パシフィックハイツ 前編
翌日から、食堂での朝食である。今日はクライドの家へ呼ばれていたこともあり、日置が行ってみると、宇梶も江上も既にいた。
カフェテリア方式である。メニューはサラダ、オムレツ、ベーコンといった、アメリカ的な品ばかりでなく、点心や白ご飯といった、中華や和食の品まで取り混ぜてあり、学生たちも各々好きな取り合わせで、自由に食べていた。
同室のインドから来た留学生、イシャンは先に食事を始めており、宇梶と江上はそれぞれのルームメイトか誰かと一緒にいたので、日置は空いた席へ1人で腰掛けた。
“ やあ、ここ空いてる?”
”うん。空いてると思う”
昨日の案内役を務めた学生が、前へ陣取った。
彼はモドゥという名前で、祖父の代にセネガルからアメリカへ来たと言う。時代的に、奴隷として連れてこられたようだ。だが、それを口に出していいものなのか、日置には判断が難しく、結局言わずにしまった。
モドゥは、日置が朝から1人でいるのを見かけ、案内役の仕事として声をかけたようであった。
その後困ったことや、疑問に思ったことがないか尋ねられたり、昨日フーヴァータワーへ行った話をすると、それは良い選択だ、と褒めたり、色々気を遣ってくれているのが丸わかりだった。
しかしそれは決して嫌な気分ではなく、日置は良いシステムだと感心した。
待ち合わせの時間に寮の前へ出ると、何とオリヴァーが車で迎えに来ていた。
“遠いのに大変やったね、ありがとう”
と日置が言うと、ムスッとした顔で、
”車で行った方が楽だから”
と答えた。宇梶と江上は、当然のような顔をしていて、これは予め知っていたのだ。ありがたいけれども、アメリカではこれが普通なのだろうか。
国際免許を取ってきた日置は、途中まで運転しようか、と言ってみたが、道を知らない人が運転するのは危ないから、とオリヴァーに断られた。その通りである。
昨日に引き続き、車で長時間ドライブとなった。
昨日はひたすら景色に驚いていたが、今日はもう少し周囲を観察する余裕ができた。そして見つけたのが、道路に点在するシマシマのボロ切れである。
“アライグマだよ”
助手席に乗る日置の視線に気付いたのか、オリヴァーが教える。
“可哀想、可愛いのに”
江上が反応して、ボロ切れに目を向けようとしたが、既に数マイル以上行き過ぎている。
昨日、大学構内を移動中にも見かけた。ゴミ箱を漁っていた。野良猫のように警戒心が強く、人に気付くと逃げて行った。
シマシマ模様の尾が特徴的で、遠くから見る分には小動物的魅力がないでもないが、初っ端からゴミ漁りである。可愛いだろうか?
”アライグマは凶暴な害獣だよ”
オリヴァーが説明した。アライグマは、気性が荒く人に懐かない上に、田畑を荒らし、時には家へ侵入して屋内を荒らすので嫌われているという。
江上は不満そうだったが、反論はしなかった。
”リスは?”
宇梶が気を遣ったのか、別の動物を持ち出した。
リスも構内で見かけた。こちらは木を素早く上り下りして、あっという間に視界から消え去った。小さいので、他の個体を見逃しているかもしれない。
日本で見るシマリスとは違い、全身灰色っぽい毛皮で覆われていた。これはこれで、景色に溶け込みやすい。
”リスも凶暴”
オリヴァーの返答はにべもなかった。これもまた、ゴミを漁ったり屋内でコードを齧ったりして、迷惑らしい。更に、子供を齧って狂犬病をうつすこともあるとか。
”そうなんや”
江上はがっかりしている。宇梶も、明るい話題作りに失敗して気落ちしている。
”車、借りるの止めようかな”
新たな話題に困って、何か言い出した。
”何で?”
江上が尋ねる。
”今日みたいな時は、車があった方がええんやけど、2週間ばかりの滞在中で、それほど使う機会ないと思うねん。昨日の追加資料見たやろ? 返しに行くのも面倒やし、必要ならタクシー呼ぶか、レンタカー借りたらええかと思うて”
”せやね”
返しに行くのが面倒という点は、日置も同感であった。心配なのは、その分オリヴァーが駆り出されないかという点である。例えば、今日の帰りはどうするのだ?
“今日の帰りは、どうする? 俺は用があるから送れないぞ”
当然ながら、オリヴァーから質問が飛ぶ。
”帰りは別の手段で帰ってみるよ。せっかく来たから、色々な乗り物を体験したい”
咄嗟に日置は言った。宇梶が、えっという顔で見たが、反論はされなかった。
実際帰る時に、レンタカーを借りようが、タクシーを使おうが、オリヴァーはいないし、報告する義務もない。
”鉄道旅もいいかも”
江上が乗ってきた。宇梶は、余計に何も言わなくなった。鉄道で帰ることを真剣に検討しているのだ。
会話が途切れ、日置は座席に身を預けた。真っ直ぐで変わり映えのしない景色を漫然と眺めるうち、とろとろと眠ってしまった。
時差呆けはまだ直っていないらしい。宇梶に後部座席から突付かれて目が覚めた時には、サンフランシスコに着いていた。
「お前が先に眠るさかい、俺眠れなかったやんけ」
「すまんすまん」
サンフランシスコは肌寒かった。霧までは出ていなかったが、同じカリフォルニアなのに、サンノゼ辺りとは違う気候のようである。
宇梶の忠告を聞いて、ジャケットを着てよかった、と日置は思った。
「うわ、これ個人の家なの? ホテルみたいやわ」
江上が言うのももっともであった。およそアメリカらしくない厚みを持った建物が、これも西海岸のイメージと異なる曇り空の下に、ずっしりと構えて建っていた。
城とまではいかないが、全くもってホテルのようである。
しかし小さな番地の表示が掲げられているだけで、看板などはない。表札もない。ここに限らず、アメリカの都市部では犯罪防止の見地から、表札を掲げる習慣がないようであった。
車を置いてくるというオリヴァーを見送った。
先に入っていていいと言われたので、彼が戻るのを待たず、宇梶が呼び鈴を押す。ややあって扉が開いた。
きちんと黒服を着た、初老の男である。執事であった。ますます日置の考えるアメリカらしくない。彼は宇梶の顔を認め、愛想のよい表情を浮かべた。
“これはこれは宇梶様、ご無沙汰しております”
“ハンフリーさんもお元気そうで何よりです。今日は友人と一緒に招待されました”
“はい、クライド様から承っております。日置様と江上様でございますね。皆様、既にご到着されております。どうぞ、お入りください”
ハンフリーの英語は、日置に耳慣れたものであった。彼は、クライド達の元へ案内するまでの間にも自己紹介などしなかったが、その物腰は誰が見ても執事だ。
家の中もまた、高級ホテルのような豪華さを備えていた。玄関にはシャンデリアが下がっていたし、そこここにさり気なく飾ってある絵画や彫刻なども、軒並み由緒があるか、値段を聞いたら目が飛び出るのではないかと思われる、有名な作家による作品であった。
クライド達は、奥まったガラス張りの部屋に集まっていた。
部屋は中庭に面していて、道路からは内部の様子を窺えない造りである。
クライドとミランダ、その他に知らない顔が3人あって、うち2人は女性で残りは東洋系の男性だった。その男は日置たちより少し年上で、艶のある黒髪を三つ編みに首から前へ垂らしていて、日置達をまじまじと見つめていた。
何を考えているかわからない、妙な男である。
色とりどりの刺繍を施した布張りの、繊細な形をしたソファに座っていたクライドは、にこやかに立ち上がって日置達を迎えた。
“やあ、お待たせして済まない”
“いや、気にしないでくれ。遠いところから来てくれて、ありがとう。今日は、オリヴァーが都合で参加できないから、代わりにミランダの友人を呼んだよ。ああ、これは僕の妹”
エリザベスと呼ばれた女性は、誰に似たのか、がっしりとして岩みたいな顔立ちと体つきをしていた。
自分でも自覚しているのだろう、琥珀色の髪は、かなり短く切って後ろへ流してある。彼女は見た目からは意外なほど人懐こそうな笑みを浮かべ、リズと呼んでくれ、と言った。
ミランダの友人はヘレン・ポートマンと言い、真っ直ぐなこげ茶色の髪の毛を、肩で切り揃えていた。少し離れていたら、東洋系に見えるかもしれない。愛称はどういう訳か、ネルということである。
日置は、女性陣のことよりも、オリヴァーが集いに参加しないことに驚いた。
では、彼はただ日置たちの出迎えのために利用されたようなものではないか。そうと知っていたら、もっと道中で話をしておくのだった、と悔やんだ。
“彼らが日本で通う大学は、ノーベル賞を日本人で初めて獲った湯川秀樹博士の母校なんだよ。ノーベル賞受賞者は、バークレーの専売特許ではないのさ。HAHAHA”




