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常陸小田氏の乱 筑波の日々(一)

 旅の疲れもあり、したたかに痛飲して、翌日目が覚めたのは昼近くになってからだ。

 昨夜の失態が思い出されて恥ずかしい。また、そのことは、たかが酒に呑まれる若造の自分が、身の程知らずにも鎌倉に喧嘩を売り、報いを受けた現実に繋がって気を滅入らせた。

 ――それでも。

と、昨夜の恵尊の言葉を思い出した。


 少なくとも恵尊は、自分を勝ち目のない戦さを始めた愚か者とは見ていない。一人前の武将として遇してくれている。

 このまま恵尊の思惑に身を投じてみるのも悪くない。

 公方相手に完全な勝利はあり得ないが、武力をもってその地位を脅かし、関東の武将たちの底力を見せつける。そして各々が旧領を回復し、若犬丸も小山宗家を再興する。

「――どうであろう。我らが陰謀に与しては」

 自らの計略を陰謀と呼ぶ(はら)の太さには敬服する。また、恵尊の読みも、大意として自分に通じるものがある。


 味方は多いに越したことはない。彼の協力と、抵抗の拠点となる小田城の存在も心強い。

しかし、恵尊がその味方たりえるか。

 一敗地にまみれたばかりの若犬丸は慎重になっていた。

 恵尊と彼の計略を見極めようと考えをめぐらすが―――

――頭痛い・・・・・・

 思考を中断し、宿(ふつか)()いの頭を抱えて呻いた。


 ふと、縁側に物の動いた気配を覚え、さっと目を走らせる。だが、そこにいたのは、庭先から物珍しげに自分を見る小さな子どもだった。

「そなた、この家の子か?」

 立ち上がって濡れ縁に()、子どもを見下ろした。

 年は五つか六つくらいか。梔子(くちなし)色の水干に、食い入るように自分を見つめる顔が愛らしい。

顔を近づけると、

「お兄ちゃん、お酒くさい」鼻をつまんで、一歩退いた。

「あぁ、わるい」

 慌てて口元を袖で隠したものの、さて、それ以上会話が続かない。

 兄弟のない若犬丸に、幼児と接する機会はなかった。故に、子どもとどう接すればいいかわからず、途方に暮れる。


 そこへ、

「ここにいたか、鬼高」

 鬼高と呼ばれた子どもよりさらに幼い、三つ四つの子を肩車に、直高が現れる。

 直高の顔を見て、若犬丸はほっとした。彼とて会って数日も経っていないのだが、小田と若犬丸を繋いだ彼の存在は気を楽にさせる。


「ずるいぞ、鬼安、父上に肩車してもらって」

 鬼高丸は父の足元に駆け寄ると、飛びついて弟を引きづり下ろそうとするが、何しろ身の丈が足りない。悔しげにぴょんぴょんと周囲を飛び跳ねて抗議した。

「よせよせ、お前たちの父は一人しかいないのだからな」

 子どもに笑いかける直高を見て、若犬丸はすっと立ち上がった。鬼高丸の脇に手を差し入れ、抱き上げる。そして、肩に運ぼうとした幼児の軽さ柔らかさに驚かされる。子どもとはこのように華奢で頼りないものであったかと。


 鬼高丸は目を丸くして若犬丸を振り返った。が、この『お兄ちゃん』が肩車をしてくれるものだと察し、すぐに笑顔になった。弟の顔が自分より下になり、嬉しくてきゃっきゃっと足をばたつかせた。草履の底についた土がぼろぼろと水干に落ち、若犬丸は少し弱ったが、子どもとはこんなものかと思い直した。

 直高は微笑しながら、

「若犬殿に迷惑だから、もう降りなさい」と諭す。

 しかし鬼高丸は、

「いやだもん、おりないもん」と言って、若犬丸の頭をぎゅっと抱き締めた。さきほど「酒臭い」などと鼻をつまんだくせに。

 若犬丸は一瞬たじろいだ。子どもの乳臭さが鼻腔につき。

 だが、『お兄ちゃん』の動揺に気付かず、鬼高丸はあれっというような顔をして、

「お兄ちゃん、エボシは? 大きいのにマゲもゆってないねぇ」

 馬のしっぽのようにふさふさした後ろ髪を引っ張る。息子の疑問にどう答えるか、直高は興味深そうに眼差しを送っている。


 若犬丸が、「まだ元服前だから」と、ありきたりな答えを返すと、

「なんで元服をしないの?」と言われてしまい、返事に窮した。

「うーん、理由はいくつかあって、子どもに説明するのは難しいな」

 彼の曖昧な返答に、

「ならば大人にわかるよう説明してくれ」

 直高が口を挟む。

 若犬丸は顔を向き直した。

「流浪の身であること、それから、この名とこの姿に我が身が助けられているからです」

「ほう、そなたが望めば、うちの親父殿が烏帽子親にしゃしゃり出てもよいのだが。しかし、幼名と童形が身を守るとは?」

「私の血筋は代々狐に祟られているのです。そこで、犬の一字に狐から守らせる。犬といえば狐の天敵ですから。こういうと笑われるかもしれませんが、実際、私が一族の最後の一人になってしまいました」

「いや、笑わぬ。そも、そなたの先祖藤原秀郷公は物の怪を退治したと勇者と聞く。あり得ぬ話ではない」

 鎮守府将軍、藤原秀郷。

 四百年以上の時を超えて語り継がれる人物。俵藤(たわらのとう)()と呼ばれ、龍王の依頼により大百足を退治した、百目鬼という妖怪を封じ込めたなど、彼の逸話はもはや伝説の域に達していた。

「いや、将門公を討ったことが大げさに伝えられて、物の怪退治の話になったと思います。ほら、天子さまを龍王に譬えることなどよくあることですから。しかし、明神さまを退治したことが狐の怒りを買ったようで・・・・・・」

「狐? 狐ならば同じ明神でも稲荷明神ではないのか?」

「神仏の世界にもいろいろあるようですよ」

 若犬丸は困ったように肩をすくめかけたが、その肩には鬼高丸が乗っている。代わりに鬼高丸の体を揺すり上げた。


「元服は小山宗家を再興してからと心に決めています。念願叶えたときこそ、狐の祟りをはね除けたと。それまでは半人前と自分に言い聞かせる意味もあって、幼名のままなのです」

「狐除けに犬の一字か。まじないとしては頼もしい限りだな」

「私自身は、すっかり牙を抜かれた負け犬ですけれど」

 ふっと目を伏せるようにして、若犬丸は直高から視線を外した。

 牙を抜かれた負け犬。口に出して、まさにその通りの己れの境遇に打ちのめされる。

 沈む若者の顔色を見て、直高は、

「名前と言えば、この鬼高丸と鬼安丸は」

 幼い息子二人を指で示し、

「鬼のように屈強で頑丈、勇ましくあれと名付けたのだ」

「鬼もそのように持ち上げてもらえば本望でしょう」

 若犬丸の顔色は戻り、「良い名をもらったな」と鬼安丸に微笑みかける。

 いつの間にか大人同士のものになってしまった会話に、自分たちの名前が話題となったと知り、幼い兄弟は、

「ねぇ、ぼくたちのことを話しているの?」

「鬼のようにつよいって?」

 喜んで足をばたつかせるものだから、またもや若犬丸の水干を汚した。

 しかし二度目となれば、気にもなくなるのだった。


 若犬丸はちび鬼兄弟から『大きなお友達』の認識されてしまったようだ。二人の幼児はちょくちょく彼の居室へ訪れては遊びに誘う。

 男の子だから外遊びが多く、追いかけっこや相撲の真似事をさせられた。

 小さな兄弟はころころと子犬のように転がり、まとわりつき、若犬丸になじんだ。

 兵次たちは、喜んで子どもの相手をする主の一面に驚くが、隠遁生活の和みになっているようなので好きにさせた。


 子どもの相手をせぬ間は恵尊との『陰謀』の用談である。殺伐とした話し合いが続くなか、重苦しい気分を紛らわせようと、案外、直高が子どもたちを若犬丸のもとへ寄越しているのかもしれない。筑波山の北、岩間に邸を持つ彼が小田に子を連れてきたのは偶然であろうが、一家の滞在はしばらく続きそうである。


 ちび鬼たちと戯れに相撲をとっていると、直高の弟六郎と七郎がやってきた。

「子どもばかり相手にしないで、我々とも手合わせ願いたいな」

「そうだよ。親父にも仲良くしろって言われたし」

 格闘技としての相撲をとろうというのである。

 相撲。角力とも書くが、読んで字の如く、撲り合いを含む激しい攻撃技を伴った武芸の一つ。戦場で馬上から落ちて(のち)、敵と組み合った際の稽古になる。


「あーん、おじ上たち、若犬どのをとらないでよ」

 せっかくの遊び相手を奪われると、鬼高兄弟は若い叔父たちに向かったが、

「まぁ、待て、面白そうだから、お前たちもよく見物しておけ」

 直高は息子らを濡れ縁に座らせると、自分もその隣に腰を下ろして片胡座を組んだ。

 若犬丸と六郎・七郎は肩を脱ぎ、上半身の肌を見せ合った。


 まずは七郎との対戦である。

「ちょうちょうっ」(張り手のかけ声)

 七郎の間断なく繰り出す張り手に閉口しながら、若犬丸は地面を蹴って相手の真横に跳んだ。体の向きを換える暇も与えず腰を落とすと、足払いをかけて地面に転がした。

「すっごーい」

「やったー! 若犬どのはつよいなぁ」

 手を叩いて喜ぶ鬼高たちに、

「おい、お前ら! 叔父さんの味方をしろよぉ」

 土まみれになった七郎は若犬丸に手を貸されて立ち上がり、甥っ子たちを叱った。


「よぅしっ、弟の(かたき)は俺がとってやる」

 六郎がぺちぺちとむき出しになった肩を叩きながら、若犬丸と対峙した。

 六郎は七郎より年の分だけ筋肉がついており、突き出される拳や膝に勢いがある。だが、それを若犬丸は軽々とかわし、隙を見て七郎同様地面に転がした。

「おぉー!」

 鬼高鬼安は歓声を上げる。

「だから、お前たちはっ!」

 六郎は声を荒げるが、子鬼たちはきゃっきゃと喜ぶだけである。


 この叔父らも鬼高たちの遊び相手になってくれるが、身内とて接し方はぞんざいだ。一方の若犬丸は遊び方も丁寧で目新しく、子どもたちにとって(いま)流行(はやり)なのである。

「ずるいな、若犬殿は体が軽くて」

 甥っ子たちの人気も奪われ、六郎らはぼやく他ない。

 そこへ、直高が立ち上がって、服を脱いだ。

「おっ! 兄貴が出てきた」

「お前たちの仇は俺がとってやるよ」

 若犬丸に立ち向かう直高。こうなると、


「わぁあ。ちちうえ!」

「がんばって!」

 子どもたちは薄情にも応援の相手を換えた。

 若犬丸は裏切られたような気がしてがっかりするが、気を取り直して、

「五郎殿が相手でも手加減しませんよ」

 諸肌を見せる直高に言った。


 互いに見合うが、体格差から四つに組むのはうまくない。

 七郎の合図とともに後ろに飛び退こうとした。

 だが、一瞬早く直高の手が若犬丸の腰をがっちり掴み、もがいても外れない。

 軽々と釣り上げられた体は、爪先が宙に浮く。

「あっ」

 と思う間もなく、地面にひっくり返された。

「やった! 兄貴!」

 六郎・七郎が駆け寄り、賞賛する。

 ――負けるってのはこういうことか。

 屈辱と困惑が湧き上がる。


 合戦の勝敗はともかく、自身の武芸で完敗するなど滅多になかった。

 小山の城本(しろもと)戦で名も知らぬ部将に組み伏せられていたが、混乱の中で自省すべき時間を失った。それが今、己れの思い上がりに気付かされる。

 呆然として仰向けになったままの若犬丸の体を直高が起こしてくれた。

 立ち上がって背中の砂を落とす。ちび鬼たちも駆け寄って『お兄ちゃんのお手伝い』とばかりに尻や脚をぱたぱたと払った。一番は父上でも、二番目に大好きな若犬丸である。


「若犬殿は軽すぎる。あと二貫(約七.五㎏)は太ってもらわねば、まるで我が家で食べさせてないようではないか」

 そう言われても困る。

「このところ縦にばかり背が伸びて、横に太っていかないのですよ」

――十八歳(満十七歳)だというのに、自分の体はおかしいのだろうか。

 それを、

「童形の功徳では?」

 七郎がからかい、

「若犬殿は奥手なんだよ。みんな縦に伸びきってから肉が付いてくるのさ。奥手の方が大作りになるっていうから、良かったな、若犬殿」

 六郎が笑う。

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