ウェルカム・トゥ・アウア・マッドワールド
翌々週の午後、佑樹は国際政治学の授業を終えると、同じクラスのジョージと学内の廊下をつるむように歩いていた。
佑樹はいつもながらに、何となくだが、ひどく不満そうで、傍らを歩くジョージへと話した。
「こんな国に住んでる俺たちに、国際政治学なんて何の必要があるのかね。・・・だってそうだろ。日本は世界の中で、沈み込んでゆく一方じゃないか。この国が自主的に世界に何かを働きかけたことって、今までにあったかよ。聞いたことがないよ。いつもアメリカの金魚のフンみたいにさ」
「確かにね、この国の政治って、いつだってその場しのぎで、未来への展望や戦略なんてものを感じたことがない。経済大国だって言われていた時代にだって、日本人は頭の悪いガキみたいに有頂天になっていただけだろ。アジアをリードして、実利を積み重ねるチャンスだったのにさ。何かと言えばフィリピンに行って、女を買いあさっていたって話だ」
「それから先は、ただただ坂道を転がり落ちてゆくだけでさ。過去の栄光にしがみついている負け犬でしかない。まったく、裸の王様も良いところだぜ。とにかく猿並みの人間しかいない」
「善悪よりも損得ばかり考えちまってさ。それなのに、その果てが今の借金大国だ」
「今や、アジアの覇権はインドと中国に握られちまっている。何をやるにも連中は戦略的だからね。経済にしたって、軍事にしたって、今じゃ奴らにナメられっぱなしだ」
「どうしたって日本人は立ち直れないよな。バカな大人たちが決定的な失敗をくり返してばかりいる。教育が何なのかってことさえ考えないで、子供たちを甘やかすだけ甘やかして、制御不能にしちまったのは大人たちだからな。そんな子供たちが今の大人だよ」
「自分の過ちを正すことさえ出来ていないんだ。やり切れないね。結局、俺たちは泥沼の中で生きてゆくしかない。イカレた政治家や官僚どもが作ってきた忌々しい借金の山の中でさ」
いつものように小難しい話をしながら愚痴をこぼしてはいるものの、それでも佑樹とジョージは、目に付くルックスの良い女学生を見付けると、彼女たちの尻やその胸を挑発するように悪戯っぽく見比べていた。
ジョージが少し前へと歩き出していって、正面から歩いてくる美貌の女学生をふざけた態度で指差して、ニヤついてみせた。
「あの女、この前見たAVの、何とかキラリって女に凄く似てるよね」
「それなら俺も見た。赤坂キラリ。赤坂キラリだよ。あいつはマジで良い女だ」
ジョージが派手な顔立ちをしたグラマーな女学生に、わざとらしく笑いかけてみせた。それから腰をくねらせて、くるりと回ってすれ違って、両手で自分の胸を撫でるようにして、大げさにしなを作って、大きな乳房をその手で象ってみせた。
「な、良い胸してるよな。谷間があるから、小さく見積もってもFはありそうだ」
「縛られた上に、無理矢理に回されて、最後は何人もの男たちにザーメンをぶっ掛けられちまうあれだろ。可愛い女がやることじゃないよな。何もあそこまでやんなくてもさ」
「後半戦は調教されて、セックス中毒になっちまってさ。何人もの男をフェラだけでイカせたかと思うと、3Pの後で、献身的にソープ並みのサービスまで見せ付けてくれる」
佑樹がニヤけて、言葉を継いだ。
「あいつは相当なテクの持ち主だ。ウットリしちまってさ。お掃除フェラも最高だった」
「何たって好きモノだよな。本当は、さっきの女がやってたりしてさ。今の世の中、何だってありだからさ。いやらしい娼婦たちが、無垢で清潔な天使の顔付きをしていやがる」
そう言って、ジョージと佑樹は子供のように笑い合った。
佑樹とジョージはそうした下劣な話をして盛り上がって、じゃれ合うようにしながら校内を歩き抜けた。最近の佑樹とジョージはそんな風にふざけ合って、おどけ合って、心の奥底に沸々と沸き起こって感じる強い憤りとフラストレーションを、うやむやにしてごまかしていた。
2人はどれだけ実直になって、懸命に勉強して努力してみても、中身と内容が空っぽなこの国では、望む成果は得られそうにないと感じていた。それもこれも、クソみたいな大人たちが作ってきた、アホみたいなこの社会のせいだ。ふざけるのも良い加減にしてくれよ。正しくそんな感覚だった。・・・
2人はそれから図書館に寄って、校舎から出てくると、にわかに苛立ちをはらんだ顔付きになって、表のポーチのその上に立った。2人は、薄っすらとモヤが掛かった日中の風景を見渡した。
学生たちは一様に物質には満たされているが、どこか空虚で、誰もがつまらなさそうな顔付きをしている。用が無くても、手にはスマホを持っている。佑樹は上空に滲んで見えている太陽を見上げ、やがては、やり切れなくなって溜め息をついた。
ジョージが呆れた表情になって背伸びをした。それから佑樹へと告げた。
「寝ては起きて、起きては寝て、食べてクソして、呼吸をしながら単に生きているだけなんてさ。なんてたってつまんない生活だよな。俺たちはいったい何のために生きているんだろうか?」
「言えてるね。生きている実感なんて何もない。俺たちゃ、まるで蝋人形みたいだ」
佑樹が不満そうに、ヘドを吐き出すような顔付きをした。するとジョージが提案した。
「それならさ、何でも構わないから、スカッとすることをやってみないか。何かこう、世間の奴らがアッと驚くような、パーッとした派手なことをさ」
「派手なことって、いったい何をすれば良いんだよ」
「そんなの何だって構わないさ。出来ることから始めてみるんだよ。面白いことだったら何だって構わない。そうやって毎日何かに興奮して、とにかくリアルに生きてみるんだよ。生きている実感ってやつを手に入れるためにさ。それで、どうしようもなくなって、どん詰まりにハマり込んじまうようなら、さっさとケツをまくってリセットしちまえば良い。どうせ世の中、みんな勝手に生きているんだからさ」
佑樹とジョージは、大変に裕福な家庭の出身だ。幼い頃から両親のプレッシャーにさらされながら勉学に励み、高校時代には、どちらも秀才と讃えられてきた。大学でもかなり優秀な生徒である。また、両親の危ないからという懸念があって、土に塗れて、自然と戯れて遊んできた経験がなく、人とも交わらず、部屋にこもって、マンガや、ゲームや、AVや、スマホで、責めさいなむストレスを紛らわせてきた。
中には、人生に希望を持って、困難に立ち向かおうと教える優良な子供向けのマンガやアニメがあるにはある。それでもゲームやAVを含めて、それらの多くには規制が無いに等しく、刺激的であることで人々の関心を強く惹き付け、際限なく過激になってセールスを伸ばしてきた。人々は闇を恐れてこの街を作り、そうして神や彼の仲間たちを対岸に遠ざけてきた。
過剰すぎる資本主義は、まちまちの小さな商売を殲滅させて、社会の動向や、人々の人生を画一化してきた。バカを売り物に、軽薄で安直な考え方が本流になったために、人々は幼稚になって、想像力も低俗になった。社会の成長は低調なままで、新しい産業は生まれずに、経済は足腰が弱く、ひどく不安定なままだ。さらには、人口が減少した上に、生命線とも言える人材が劣化してしまえぱ、日本は、真に資源のない国家へと成り果ててしまう。
日本人の心には空洞があって、それはどれだけ物品や、知識や、権力を手に入れたとしても、埋め合わすことが出来ないでいる。それでも人々は尽きない欲望を満たそうと、ビジネスだけに邁進をしてきた。金にしか安らぎを得られないからだ。・・・それでもこれと言った救いは見付からず、経済も傾いて、出口の見えない停滞感が否めないでいる。
20才を目前にして、就職活動を前にした佑樹とジョージは、このまま行けば優秀な学歴を手に入れるはずだ。ところが社会に出てみて、いくら努力を重ねたところで、企業の体質は冷酷である。将来の見通しは真っ暗なままで、前向きに人生を送れるだろう安心感など、どこにも感じられていない。
2人と瑛太はプライドが高く、世間に埋没することを善しとせず、利口な分だけ、その痛みは強かった。そんな混沌とした『シティ』の生活には、毎日失望させられている。それでも『シティ』から離れることは出来ないでいる。それほどまでに『シティ』の生活は作為に満ちみちて、魅惑的なのだ。
その週の金曜日の午前0時過ぎ。佑樹はジョージを助手席に乗せて、川崎方面へと、黒のコクーンを国道61号線に走らせていた。そして東名高速の川崎インター近くの交差点を右折していって、通り沿いにある、とある有名横浜ラーメン店の駐車場へとその車を入れた。
しばらくして、瑛太がハンドルを握ったカワサキ・シャイアンが尻手黒川道路を東へと進んできて、2人が待つ駐車場へと入ってきた。
その店で3人は窓側の中央辺りのテーブルに着いて、瑛太が薦めるチャーシュー・ラーメンを食べた。瑛太はラーメンを食べながら、テーブルで向かい合っている佑樹とジョージに目をやって、今夜の2人は何かいつもと少し様子が違うなと感じていた。
そして、それはラーメンを食べ終わって、少し経ってからのことだった。祐樹が腹が満腹になって、満足してニンマリと微笑んだ。それから、「ここのラーメンは、かなり美味いね」と言った。
ジョージがそんな祐樹をチラリと見て、頷いて、少し深刻そうな顔付きになって、「実は今夜は、瑛太に打ち明けなきゃならないことがある」と話した。それから一息して、「祐樹と俺はもう決めたことなんだ。・・・瑛太も参加してくれると嬉しいけど」と続けた。
瑛太がそれにあっけらかんと笑って、「どうしたんだよ、2人とも。・・・なんか今夜は、深刻な顔付きをしちまってさ」と返した。それから呆れて、腕を組んで、「お前たちはまだ、俺って人間を分かっていないようだな。俺たちはもう一心同体だ。俺は途中で抜けたり、引き返したりはしないぜ。お前たちはもう俺の血の兄弟だ。将来は3人で何かビジネスでもやりたいと考えてるぐらいだ」
それに祐樹が、ニヤリと笑ってみせた。「悪くないね。3人でビジネスか。・・・俺たちだったら、何をやっても成功しそうだな。・・・いつかは3人でその話をしよう」
祐樹がジョージに軽く頷いてみせて、周囲の客たちの様子に目配せして、ふたたびジョージとその顔を見合わせた。それから瑛太のその目をしっかりと見つめた。上体を前にして、顔を近づけ、声を低くこう話した。
「成功しているとか成功していないとかは関係ない。ゆるくて歪な、出来の悪い社会だからさ。物差し自体が大きく間違っている可能性がある。・・・だけど、誰にも負けない何かを持っていない者たちや、世界に誇れる何かを持っていない者たち、懸命に何かに毎日を懸けていない者たちや、社会に訴えたいと思う何かを持っていない者たち、心の芯に強い怒りや深い悲しみや大きな喜びを持っていない者たちは、平凡な人間だ。そう言う奴らは努力をしない。努力するだけの理由が見当たらないからね。石ころと同じだよ。何も持たないそう言う奴らは、金に執着するしかない。自分なりの物差しを持っていないからさ、金にしかエネルギーを向けられない。それでもって、そんな金に執着している奴らのほとんどが皆、貧乏人たちだ。中には、金に執着するだけの力さえ持たない者たちもいる。そう言う奴らは、人としての生命力に欠けているんだよな。・・・まあ、良いさ。そんな奴らは俺たちには関係ない。問題なのは中途半端な奴らだよ。俺が嫌いなのは、アホな男たちをたぶらかして、都合が良いように男たちを利用して、調子に乗って小銭を稼いでいる女たちだ。そんな女は娼婦と同じだろ。思いのままにもてあそんだって、何の罪にも値しないはずだ。俺とジョージはそう考えている」
それは裕福な家に生まれて、何不自由なく育ち、やがてはその富を相続する贅沢な若者たちにしか言えない、横暴な言葉かも知れない。しかしそれらは、現代の世界の真実を言い当てている。コンピュータとインターネットが進化して、人々は過剰に安直になって、確実に創造的では無くなっている。それに元来、若者とは暴走するものだ。自身ありげな若者たちほど暴走しがちである。
瑛太がジョージに目をやって、その目を祐樹に戻して、「悪くないね」と小さく言って、頷いてみせた。それから「そいつは面白えな。確かにな。世間には、ふざけた女たちが多過ぎるからな」と続けた。
ジョージが2度、3度と頷いて、ニッコリ笑って、「バカな女が多いからさ。きっと社会が大騒ぎになるよ。ネットでだって、テレビでだって、俺たちの話題で持ちきりになる。話題にしないと皆より遅れるからってさ。本当にバカな世の中だ。マネする奴らも出てくると思うよ。そうして俺たちはヒーローになって、世界中を駆け巡るんだ」と続いた。
祐樹がニヤリと微笑んでみせた。
「ターゲットは誰だって良い。夜に出掛けて、目に付いた者から手を着けてゆく。・・・覚えているだろ?あの時のアルテミスみたいにさ。あの時は、マジで快感だった。セックスするより気持ちが良かったよ。世界が今、俺たちの行動に注目しているって感じてさ。全身に鳥肌が立っていた」
それから数日間、祐樹とジョージは大学で授業を受けて、家に帰って自習して、瑛太と3名で『スクリーム2』をプレイして、いつもの日常を過ごしていた。3名は協力し合って怪物たちを倒し、極めて順調にポイントを稼いで、個々がすでに1600ポイント以上を獲得していた。そうして3名は混沌としたトウキョウの街で怪物たちを倒し、『ゴッズ・ウォリアーズ』となるランクアップを目指して、刻一刻とその道を進んでいた。
そして、その週の土曜日の夜、ジョージと瑛太は、21時過ぎには祐樹のマンションに集まって、瑛太の運転でNISSAN・コクーンを走らせて、都心の街へとその車を進ませていた。
コクーンは祐樹を助手席に、ジョージをシートを1つだけにした、後はベッド状にフラットにした後部座席に乗せて、246号から旧山手通りへと左折していって、山手通りに進んで初台方面へとその車を走らせていた。
コクーンは初台の交差点を右折して、甲州街道を新宿方面に進み、続いて西参道の交差点を右折していって、西参道を代々木公園方面へと進んだ。
佑樹が顔だけを後ろに向けて、後部座席のジョージへと話した。
「なあ、ジョージ。生身の女とやるんだったら、どんなのが良い?」
ジョージが、ニヤけたルームミラーの瑛太に目をやって、ちょっと照れくさそうに、「カワイイって奴より、美人が良いな。美人だったら、どんなだって良いよ。いいや、デブは嫌だな。チビなら許せるかも知れないけどさ」と答えた。
佑樹が薄ら笑いして提案した。
「イギリス人とか、アメリカ人とか、外人なんてのは、どうだよ?初めてやるのが外人女って言うのは悪くないと思うよ。外人女は良いって言うからさ。俺は興味があるけどな」
瑛太がそれに、「確かに、外人女は楽しませてくれる」と意見した。
祐樹がその言葉に「だろ」と、合いの手を入れた。
瑛太が続けた。
「あいつらは根本的に受け身じゃないからな。女だって楽しみたいって、積極的なのが良い。俺は嫌いじゃないけどさ」
佑樹がそれにケラケラ笑って、「ジョージはそっちの方はプロだからな。中学の時から、いくらだって女の方から寄ってきていたものな。本当、お前は入れ食いだったよな」と返した。
瑛太が照れ笑いして、「まあまあ、今夜は俺のことは良いんだよ。ジョージに好みを聞いてやってくれ」と返した。
ジョージがそんな2人に、「外人だって日本人だって、どっちだって良いよ。美人であるなら、誰だってOKだ」と話した。
車は、代々木公園の東側の通りを参宮橋駅近くから代々木八幡方面へと走り抜けていた。そして、そうして車を走らせていると、偶然、反対車線の歩道上に、ブロンド・ヘアの若い女が1人で歩いているのが、通りの街灯に浮かび上がって見えた。・・・間違いない。白人女だった。
ハンドルを握る瑛太が、それを見て、「祐樹。今のを見たか?」と尋ねた。
ジョージがシートから乗り出して、助手席の祐樹が、アッという間にすれ違っていった白人女を歩道上に見つめて、「ああ。見たよ見た。結構、良い女だったじゃないか」と、瑛太へと答えた。ほんの一瞬のことだったが、女がかなりの美人であったことは確かだった。
瑛太がニヤリとして、「あれに決めるか?」と、2人へと尋ねた。
祐樹がそれに「悪くないね」と応え、ジョージが続けて「うんうん」と頷いた。
車は、代々木公園交番前の交差点で落ち着いてUターンをすると、瑛太はバックミラーに、後方に続いて走る車のヘッドライトに目をやって、ハザードランプを点灯して、路側に寄って徐行を始めた。そうして10台ほどの車列をやり過ごした。
車は低速を維持して、歩道を歩いてゆくブロンド女の後方へと近付いていった。佑樹が迫りくる女の背を見つめて、「ウエルカム・トゥ・アウア・マッド・ワールド」と呟いた。すると、それに呼応して、瑛太とジョージも「ウエルカム・トゥ・アウア・マッド・ワールド」と、個々に口元に呟いた。
そして瑛太は、一旦、軽くブレーキを踏むと、助手席の祐樹と後部座席のジョージを路側へと降ろした。助手席のドアは音を静かに閉められたが、後部座席のスライド・ドアは開けられたままだった。
祐樹とジョージは歩道を歩き出し、女の後方へと足早に進んだ。
車は女を少し追い越したところで、気配を静かに路側へと停まった。白人女がチラリとその車に目をやった。明かりは街灯が点々と灯されているだけだ。周辺には人気が無く、深夜の暗闇と人々を油断させる穏やかさに包まれていた。
祐樹とジョージは目配せをし合った。すると祐樹が女の背後に近づいて、いきなり女を後ろから羽交締めにした。同時にジョージが女の横へと歩き出して、驚いて暴れ出した女の両足をひとまとめに強引に持ち上げた。その時、女は懸命に全身をばたつかせて、「やめてよ!何よ!何をするのよ!」と、英語で叫んだ。
祐樹とジョージは強引にそんな女の体を運んで、女もろとも、スライド・ドアが開いたままになっていた、停車している車の後部座席へと乗り込んでいった。すぐさまスライド・ドアが閉められた。そして車は速やかに、西参道方面へと走り出していった。
少しして、女の声を聞きつけた住人が、近くにあった家の2階の窓を開けた。ところが、その時はすでに車が走り出していった後だった。通りはいつもと変わらない様子だった。
銃を持て。弾丸を込めろ。狙いを定めるんだ。この街は善悪が入り乱れて作られている。街での狩りが始まった。その夜、祐樹とジョージと瑛太の3名は、『生殺与奪を操れる万能感』に心から酔いしれていた。
東京の暖かい春の空は、明るく晴れ渡っていた。昨夜遅くにワシントンから東京に到着したスチュアート・エジソンは、虎ノ門ヒルズのアンダーズ東京に宿を定めると、午前中にティモシー・パートリッジ駐日大使へのブリーフィング(報告)を済ませて、待たせておいた白のEV・キャデラックの後部座席に乗り込んだ。
EV・キャデラックが、東京都心の表通りをなめらかに走り抜けてゆく。エジソンはウインドウの外に、混然とした『シティ』の異名を持つ東京の街並や、その街で生活している人々の表情を観察した。
人々は全体的に大人しく、笑顔が多くて真面目そうだ。これが国民性と言うものだろうか。他の国に見る雑然とした日常より、ずっと調和が築かれて感じる。それは、以前から思い描いていた日本のイメージそのままだ。しかし、この国を良く知る友人は、それはあくまで外観で、内状は、長いモノには巻かれて生きる、村意識・村社会の表れだと呆れていた。
そして、わずかに30分ほどのドライブで、恵比寿の駅前に居を構えるフォート・ビルの正面へと到着した。
エジソンは運転手にドアを開けてもらい、ブリーフケースを片手に、車から降りると、エントランスにあるオフィス宛てのインターホンを押した。
「アメリカから面談にやって来たスチュアート・エジソンだ」
「ようこそ。お話は伺っております」
オフィスの女性秘書の流暢な英語の返事の後、ブザーと一緒にエントランスのドア・ロックが解除された。
エジソンはひとり、装甲されたビル内に入ると、姿勢を正して、仕立ての良いスーツの胸元を引っ張って、上着の裾と袖口を整えた。それから正面奥にあるエレベーターに乗って、TKOたちのオフィスがある2階のフロアへと上がっていった。
秘書の島崎江梨子の出迎えを受けて、オフィスの会議室に入ると、そこにはすでにTKOとリアナと大誠の3名が顔を揃えて、彼がやって来るのを微笑みながら待っていた。
エジソンは、テーブルに着いた初めて顔を合わせるTKOたちに、軽く会釈し、彼らの称えた微笑みが少しばかり腑に落ちなかったが、紳士的に挨拶した。
「初めまして、TKO。リアナ・ショウ。そして孫大誠」
リアナが代表して、丁寧に応えた。
「初めまして、ミスター・エジソン。ようこそ、私たちのフォートへ。ご紹介は、米軍のマドセン司令官という話ですが」
「その通りだ。マドセン司令官は、あなたたちの仕事をずいぶんと誉めていた。じつに素晴らしいチームだとね」
それを聞いて、TKOが訝しそうに笑った。
「さあ、まずは掛けてくれ。すぐに美味しいグリーンティーが来る」
「ありがとう」
エジソンが頷いて、テーブルの正面側の中央に位置したその椅子に腰掛けた。
TKOが端的に話した。
「NSA(アメリカ国家安全保障局)が、他国の問題に興味を持つなんて珍しいね。ビジネスの打ち合わせは単刀直入にいこう。それで、あんたたちは俺たちに何を依頼したいんだ?」
それに対して、エジソンは一息ついて、彼の表情を観察するようにTKOに尋ねた。
「君は今でも夢を見るのかね?」
TKOは何のための質問なのかと、唇を尖らせた。
「ああ。たまにだが、・・・悪夢なら現実社会で頻繁に見ているが」
「君は何かが特別なのかな?・・・」
エジソンは冷静に、人差し指を立ててみせて続けた。
「調査によると、日本人のほとんどがすでに夢を見なくなっているらしい。・・・それは単に民族的な問題なのか。それとも、何かの心理的要因から起きるものなのか。原因は定かではないが、それはもう極東の島国だけの問題ではないという話だ。・・・我われの調査では、この東京を発祥に、そうした症状が中国の北京や上海などの都心部で、さらにはシンガポールや韓国のソウルで大きく蔓延していると聞く。最近では、頻繁にロシアのモスクワでも報告が上がっている」
エジソンの話の中の一言が、大誠の心に小骨のように引っ掛かった。
「症状って、それは病気なのか?」
エジソンがそれに答えた。
「我われは、それを症状だと考えている。ある種の病態であるとな」
そんな答えに、リアナと大誠が不審に思って、互いのその顔を見合わせた。
エジソンが続ける。
「現在、我われの国でも、そうした症状を抱える人々が現われ始めている。今のところはウォール街に勤務している金融ブローカーに限られてはいるがね。・・・他人の金で利ざやを儲けようと、あまりに強欲にビジネスに没頭しているからだろうか。・・・夢を見られない現実は、人々にとっては非常に深刻な、悲劇的な問題だ。病理的にも不健全だと言える。我が国の心理学者や脳学者たちは、一様にそのように警告している。・・・『私には夢がある』と語ったのは、マーティン・ルーサー・キング牧師だが、夢は創造力の源泉だ。アメリカからアメリカン・ドリームが失われるようなことになれば、それは国家の将来への大き過ぎる損失となる。世界中の優秀な人材が、こぞってアメリカン・ドリームを求めて我が国に集まってくる。彼らは我われの財産だ。それこそが自由の国、アメリカの神髄だ。そこで我われは国家の安全のために、そんな症状の感染をなんとか瀬戸際で防がなければならないと考えている」
エジソンのそんな言葉に、TKOが落胆して溜め息をついた。
「日本が抱えている危機的な問題だっていうのに、日本の政府じゃなくて、アメリカが動き出すのかよ。この国の政府はいつもそうだ。フクシマの事故処理なんかが明らかな実例だが、政府は国家や国民のことなんて何も考えちゃいない。毎度のことだけどさ」
エジソンはそう言うTKOの表情を見つめて、気の毒に思った。そして小さく頭を振って、嘲笑を口元に、それに応えた。
「気の毒に思うが、それは君の国が持つ体質なのだろう。この国は厄介なジレンマを抱えている。太平洋戦争の敗戦の後、日本国の復興のために、我われが考える自由の概念を押し付けたのは良いが、君たちの国はいまだに真の民主主義国家に成り得てはいない。民が主となるべくポイントを心得ようともしていない。・・・アメリカ人である私には、なぜなのか分からないが、この国の民衆は、元来、平等であるはずの政府のことを『御上』だと考えている。人々は国家に対して大人し過ぎるんだ。民が主になるためには、それだけの学びが必要だが、この国の教育は、大局を見ようとしない従順な労働者を産み出すことを善しとしている。そのくせ人々は、自分たちとは異なった、反撥しない弱者には、集団になって虐待することを愚かしいとも思わない。いわゆるイジメだな。君らの心にはそうした習性が幼少期から染み付いている。・・・まことに申し訳ないが、君の国には正義感の欠如といったものを感じるよ」
「安っぽい情報に流されてばかりいて、物事を深く考えようとしない。そんな日本人の習性が嫌で、自分なりの人生を生きたいからって、俺は若い頃にこの国を飛び出した」
不本意に思って首を傾げて、TKOが続ける。
「それでも長く、遠くに離れてばかりいると、この国の善良な部分が、この国の守るべき部分がはっきりと見えてくる」
「なるほど、・・・」
TKOはテーブルの上に両手を組んで、深刻な表情になって、余裕を称えるエジソンを見つめた。すると傍らのリアナが右手を差し延ばし、TKOの心を気遣うように、彼の手の甲を握り締めた。話は思わぬ展開になった。もっとドライに仕事の内容を精査するつもりだったが。
すると大誠が咳払いして、エジソンに尋ねた。
「それで、あなたからの要望は何だろうか?・・・それはアメリカ政府からの依頼だって理解して構わないのか」
知的でいて上品な島崎江梨子が、姿勢を正しくキッチンから出てきて、会議室へと入ってきた。そしてグリーンティーの湯呑みを乗せたトレイを手に、お辞儀をしながらテーブルを一回りしてゆく。
エジソンが絵柄の美しい伊万里の湯呑みに口を付け、グリーンティーのほろ苦い味わいに納得の微笑みを浮かべた。そして、大誠のその問いに答えた。
「私からの依頼は、アメリカ政府の考えだと理解してほしい。・・・それで、私からの依頼だが、君たちには日本人に何が起きているのかを調査してもらいたい。どうしてこの国の人々が夢を見なくなってしまったのか。君たちにはその原因を突き止めてほしいんだ」
「そんな探し物なら、学者か医者か、科学者たちに相談した方が良いんじゃないのか?俺たちはどっちかと言うと、行動で事件を解決するチームだ」
「今回の調査は君たちの行動力があってのことだ。研究室ですべての問題が解決するわけじゃない。無論、解析に必要な心理学者や脳神経学者はこちら側で用意する。彼らはこの国の学者たちより正当に評価されている。なにより実績が高く、権力におもねることのないプライドを備え、学問や研究に向きあっている」
エジソンがそう話して、手にしたブリーフケースから3名分の鋼色のヘッドバンドとチョーカーの一式を取り出してみせた。そして、それらを丁寧にテーブル上に並べた。
「私たちは君たちの行動と、それに伴う電流の変化を把握する。ここに取り出したヘッドバンドとチョーカーは電導体と光ファイバーで作られていて、脳内と頚椎における血流と電位の変化を、並びに頸動脈の拍動と筋電を検知するデバイスだ。君たちには、これを常時着用してもらいたい」
それを聞いて、リアナが不愉快に思って唇を尖らせた。
「どう言うこと?私たちを実験の材料にでも使うつもりなの」
TKOが小さく頷いて、そんなリアナを制止した。
「構わないさ。俺もそれの原因を知りたいと思っていたところだ」
「だけど、・・・」
「俺だって、シティに住む日本人の端くれだ」
TKOが頷いてみせ、リアナに要求を受け入れてくれるように念押しをした。大誠がそんなTKOを見て、仕方が無さそうに納得して頷いた。
3名が承諾を示して頷き合っていると、唐突に電子音のチャイムが鳴って、壁面に設置されている大型モニターが起動した。番組は、ネット・TVによるニュース速報だ。
TKOたちは、揃ってモニターに目をやった。すると、スタジオ内で姿勢を整えた、美形が売り物のハーフの女性キャスターが、事件の報告を始めた。
「ブレイキング・ニュースです。キャスターの吉永ジュリアです。・・・本日未明、午前5時20分頃、血塗れになった半裸のアメリカ人女性が、千駄ヶ谷交番に助けを求めに現われました。・・・女性は22才のカリフォルニア州ロングビーチの出身者で、アメリカ発の有名レストランのパティシエをしています。彼女は昨夜の午前1時半過ぎに、代々木公園近くの路上から、突然、何者かに拉致されると、車の中で動けなくなるまで袋叩きにされた挙げ句に、残酷にも集団レイプの被害にあったと言うことです。・・・警察の発表では、犯人の男たちは若い日本人の3人組らしく、交番に居合わせた駐在警官によりますと、女性は体中を傷だらけにして交番に保護されると、あまりの恐怖にワナワナと震え出して、狂ったように叫び声を上げていたそうです」
被害女性は走り去る車から乱暴に蹴り落とされ、暗い夜道をさまよいながら交番まで辿り着いたようだ。挿入される取材映像には、パニック状態に陥って震えが止まらないでいる、被害者となった若いアメリカ人女性の容態が、個人が特定されないように顔にボカシを入れながら放映されている。
女性は犯人たちに容赦なく殴打されて、体中がひどく傷付いて腫れ上がっている。その姿はボロ布のように痛々しく、精神的なダメージは計り知れない様子だ。彼女の怒りと、嘆きと、その悲しみは尋常では無いはずだ。
アナウンサーが同じ女性として、大変に深刻に報告を続ける。
「こうした凶悪なレイプ事件は、成熟した現代社会にはあってはならない犯罪です。警察には日本社会の安全性を担保するべく、早期の解決を望みたいところです」
被害女性はプロンドの髪をドロドロに汚していて、一旦、パトカーで渋谷警察署に移送されると、嘱託医師に鎮静剤を注射されて、DNAの採取と応急手当を受け、警官たちの警護の中、そのまま迎えにきた救急車に乗せられて総合病院へと搬送されていった。そして、そんな映像の上部には、捜査についての極秘情報として、警察から、彼女が精密検査と治療のために信濃町にある聖応病院に運び込まれたことを報せる文字情報が入った。
エジソンはアメリカ人としてのプライドを傷付けられ、こみ上げる憤りにニュースを見つめるその顔を紅潮させていた。そして拳を握りしめ、煮えたぎって止まない怒りを懸命に噛み殺した。エジソンは懇願し、被害女性に救いを差し伸べるようチームへと訴えた。
「奴らは、アメリカ国民に対して忌わしい乱暴を働いた。どうか、お願いだ。私からの要請を受けてくれ。まずはこの事件の犯人たちを逮捕して、吊るし首にしてくれ」




