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GRASPA  作者: F式 大熊猫改 (Lika)
第二章
21/21

罪悪の騎士

 スコルアの空が燃えている。

西の辺境、ウォールグより帰還したシェバが飛竜の背で見た物は壮絶な光景だった。

空からはマシルの魔術師、マリスの魔術による隕石の落下。そして地上では同じく魔術師のラスティナによる守護霊の巨人が暴れまわっている。一体何が起きている、とシェバと共に魔人討伐に赴いた騎士達は動揺を隠せない。

 空を覆い隠さんと群れになって飛ぶ竜達。その背には騎士が数名ずつ乗せられ、今まさにスコルアへ帰還しようとしている最中だった。久方ぶりの故郷を楽しみにしていた騎士達は開いた口が塞がらない。今の今まで西の辺境で魔人の軍勢と戦っていたのに、まさか王都までもが戦場と化しているとは誰も考えてはいなかった。

 騎士達が呆然とする中、冷静に分析する女が一人。

黒髪の長髪を風になびかせ、飛竜の背の上であぐらをかく人物。黒いローブを身にまとい、全身に魔人、人間双方の血を浴びた姿。


「魔人ね……ここまで来ると笑えてくるわ」


 先代のナハト、リエナ・フローベル。シェルスを王族の子供として迎えようと提案したマシルの幹部。彼女は西の辺境に突如として現れた魔人の軍勢を討伐する為、騎士達と共に赴いていたのだ。

 リエナの言葉に騎士達は拳を握りしめる。まるで自分達を嘲笑っているかのような状況に。


「リエナ様、あの巨人は守護霊ですか。誰の物です」


リエナへと質問する騎士隊長、シェバ。五十万の騎士隊を束ねる男であり、シェルスの実父でもある。そして同時にイリーナと共に幼少の頃、地獄を共有した仲でもある彼はこの状況でもすぐに冷静さを取り戻していた。


「私の弟子ね。貴方も聞いたことはあるでしょ。力を制御できない双子の魔術師の話は。今その子達が前線で暴れまわってるみたいね」


「ラスティナとマリスですか。何故そんな子供を……」


「それだけ切羽詰まってるって事ね。シンシアの指示でしょうけど……嫌な予感がビンビンするわ。バラス島が関係している事は間違いなさそうだけど」


 西に赴いていた騎士達は知らない。シェルスがイリーナの手によって助け出され、更にリュネリアによってグラスパがスコルアに現れた事など。だがリエナはグラスパの気配を微かに感じ取っていた。違和感程度の、すぐにでも消えてしまいそうなほどにだが。しかしリエナはその違和感の正体が今の現状を生み出していると直感で感じ取っていた。


 スコルアの空はだんだんと静まっていく。先ほどまで隕石を振らせていた空が何事も無かったかのように。


「不味いわね。あの子達に限界が近づいてるみたい。ラスティナの巨人も勢いを無くしてるし……他の騎士達は何してるのよ」


「恐らく展開中なのでしょう。その時間稼ぎに選ばれたのが幼い双子……。二人に限界が迫っているというのなら急いだほうが良い。リエナ様、空は飛べますか」


「……ちょっと、何させる気?」


シェバは愛用する武器、ハルバートを片手で軽々掲げる。そのままリエナの乗る飛竜へと飛び移り、淡々と歩きながら


「リエナ様、先行して救援に向かってください」


ゆっくりとハルバートを構える。その構えを見たリエナは溜息を吐きつつ立ち上がり、自らの体を結界で覆った。


「憶えてなさいよ……アンタ……」


「お断りです。ではご武運を……」


そのままシェバは結界で覆われたリエナを、ハルバートで勢いよく打ち放った。

飛んでいくリエナが見えなくなるまで、騎士達は思わず敬礼する。シェバの無茶ブリにいつも苦労させられているリエナの身を案じながら。




 ※




 一方、スコルアではラスティナとマリスによる魔人の殲滅に限界が見えてきたと、門の見張り台の上から街全体へと結界を施しているナハトは顔を顰める。空を覆いつくさんと展開されていたマリスの魔術は綻びはじめ、ラスティナの守護霊は勢いを無くし膝を付き始めた。まるでそれは二人が泣き叫んでいるようにも見える。


「限界だ……もうこれ以上は……」


 ナハトは自分の無力さを噛みしめていた。まだ十歳の子供を戦場の、しかも前線に二人だけを特攻させた。有り得ない処の話ではない。あってはならない現状を、自らの手で選んだ。二人の魔人に対する感情を利用し、制御できない力を無理やりに行使させている。それが何を意味するのか、勿論ナハトは十分すぎる程に理解していた。最悪、二人は死ぬ。魔人に殺されるまでもなく自滅する。


「ウォーレン! 限界だ! 二人を頼む!」


東門の見張り台から、ナハトは騎士団長へと先叫ぶように言い放った。その声を聞いてウォーレンは一瞬で理解する。ナハトがどんな想いで二人を戦場に送り込んだのかを。マシルのトップであるナハトは当然ながら守る物が多すぎる。だがその中で魔術師の存在は最下位だ。守るべき物ではなく、魔術師は騎士同様、この国では剣として扱われているのだから。


「総員抜剣!」


 ウォーレンの号令で騎士達は一斉に己の武器を構える。その中にサリス隊の精鋭、ザナリアの姿も。常に黒い甲冑を着こみ、自分の身長よりも巨大な特大の剣を扱う騎士。変人だと言われると同時に、その実力は誰からも評価されていた。そんなザナリアには、サリス隊長からラスティナの救護を命じられていた。


 ザナリアは黒い甲冑の奥、今にも燃え上がりそうな瞳でラスティナを想う。両親を目の前で殺された子供など腐る程居る。ザナリア自身もそうだった。魔人に家族全員を殺され、自分だけが生き残り騎士になった。だからこそわかる、ラスティナとマリスの叫びが。


「魔人共を殲滅せよ!」


 ウォーレンの号令で一斉に東門から飛び出す騎士達。ザナリアは一目散にラスティナの元へと走る。途中で魔人を紙切れ同然に切り捨て、味方の騎士が魔人の手に堕ちそうになるのも無視して突き進む。ここでラスティナより先に騎士を助ける事など許されない。そんな事をすれば、自分は味方の騎士に殺されるとザナリアは想っていた。騎士が展開するまでの間、時間を稼いでいた双子。二人が戦っている間、騎士達は指を咥えてただ待つしかなかった。その時間がどれだけ苦痛だったかなど言うまでも無い。口から鉄の棒を入れられ、腹の中を掻きまわされているような屈辱。騎士として名乗る事すらおこがましいと感じてしまう罪悪感。二人が戦っている間、騎士達は皆一様に思っていた。この感覚には憶えがあると。


 それは一年前、バラス島にシェルスが拉致された時と同じだった。騎士達はイリーナ同様、当然のようにバラス島へ攻め込み、シェルスを助けだす物と思っていた。だが見捨てると決断が下され、騎士達は溶けた鉄を飲まされているような感覚に陥った。今すぐにでも助けに行きたい。だがそうすれば、バラス島が保有する未知の力によってスコルアが落とされる。そうなれば一体どれだけの被害が民に出るのか想像も出来ない。騎士達はひたすら耐えるしかなかった。恐らくシェルスは既に殺されている、そう考えを巡らせながら。だが一年後、シェルスがイリーナの手によって助け出された時、騎士達は絶望した。シェルスは一年もの間、バラス島で拷問を受けながら生き続けていたのだ。ザナリアは何度も自決を試みる程に罪悪感を覚えた。シェルスは未だ十五歳の少女。そんな少女が一年間もの拷問に耐えていたのだ。


 いっそのこと、シェルスは騎士を恨みに恨んで処刑を命じてくれないだろうか、そんな風に思った事もある。だがザナリアの淡い期待は見事に裏切られた。シェルスは騎士を恨んでなどいなかった。それどころか、助け出された事に感謝すらしていた。何故そんな風に思えるのか。ザナリアは一度、サリスへと尋ねた事がある。その時の回答に、いよいよザナリアは涙が止まらなくなった。


『姫君は……騎士に何の期待もしていなかった。自分は所詮飾り物の王族だからと、助けが来る事は最初から諦めていたらしい……』


 それを聞いた瞬間、ザナリアは悟った。自分達は騎士では無い。騎士を語る事など許されない。ただレインセルの敵を滅する道具。本当に道具に成り下がれるならどんなに楽だろうか。だが姫はそんな事は許さない。シェルスは騎士を目指し始めたのだ。あろうことか、自分を見捨てた騎士に。最初から期待などしていなかった騎士に。ここにきて強く生きようとする姫の姿に、騎士達は心臓を抉られる想いだった。


 魔人を切り捨てながらラスティナの元へと走り寄るザナリア。もはや自分達に出来る事など無いに等しい。国を守るなどという大義名分を掲げるつもりなど一切無い。ただただ魔人を殺す。死ぬまで魔人と戦い続ける。もうそれしかない。自決など許されない。姫は一年もの拷問に耐えていたのだから。自らの手で命を絶つ事も出来ただろう。だが姫はそうしなかった。十五歳の娘が耐えていたというのに、自分達に自決の自由がある筈も無い。


 魔人と戦って、戦って、戦って、体が動かなくなっても、床を這い虫けらのように踏みつぶされて死ぬ。それが自分達に残された末路。

 ザナリアは特大剣を片手で担ぎながら泣きじゃくるラスティナを抱き、ナハトの元へと走る。


「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」


 一体何に謝っているのか、ラスティナはそう言い続けていた。誰に許しを乞うているのか。ずっと地下で眠り続けていたラスティナは、シェルスがバラス島へ拉致された事も救出された事も知らない。当然、この謝罪は姫に対する物では無い。ならば誰に……とザナリアは考えた時、再び魔人がザナリアの行く手を阻んだ。


『殺ス……その娘は殺ス! 我が同胞ヲ虫の如く踏みつぶした悪魔の娘ダ! 絶対に殺ス!』


魔人の言葉に、ザナリアは甲冑の奥で笑みを浮かべた。虫けらの如く踏みつぶされた、それはとても羨ましいと。出来れば自分もそうなりたい、そう思いながら容赦なく目の前の魔人を両断した。


「お前等に感謝する時が……いつかくるかもな……」


ザナリアは剣を捨て、ラスティナを両手で抱きかかえながら走る。

その腕の中、ラスティナはひたすら謝り続けていた。誰に対する謝罪なのか。ザナリアはナハトの元にラスティナを運ぶまで、ついにその謝罪の意味を理解する事が出来なかった。




 ※




 ナハトは運び込まれたラスティナとマリスに暗示をかけ、再び深い眠りへと誘う。用なしとなれば再び地下へと隔離する。世間はこの双子を悪魔と呼ぶが、それは全くの逆だとナハトは叫びたかった。悪魔はこの子達では無い、自分達こそ真の悪魔なんだと。


「ユミル……頼んだぞ」


「はい……」


 ラスティナとマリスは馬車に乗せられ、再びマシル大聖堂の地下へと運び込まれた。いつか二人を開放する術を見つけなければ。ナハトは堅く誓う。この魔人の軍勢を退く事が出来れば、それは間違いなく幼い双子の手柄だ。その時は誰にも悪魔などとは呼ばせない、このスコルアを救った英雄として二人を称える。

 その為にも今は魔人達をどうにかせねばならない。騎士達は戦い続けているが、魔人達は未だ多くが健在していた。ラスティナとマリスによって半分程は減らせた筈だ。だが状況は芳しくない。西の辺境へ騎士をやったせいで、このスコルアの戦力は二分されていた。


「もう私が出るしか……いや、しかし……」


もしグラスパが出てきた時、その相手はナハトしかいない。グラスパは魔術を編み出した伝説の魔人。魔術の知識が乏しい騎士では撃退は難しいだろう。グラスパと対峙出来るのは、このスコルアでナハトを置いて他に居ない。


「だからって……このまま黙って見ているしかないのか……」


 ナハトは戦場を見張り台の上から見渡す。魔人の群れがスコルア東に広がる草原を埋め尽くしていた。このままでは騎士もいつか全滅させられる、そう思った時、ナハトの目はとある巨人で止まった。


「……ラスティナの守護霊? 何故まだ残っている……」


本来、守護霊ならば宿主であるラスティナが眠った瞬間に霧散する筈だ。だが守護霊たる巨人は戦場に両膝を付いた状態で眠っている。何故実体化を続けているのか。ナハトの脳裏に嫌な予感がよぎった。


「まさか……他の魔人に制御を奪われた? バカな、あれほどの守護霊を扱える奴なんて……もうグラスパくらいしか……」


伝説の魔人が既に戦場に居る。その嫌な予感がナハトの脳裏をよぎるのと同時に、懐かしい声が頭の中へと響いてきた。


『これは何の嫌がらせかしら、シンシア』


「……っ!」


脳裏に響く声、それは通信魔術。そしてその声の主は、ナハトが最も恐れ、最も尊敬した人物。


「リエナ様……あぁ、リエナ様……」


『あら、今にも泣きそうな声じゃない。頑張ったのね、エライわ、シンシア』


子供扱いしてくるリエナに対し、ナハトは思わず涙をこぼしてしまう。普段ならば怒る所だが、リエナが戻ってきた事で一気に感情が溢れ出した。罪悪感と安心感、その両方が。


「リエナ様……私を……どうか私を殺して……今すぐ殺して……」


『ラスティナとマリスの事? まあ、それは別にいいんじゃない? あの子達にもストレス解消は必要よ。それよりシンシア、泣いてる暇なんて無いわよ。もうすぐ馬鹿が来るわ。貴方はちゃんと街に結界を張って守ってなさい』


 ナハトは涙を拭い、西の空を見上げる。そこにはおびただしい数の飛竜。そしてその飛竜一つ一つに光が灯り、今にも咆哮を繰り出さんと準備しているのが分かった。その瞬間、ナハトの顔から生気が消える。


「あのバカ……! おい、ウォーレン引け! バカが来るぞ! 騎士を一時撤退させろ!」


通信魔術で騎士団長へと告げるシンシア。騎士を束ねるウォーレンは、ナハトの通信を聞き即座に理解した。シェバが帰ってきた、と。


「撤退……! 撤退しろ! 急げ! 下がれ!」


ウォーレンの号令で騎士達は一斉に撤退する。

だがその時、ウォーレンの眼前へと一人の男が大地を踏みしめながら現れた。


「……オズマ! お前……何があった!」


「…………」


オズマは答えない。その背に愛用している大剣は無く、オズマは静かに腰にある剣を抜剣する。

ウォーレンはそのオズマの目を見て確信した。こいつはオズマでは無い。魔人によって堕とされた哀れな存在だと。


「魔人め……どこまで我々をコケにすれば気がすむ……」


咆哮を上げ、ウォーレンへと特攻するオズマ。

その姿にはかつての面影など一切ない。大戦を共に戦い抜いた戦士たるオズマは既に死んでいる。

目の前の“敵”はただオズマの姿を模しただけの物。ウォーレンはそれでもかつての戦友にたいし、敬意を払っていた。


敬意を払い、特攻してくるオズマの心臓を容赦なく串刺しにする。


「眠れ……英雄オズマ……」


その瞬間、オズマは霧散する。オズマが率いていたバラス島の騎士団も、彼の後を付いて行くように消えていく。その光景に息を飲むウォーレン。そして次の瞬間、戦場を飛竜が放つ咆哮が焼き尽くす。


「……シェバ……」


目の前で吹き飛ばされる魔人達。そして同時に飛竜から飛び降りてくる騎士達。

西の辺境、ウォールグより帰還した勇猛な戦士達は誰もが頼もしく見えた。その中で一際巨大な武器、ハルバートを抱えた騎士隊長の姿を見て、ウォーレンは思わず笑みを零す。


「お久しぶりです、騎士団長」


「あぁ……待ちわびたぞ……シェバ」






 

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