常陸小田氏の乱 小田城へ
至徳三年(一三八六)七月半ば――
若犬丸は常陸国筑波郡の小田氏の居城にあった。
ほんの数日前、小山祇園城を攻めた小田五郎直高の手引きによって敵陣を抜け、下野から落ち延びたのだ。
祇園城没落の晩、若犬丸とともに城を出た郎等のほとんどは小山に残ることとなった。
先の編成は奥州田村へ帰還する際の、路上の安全を考えてのものだったが、常陸の小田家に隠れ住むとなっては、あまり数を引き連れてはいけない。また道中人目を引いても上手くない。若犬丸の供人は兵次を含めたわずかな郎等だけとなった。
「再びお別れせねばならぬとは、淋しい限りです」
主君との別れを前に、里田が言った。彼は旗揚げ前と同様、小山に居残り、残留組の統括にあたると申し出た。
「大丈夫か。小山家の旧臣の一人として鎌倉方に無理難題を吹っかけられやしないか」
「問題ありません。殿を始めとして、責めを負うべき人間は皆どこかへ逃げたと言いますから」
里田の答えは単純明快にして、実際、これを受けた氏満は、若犬丸探索のため十一月まで古河に留まるはめになるのだ。
里田であれば後事を安心してゆだねることができる。
若犬丸は、
「この次、私に会うときを楽しみにしてくれ」
武将らしく成長した姿を見てほしい、と言外に伝えた。これに、里田も、
「はい、楽しみにお待ち申して上げます」
と相通じる。
諌言に反発もあったが、それも互いに認め合ってこそである。主従はしばしの別離を惜しむが、
「若犬殿、そろそろ出立せねば」
直高が水を向ける。
もうすぐ夜が明ける。
夜間の移動はかえって怪しまれると出発を暁まで延ばしたが、ぐずぐずしてはこれも余人の関心を買ってしまう。若犬丸は後ろ髪を引かれるような思いで故郷を後にした。
常陸小田へは、直高自らが案内役となる。
「親父からは、若犬殿を説得して、無事に小田まで連れてくるところまでを命じられているからな」
己れの子息を使者に立たせるなど、孝朝にはなみなみならぬ思い入れがあったのだろう。
「まったく、親父も人使いが荒い」
直高はぼやくが、
「まぁ、家中の誰よりも先に若犬殿にお目見えできたとは、この上ない栄誉だ」
と言って、にっとわらった。
若犬丸も、彼の軽口の意図を見透かし、
「世話をかけます、五郎殿」
にっと、直高そっくりの笑みを返した。
「いや、世話をするのはこれからだ。なぁに、この借りは高く付くが、後で倍に返してくれればいいさ」
そう言われ、いっそう心安くなった。
東へ、東へ。
下野(栃木県)から下総(茨城県)まで、人目を気にしながら馬を進めたが、国境を超えると、さすがに一行の緊張もゆるんだ。
秋口とはいえ未だ日の光は強い。襟元をくつろがせ、汗ばむ肌に風をむかえる。竹筒の水で喉をうるおす。一息ついたあと、再び、穂を出し始めた薄の原を行く。
若犬丸の目の先には、青空にそびえ立つ筑波山の勇姿が迫った。