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サンフランシスコ空港

 分厚い雲が切れ切れになる合間から、北アメリカ大陸が見えてきた。


 初めて見るアメリカ合衆国の大地は、ひたすら大きかった。眼下に広がる茶色い山々、海岸沿いにひしめく建造物、長く延びる道路、都市などの全てが、広々として感じられた。


 時差16時間。前日の夕方出発した筈が、その日の午前中に逆戻りしている。窓の外には明るい光が満ちていた。

 熟睡できなかった寝惚け眼には、強過ぎる光である。



 飛行機は滑走路に降り立ち、無事に到着した。入国審査に向かう途中で、宇梶に会った。ファーストクラスにいた筈の彼は、緊張でほとんど眠れなかった様子である。


 「江上さんは?」

 「同じ飛行機や。そのうち会うやろ」


 宇梶がカリフォルニアに詳しいのは、本当だった。

 彼は優雅にバカンスを過ごすうちに、知人もこしらえていた。今回も、その伝手(つて)を使い、空港まで車で迎えに来てもらっているのである。


 英会話に不自由しない日置でも、アメリカの空港から大学寮までタクシーを使うのは気を遣う仕事だったから、これは正直ありがたかった。

 アジアからの旅行者と見ると、料金をふっかけたり態度が悪くなるタクシーの運転手が多い、と聞いていた。そこの事情はヨーロッパと同じだ。


 宇梶と並んで入国審査の場に辿りつくと、ずらりと列が出来ていた。江上が先に並んでいるのが見えた。

 ふらふら、と江上のいる列へ近付こうとする宇梶を引っ立てて、空いた列に並ばせる。列は思いの外するすると進んで、日置の番になった。


 カウンターの向こうにいる職員に、パスポートと(あらかじ)め機内で記入しておいた出入国カード、関税申告書など必要書類を提出する。アメリカ人の英語は、日置には、やや聞き取りにくかった。


 講義が聞き取れるか、心に不安がよぎる。入国審査を終えて、預けた荷物を受け取りに行くと、江上に会った。やはりよく眠れなかったようで、瞳が潤んでいる。

 

 「入管の人の英語、思うていたよりわかりにくかったわ。講義が聞き取れるか心配やわ」


 同じアメリカへの旅行で散々経験している筈の江上が今更気にするのは、やはり講義への不安からである。


 「毎日浴びるほど聞いておれば、そのうち慣れるんやないか」


 同じ心配を抱いていたところなので、冷たくあしらうこともできず、日置自身の希望を込めて答えておいた。


 荷物は次から次へとベルトコンベアに乗って流れてくるが、なかなか自分の荷物に行き当たらない。

 いつの間にか来ていた宇梶が、後ろからひょいと手を伸ばしてスーツケースを持ち上げた。続いて日置、江上と荷物が手に入る。


 出ようか、と動き出すと、江上が引き留めた。

 

 「待って。もう一つあるのやわ」

 「まだあるんかいな」


 思わず宇梶がこぼして、しまったと口を覆う。

 江上はむっとした顔で、日置に機内に持ち込んだ手荷物とスーツケースの見張りを頼み、ベルトコンベアの方へ行ってしまった。宇梶は悄気(しょげ)ている。


 「友達は、何処で待ってはるのや」


 日置は慰めようもないので、別の話題を持ち出した。宇梶は悄気たまま答える。


 「出口で待っとるいう話やった」

 「お待たせ」


 江上が戻ってきた。税関検査の係員の英語がまた聞き取りにくくて、日置は適当に答えて通過したが、江上が真面目に何度も聞き返していると、後ろについていた宇梶が訳してくれた。


 江上に礼を言われて、落ち着きを取り戻した宇梶は、彼女のスーツケースを持たせてもらう幸運にも浴し、元気に先頭に立って出口へ向かった。



 日本からの飛行機の到着で、出迎えに来ている人々にも日本人に見える人が多い。実際のところ、日本人かどうかは、聞いてみなければわからない。


 その中で、1人だけ目立って背が高く、雑誌のモデルみたいな好青年が、しきりと手を振っていた。

 江上が目を釘付けにしている。ふと目を向けた宇梶が、彼に手を振り返した。


 「友達いうのは、あの人?」

 「そうや」


 “やあ、マーシー! 久し振りだね。また会えて嬉しいよ”

 「まあしい?」


 江上が宇梶を見る眼差しの冷たさに、日置は(かば)ってやる必要を感じた。


 「正敏なんて、こっちの人には言いにくいやん。江上さんも、呼び名を考えておいた方がええんとちゃう」

 「そ、そうやわ」


 自分に問題を投げ返され、彼女に余裕がなくなった。日本語でやりとりしている二人に、好青年が気付いた。


 “そっちの二人は、英語話せるの? マーシー、紹介してよ”


 “もちろん英語も話せるよ。こちらが、日置静で、こちらが江上奈々子。静、こちらがクライド・ヘンリー・ランドルフ、こちらは……?”


 “ミランダ・ヘリングス、クライドのガールフレンドよ。ミランダって呼んでね。よろしく、マーシーとジョー、それにナナ”


 好青年の隣りにいた、明るい金髪の美女が引き取った。こちらもまた、水着姿で雑誌の中から微笑んでいるようなタイプの美女である。

 2人並んだ場所だけ、スポットライトが当たったように輝いて見えた。


 互いに握手を交わした後、クライドが、形のよい眉をひそめて辺りを見回した。


 “車が足りないから、もう1人連れてきたんだけど、何処へ行っちゃったのかな。ミランダ、オリヴァーの行き先を知っている?”


 “ああ。確か、皆に飲み物を買ってくる、と言っていたわ。目的地まで、1時間以上車に乗るでしょう?”


 “飲み物なんて、途中で買えばいいのに。まあ、いいや。駐車場まで歩くうちには行き会うだろう。皆、長旅で疲れているだろう。荷物を車に載せてしまおう”


 クライド達の英語は、空港職員のものに比べて聞き取り易かった。あるいは、耳が慣れてきたせいかもしれない。

 彼らが歩き始めたので、日置達は、ぞろぞろとスーツケースを引き摺って後に付いて行った。


 広い空港の中に、ブロンドやブルネットや肌の色も様々な人々が行き交っていた。大きなガラス張りの出入口からは、晴れ渡った青い空が見える。

 ふと、日置は視線を感じた。振り向く前に、きゃあ、と悲鳴が上がった。


 “伏せろ、銃撃だ!”


 誰かが叫び、辺りはたちまち悲鳴で満ちた。クライドがミランダを庇って床に伏せ、日置達もそれぞれスーツケースを盾にして低く伏せた。


 続く銃声は起こらなかった。徐々に悲鳴が小さくなり、動くな、という命令と警備員達の足音だけが、やけに騒々しく空港の中に響いた。


 残る1人の友人と日置達が会ったのは、結局駐車場であった。


 犠牲になったのは1人の老婆であったが、犯人は捕まらなかった。

 警察なのか警備員なのか、あからさまに武装した恐ろしげな人物から身元確認を受け、連絡先を教えて解放されるまで、誰も身動きが取れなかった。


 オリヴァー・ロディアという青年は、長めに切り揃えた薄い茶色の髪を両耳にかけ、レンズの厚い眼鏡をかけていた。洋画に出てくる大人しく真面目な学生の見た目そのままである。

 自己紹介の時も、その印象は裏切られなかった。


 “じゃあ、皆はオリヴァーの車に乗って、後から僕の車についてきてくれ”


 クライドは簡単にオリヴァーを紹介すると、さっさとミランダを自分の車に乗せた。

 彼の車はスポーツカータイプで、2人乗りだった。オリヴァーの車は普通の箱型である。

 車が動き出すと、日置はもの珍しさから、窓の外を一心に観察した。


 日本とアメリカでは、車線が反対である。日本では対向車が自分の車の右側を通り過ぎて行くのに対し、アメリカでは左側を対向車が通り過ぎる。


 従って、アメリカでは右折よりも左折の方が面倒である。その他にも信号や交通ルールに若干の違いがあるのだが、今は日置の運転ではない分、観察する余裕があった。違和感を感じる前に、そういうものだと飲み込めた。


 それよりも、車窓から見る景色が日本と余りに違い過ぎて、改めて外国に来た、と感じさせられた。

 空気が乾燥しているせいか、日本と暑さの性質が違うように感じる。じめじめとした湿気がなく、からりとしている。


 大きな木々が途切れて、枯草で覆われた丘が重なり合っている辺りに出た。


 飛行機から見た時には、禿(はげ)山だと思っていたのが、茶色いのは枯草だった。

 いかにも高級そうなお屋敷が、ぽつりぽつりと建っていた。


 江上はと見ると、車の震動による催眠効果で舟を()いでおり、宇梶は眠気覚ましかオリヴァーと話をしている。

 車内のぎこちない空気は、気のせいではない。皆、空港で遭遇した事件のことを考えながら、その話題を口にするのを避けているせいだ。


 “車はレンタルするの?”


 “クライドが使っていないのを貸してくれるって言っていた。今度の週末に遊びに行くから、その時引き取ってくるよ”


 “クライドの家は金持ちだからなあ”


 日置は、宇梶が国際免許証を取れ、と(うるさ)く言っていたのを思い出した。歩いていけるような場所でさえも、アメリカ人は車を使うそうなのである。何のことはない、日置に運転させるつもりらしい。

 返す手間を考えたら、空港で借りるのが一番楽なのだが。付き合いも時には面倒なものだ。



 やがて、前を行くクライドの車が、スピードを緩めた。町中に入ったらしく、そこここに巨大なショッピングセンターのような建物が見える。

 ひょいと脇道に入ると、たちまち車通りが絶えて、こぎれいな家が立ち並ぶ住宅街になった。


 道路の幅は日本に比べて相当広く、路上に車が駐めてあっても十分通行できる。

 どの家にも車庫がついているのだが、どうも路上を車庫と思い定めて、空いた車庫を別の用途に使っているらしかった。

 ある家の前を通った時には、開いた車庫の扉の奥に応接セットがあって、一家でお茶を飲みながら(くつろ)いでいるのが見えた。完全に部屋と化している。


 車は、アメリカンライフの見本市みたいな住宅街を通り過ぎ、更に進む。徐々に集合住宅の建物が増えてきた。


 ”この辺りにも、民間の学生寮が建っているんだ”


 オリヴァーが解説する。


 ”大学の寮に入れなかったら、こういうところへ住むんやね”


 宇梶が相槌を打った。


 やがて、学生らしい賑やかな集団が目に留まるようになった。自転車の行き来も増える。車がどこをどう通ったのか、特に門らしき物に気付かぬまま、いつの間にか大学の敷地へ入ったようだった。


 オリヴァーの車が止まった。江上が目を覚まして歓声を上げる。


 「わあ、ここが寮?」

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