常陸小田氏の乱 小田城の主
小田城は、筑波山の支脈の一つである前山が南に延びきった先に佇む。
平地の上に土を盛った平城で、南側に桜川を望み、一面が水はけの悪い湿地帯である。
初代常陸国守護の八田知家が築き、南北の動乱期には関東宮方の拠点だったという割りに、さほど防御性の高い城ではない。土塁はなく八十間(約一五○m)四方の方形の敷地に、堀と城塀を巡らせた構造となっている。
「よう来られた。若犬殿」
小田城々主小田孝朝は自ら若犬丸を出迎えた。入道し恵尊と名乗ってはいるが、貞和以来の歴戦の武将、しかも常陸南部の大部分を治める領主とあって周囲を威圧する堂々とした体躯の持ち主だ。若犬丸を見つめる顔は終始微笑みを絶やず、
「四年前は考え無しにも小山攻めに加わり、若犬殿の御尊父にあっては申し訳ないことをした。当家の窮状もそなたの没落とともに始まったが、これも何かの因果であろうか」
座敷に案内し、恵尊は円座を勧めながら言った。
「ろくな挨拶もせなんだが、家の者を紹介しよう。といっても太郎以下息子の多くは未だ下野におるが」
小田勢は討伐軍として太郎から三郎まで祇園城攻撃に参じているが、大将の若犬丸が逃亡したとなれば、間もなく帰還するであろう。
そばに控えた一族の者を順に紹介していく。直高もいつの間にか彼らの列に連なっていた。恵尊の子息は七人もおり、五郎直高がその名通りの五男であることは、道中すでに知らされていた。
さらにその下の、六郎治季・七郎朝則を引き合わされ、
「若犬殿と年も変わらぬので仲良くされたい」
と言われ、一通り、挨拶を終える。
「――さて、五郎はどこまで話した。鎌倉殿のやり方に不満を持つ者は、我らだけではないとご存じか」
恵尊は直ぐさま本題に入った。
その直裁さに、四男孫四郎が慌てて止めようとしたが、それを手で制し、
「若犬殿は身内も同然じゃ。何の遠慮も要らぬ」
と、恵尊から息子を見るような眼差しを送られ、どきりとした。
――身内? 自分はそれほど恵尊に信頼されているのか。
逃避行の間、慣れ親しんだ直高とは違い、恵尊への警戒は未だ解いてはなかった。
生殺与奪の権利は彼の手に委ねられている。決して油断はせぬよう自分に言い聞かせていたところだが。
それを承知してか、恵尊は己れの身上を語り始めた。
「小田家の危機は今回ばかりではなくてな」
恵尊の先代治久は、建武以来宮方に肩入れしたものの、時流は彼の思惑とは別の方向にむかった。一族の北朝投降後、代々の領地は没収され、危機は小田家全体に及んだ。窮余の一策として、北朝方にあった庶流から養子をとり、常陸守護職の佐竹氏から妻を迎えた。佐竹氏は源義光の流れ、動乱の当初より親足利派であり、小田氏は姓も藤原から源に改めた。
この養子が恵尊である。文武両道の俊才として宗家に求められただけあって、彼は足利尊氏のもとでめきめきと実力を発揮し、小田家の所領所識の多くを回復した。関東から近畿、日本各地で戦い、実績をあげたが、
「そなたの祖父左衛門佐殿と最初にご一緒したのは東海道の薩埵山であったか。もう三十年以上も前になるか」
祖父を話題にされた若犬丸は少し和んだ。
「我らは過日の栄光を取り戻せると思った。先代の鎌倉殿(基氏)にも懸命に仕えた。宇都宮の芳賀禅可との戦いでも功績が認められ、召し上げられていた領地を復した。――じゃが」
それは書状の上だけのことだった。父祖の土地は理由をつけて鎌倉府や上杉一族に押さえられ、近年、国内の所領は彼らの部下へ、あるいは縁故の寺へと、立て続けに他者へ渡ってしまった。
「先年野州殿(義政)との合戦で下野に所領を得たが、これもまた同様の結果をたどるであろうよ」
彼らは力ある外様の大名を警戒する。
「鎌倉の公方殿は、関東の領主が力を持つことを好まぬらしい。管領の上杉氏との仲はどうかと思われるが、我らの領地を削ぐことだけは一致しておるようじゃ」
そう言われて若犬丸にも思い当たることがあった。
父義政も領地を取り上げられて、承諾なく寺社に寄進されていた。
さらに、小山の乱の始まり、裳原合戦。宇都宮氏との戦いは鎌倉が裏で手を引いていたことは確実だった。父義政が宇都宮基綱の首級を上げて半月も経たずに、この戦いを私闘と決めつけ、公方は小山退治を関東八カ国に号令したのだ。まるで待ちかまえていたかのように。
そして結果はどうだ。
現在の下野守護は鎌倉の息のかかった木戸氏ではないか。
「公方殿が謀を巡らすのであれば、こちらも返礼するまでよ」
京公方義満、鎌倉公方氏満。
実質、日本の東西を掌握する足利一族。しかし、あの動乱期、小田や小山のような大名が、彼らの父祖をその地位に押し上げてやったのではないか。
「これを片腹痛いといわず、何という」
恵尊の口調には、旧主尊氏のために命懸けで戦った古兵としての自負がにじみ出ていた。
「若犬殿、いっそうのこと、この関東の地をひっくり返してみようとは思わぬか」
若犬丸は驚いた。
――この御仁は何を言い出すのだ。
下野国の一地方でさえままならなかった身に。
彼の懸念を見透かしたか、
「いやそうではない」と恵尊は首を振ってみせた。
若犬丸は小山氏代々の土地にこだわったため、その旧領主対関東全域の武将、という構図にしてしまったのだと。
「これを鎌倉対反鎌倉の構図に書き換えてはどうじゃ。そなたは知らぬだろうが、野州殿の三度目の征伐の際、大将を命じられた上杉も木戸もぐずったのじゃよ。鎌倉殿の余りの苛烈さに、加減を知らぬお方だとな。野州殿への同情もあろうが、他の武将からの風当たりも考えねばならぬのにのう。『関東の領主で似たような立場の者を寄って集って討つのは嫌だ』、『いつか自分に還ってくるのではないか』と誰でも思うであろう」
そんな話は初めて聞いた。
自分たち一族は孤立していたものとばかり思っていたが。
「さらに鎌倉殿は京の公方殿と仲が悪く、互いに隙あらばその座を奪おうと画策している。府内では、管領の上杉一族も一枚板ではない。また上野や武州の一部、それに奥州では未だ吉野(南朝)に心寄せる者は多いと。あぁ、そういえば、若犬殿は奥州と縁深いようだが」
恵尊の目が一瞬光ったような気がした。
――入道殿は私と庄司殿との関係をご存じだ。
田村に類が及ばぬよう内密にしていたものを、この人はどこまで――・・・
若犬丸を身内と呼び、両手を拡げて迎え入れようとする態度の裏で、情報収集に抜かりはない。
恵尊はそんな彼の緊張を見越したように、
「そう気張りめさるな。今日はこの辺りで無礼講とよろしかろう」
手を打って、酒肴の用意を命じた。
「奥州には私も知人がおるもので、さぁ、そんな恐ろしい顔をせず、さぁさ一献」
若犬丸は恐縮しながら盃を受けた。
「もしや、酒は初めてかな」若犬丸の童形を見て言う。
「えぇ・・・・・・」
とうなずくが、流浪の身で酒を覚える間もなかったということにしたかった。
少年のころ、氏満に酒を無理強いされた苦い思い出があり、以来一滴も口にしていない。
田村荘時代でも気のいい清包が勧めてくれることがあったが、まだ元服前の身でと遠慮した。氏満のことがなくとも、何事も小山の領地を回復するまではと様々な愉しみを禁じていたのだ。
しかし、このような場で断るのも失礼にあたるだろうと、盃に口をつける。
さて、久々に呑んだ酒の味は―――
苦くて不味くて、一口呑んだだけ吐き出しそうになった。それをぐっとこらえて呑み干し、
――どうやら、私は下戸らしい。
と、自覚する。
しかめ面の若者を興がって、さらに継ぎ足す恵尊に否やは言えず、続けて一献呑み干した。
「なかなかいける口ですな。さぁ私からも一献」
いつの間にか、かたわらに寄った孫四郎が酒を勧める。
目の前にはずらりと並んだ小田兄弟。
それを見て若犬丸はげんなりした。
――まさか、この人たち全員から酒を受けることになるのか?
慌てて瓶子を奪うと、
「いや、こちらからも一献」
返杯となった。
「――さて、話を戻すとしよう」
恵尊の話は続いた。
小山一族は鎌倉幕府創生期からの大名家、先の祇園城戦では一門に連なる長沼・結城も攻め手に混じっていたが、
「我が小田と同様二心あってのこと」
下野・下総に跨る名族一門が結束すればどうなるか。それに恵尊が常陸中の豪族に声をかけたらどうなるか。この関東に見るべき勢力が生まれるではないか、と。
恵尊の提案に若犬丸は驚かされる一方だった。
また、よくも今日の今日、見知った己れに、これほどの大事を打ち明けるものだ。
もっとも、若犬丸にはわずかな家来だけだ。翻意を知られれば命はない。
己れが蜘蛛の糸に絡め取られた小さな虫のような気がして、息苦しくなった。
息苦しい。
それは先程から勧められるまま呑んだ酒のせいもある。頬は火照り、耳まで熱い。動悸も速まる。そのくせ段々と瞼が重くなり、頭の中で考え事の整理がつかない。
ふわふわとした眼差しで自分を見返す若者へ、恵尊はふっと笑いかけた。
「今宵はこれで開くとしよう」
若犬丸は家来たちに抱えられるようにして寝所へ下がった。




