SO-068「守るべきは今」
そもそもの問題として、そんな都合のいい温泉は存在しない。厳密にはそう呼ばれそうなものが存在していた、というのが正しいだろうか。上手い話には裏がある、と昔からどの土地でも言われ続けている。
『自分が覚えている限り、その温泉の効能は本物です。ただし、維持するためには相当の犠牲が必要ですが』
「命を吸い取り、溶かしこむ邪法……そんなものが」
そう、効能の噂だけは伝わっているようだが、実態は隠されていた。俺も長い長い記憶からようやく引っ張り出してきたのだ。今の俺はさすまたであり、覚えているのは肉体ではなく魂と言える。それでも普段思い出さない物は段々と思い出すのが大変になる、という事情があるのだ。
どうにか思い出した内容の通りなら、元々はただの温泉だがかつての技術者……魔法に熟練した者たちは支配階級の求めに従い、ついにはその手法を産み出したのだ。大元はポーションなどを作る物と同じ系統で、温泉に力を流し込む……ただし、流し込まれるのは命だ。
『確かに病気も治り、怪我もなかったようになったようです。記録というか記憶にある限りですが……確かめようはありませんが、やはり問題になったようで人ではなく魔物を使うようになったようです』
「だからといって魔物ならば問題ない、というわけにはいきませんわね……」
前を向くお嬢様の表情は硬い。多くを語らずとも、その温泉の行きつく先を想像できたのだと思う。そんな都合のいい温泉は存在しないのだ。魔物から命を吸い出すような仕組みは、そうでない物も吸い出した。簡単に言えば、人が汚染されたのだ。
徐々に狂い、暴走し……滅びた。そう伝え聞いている。と、そこまで記憶を思い返したところで気が付いた。今の状況にどこか似ているな、と。もしかしたら……。
「街道には兵士の姿はありませんわね。さすがにこちらまで一気に迫る予定はないのかしら」
『ブリザイアを攻め滅ぼすのが目的ではないのかもしれませんね』
今、俺たちが走っているのは主要な街道ではないとはいえ、戦争をしようというのならこちらの警戒もしておかしくない。だというのに今のところはそう言った気配どころか、主要街道にも進軍してくる気配はない。
「とにかくお二人を見つけないと……もう少し、頑張って」
目立たない毛色の、と指定した馬は良く鍛えられており、なんだかんだと女性であるお嬢様の体重や装備の重さ等は感じないように駆け抜けている。それでも高低差のある中を走るのは重労働のはずで、出来る限り急ぎつつ休息も挟み、一気に北へと向かっていく。
そしてついに、山のふもとにそれらしい場所を見つけたころにはお嬢様と俺、そして馬は長年の連れ合いのように絆で結ばれていた。休息中、俺を器用になめたり咥えて遊ぶ等仲良しこよしだ。
『予想よりは少ないというべきか、こんな場所を占領するには多いというべきか』
「本隊は別にいるのでしょうけど……それにしては馬車が多いですわね」
山の上から見える限りではブリザイアの正規軍と正面からぶつかって勝つには数が足りない。このあたりには他に街や陣地になりえる場所はない。ブリザイア王に聞いた限りでは、この場所も細々と管理されている村としての施設だけのはずだった。
別の道であれば占領するに値しそうな町はある。本隊はそちらに行っていると見るべきだが、それはそれとして兵士の数のわりに馬車が多いのだ。何かを運ぼうとしている、もしくは運んできた……。
「もう少し近づいたところで、馬は留守番ですわね。合図をしたら、駆けてきてちょうだい」
さすがに潜入するのに馬は一緒ではまずい。その代わりと言ってはなんだが、いざとなれば脱出のためにこちらまで走ってきてくれるのが一番だ。そんなことが出来そうなのも、お嬢様の人柄というか、不思議なところだ。
(気のせいでなければ、お嬢様から魔力が少し動いている……そういう魔法かもな)
よく鳥にも餌をあげていたし、夜の宝物庫の窓部分に小動物が来ていることもあった。そういう素質があるのかもしれない。まあ、今は深く考えても意味がないだろう。
目立たないよう、地味な色合いの服に加えて顔や腕も土色の塗料で塗り始めるお嬢様。日暮れともなればそれはかなりの迷彩となるだろうことがすぐにわかる。以前、侵入者が持っていた塗料を参考に作った物らしいが、どこで何が役に立つかわからないものだ。俺としてはお嬢様の綺麗な肌だとかが汚れるので嬉しくはないが……。
「匂いますわね……監禁できそうな場所となると……」
夕暮れ、そして夜。小さくなった俺を手に、お嬢様は温泉村に潜入を開始する。北であろう兵士の数は多いと言っても、村全体にまんべんなく配置されているという訳でもない。手薄な部分はどうしても生じている。普段は守り、侵入される側の俺たちが侵入するというのも不思議な話だが、されて嫌なことは知り尽くしているも同然。
死角はどうできるか、見つけにくい道はどういうものか。時に身体能力で乗り切り、時に俺をつっかえ棒や足場にして飛び上がる。屋根に飛び上がる時なんかは完全にさすまたではなくただの棒だがそれも2人のためだ。
『あっちに馴染みの気配を感じます』
「……ですわね。2人一緒とは都合がいいですわ」
ついに周囲の兵士達の気配の中に、フェリテ様とフリーニア様、2人の気配を感じた。2人とも王族に相応しく、独特の魔力の波動のようなものも感じるのだ。他の人間と区別がつきやすくてありがたい……が、嫌な感じもする。
だから俺はお嬢様を呼び止めるようにし、決意を確かめるのだ。
「トライ?」
『お嬢様、奴らの動き次第によっては、どうにも不殺ではいけないかもしれません。確実に動きを止める必要があります。奴らが……お二人の命を吸い出してる最中の場合には』
空気が冷たく、硬くなった気がした。普段から聡明なお嬢様のことだ……考えついてはいるのだろう。最悪の場合、2人とももうどうしようもない状態になっているかもしれないということも含めて。ブリザイア王は2人が王族ということで北も交渉に使うだろうというある種の楽観からこの奪還をお嬢様に依頼している。ただ、王としてはいざとなれば切り捨てる覚悟も必要だ。お嬢様への依頼は親としての甘さ、そうとらえることも出来る。
「……守るべきは宝物であり、それが第一ですわ」
家に伝わる家系、家訓はあくまでも宝物ではない。そう言外に言い切ったお嬢様の顔に迷いはなかった。俺もまた、全力で支援するべくトゲの先1つ1つまで、意識を向けるのだった。




