃあ、次の週末にしよう。サンフランシスコには大きな中華街がある。おいしい飲茶の店を知っているんだ。いつもパンばかりじゃ、飽きるだろう?」


 「飲茶。ええなあ」


 自分の思考を隠す訓練のコツを掴み、元の場所へ送り届けてもらう頃には、竹野と日置はすっかり打ち解けていた。


 図書館では、宇梶と江上が勉強に没頭するふりをしていた。2人とも、姿を見せない日置を気にしつつ、口に出せないでいたのだ。

 日置は竹野と会っていたことを内緒にして、適当に誤魔化した。

 江上の表情が曇った。彼は、わざと誤解させたままにしておいた。



 クライドたちの通う大学は、サンフランシスコからベイブリッジを東に渡った先の町にある。車窓からは、こぎれいな店がそこここに見え、行き交う人々も若い男女が目立った。大学というよりも、若者のための街みたいだった。

 寮を早く出た甲斐があって、待ち合わせの場所へは、クライド達に一歩先んじて到着することができた。


 “やあ、マーシー”

 “やあクライド。今日の案内を楽しみにしていたよ”


 キャンパスではジーンズにTシャツ姿の学生が大勢を占めていたが、クライドは、ここでも襟のついたシャツを着て上品ないでたちだった。それでも、先回会った時よりは、ラフな格好である。

 そして、両脇にミランダとエリザベスを従えていた。


 “オリヴァーは来ないの?”

 “あいつは苦学生だから……”


 宇梶の問いに、クライドは言葉を濁した。

 オリヴァーはせっせと働いて生活を維持しているのだ、と言外に匂わせていた。それで宇梶も察した。


 “ああ、バスが来たわ。乗りましょう”


 エリザベスが、さっと日置の側に来た。

 バスは日置の前に止まったが、レディファーストの習慣を思い出して、彼はエリザベスを先に乗せた。続いて江上、ミランダと女性陣が乗り終わってから、男性陣が乗車した。


 クライドたちの通う大学は、日置達が在籍する京都の大学に、どことなく雰囲気が似ていた。ただ、敷地や建物の規模は、桁違いである。


 無料バスが、構内と主要駅を循環している。ここでもまた、バスが走れる幅の道路が構内に伸びている。自転車で移動する学生も多い。

 もう、大学ではなく、一つの町である。


 エリザベスは隣に座り、大きな木々の間に見える建物を次々と指して、あれは何、それは何、と日置に説明する。


 “リズは、僕らよりよほど詳しいな”


 クライドがミランダと顔を見合わせて苦笑するほど、エリザベスは、はしゃいでいた。

 日置を気に入っているのは、誰の目にも明らかだった。日置も、できるだけ失礼に当たらないよう、気を遣って応対した。エリザベスの、素直で可愛らしい性格には、好感が持てた。


 “ああ、あれがセイザー塔よ。あちらがセイザー門。セイザー女史の寄附で建てられたの。大学のシンボルなのよね、クライド”


 カリフォルニアらしいオレンジ色の屋根をした建物の間に、ひときわ高い時計台があった。ロンドン塔に似た形をしている。

 そう言うと、クライドに、あれはヴェニスのサンマルコ広場にある鐘楼(しょうろう)をモデルにして建てられたものだ、と説明された。


 “もっと近くで見てみたいな”

 “もう少し先で降りて、カフェでアイスクリームを食べてから見に行きましょう”


 人懐こい笑みで言われると、日置にも反対しかねた。


 “あそこのアイスクリームは、とても美味しいのよ”


 ミランダが瞳を輝かせて付け加えた。

 提案に乗りバスを降りた。カフェでアイスクリームを買い求める。


 学生や観光客らが、店先に集まっている。混雑で人数分の席が確保できないので、近くの噴水まで持っていって食べた。

 アジア系というだけなら珍しいとも思えなかったが、視線を感じる。噴水の縁に腰掛けて食べるのは、行儀が悪いのだろう。


 しかし、周囲を見回すと、他にも同じようにして食べる人がいた。

 一番小さいサイズを頼んだのに、クリームたっぷりのアイスクリームは、日本で買う1.5倍の大きさに見えた。


 ちょっと癖がある味だった。だが、スーパーで見た水色とオレンジの蛍光色で彩られたケーキよりは、断然美味しいに違いない、と日置は思った。小腹が空いて喉も乾いていたので、ちょうどよい小休止である。


 “ナナは美術に興味はないの? そこに美術館があって、中国の素晴らしい水彩画や陶磁器が、たくさんあるよ”


 クライドは、元気がなさそうに見える江上を気遣っている。江上が沈んでいるのは、彼の妹の振舞いのせいである。

 日置にも少し責任があるが、気付かない振りをした。

 江上は、雑誌モデルのようなクライドに優しく話しかけられて、顔を上げた。その表情は、明るさを取り戻している。アイスクリームは、とっくに食べ終えていた。


 “そうですね。是非とも見に行きたいです”


 江上の一声で、皆が噴水の縁から立ち上がった。


 悲鳴が上がった。

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