戦間期 8 三陸の決死戦 2
巨大なる黒い壁(金華山灯台の記録)
明治29年6月15日、夜。
宮城県の沖合に浮かぶ小島、金華山。その最南端にそびえ立つ『金華山灯台』の灯台守たちは、帝都の滝脇慶家から「大津波が来る」という緊急の電信を受け取ると、即座に動いた。
「おい、急いで麓の村に知らせに行け! 警鐘を鳴らせ!!」
「だが、海はまだ静かだぞ……! 本当に津波など来るのか!?」
「いいから走れ!!」
彼らが周辺の住民に避難を呼びかけ、高台へと駆け戻ったその十数分後。
灯台の光が海面を照らし出した時、彼らは信じがたい光景を目の当たりにし、そしてそれを克明に記録することとなる。
『――それは、波ではなかった。
沖合から、海そのものが「巨大な黒い壁」となってせり上がってきたのである。
海鳴りなどという生易しいものではない。大砲を何百門も同時に撃ち鳴らしたかのような轟音が海を裂き、星空を覆い隠すほどの高さ(数十メートル)にまで達した水の塊が、一切の情け容赦なく、凄まじい速度で陸地へと襲いかかってきた。
我々は、ただ足がすくみ、息をすることすら忘れて、その超常の出来事を見下ろすことしかできなかった……』
翌6月16日、早朝3時。
神奈川県・横須賀鎮守府からは、大日本帝国海軍の艦艇が、米や毛布、医療品を甲板の限界まで満載して、次々と暗い海へと滑り出していった。
夜間での強行出港は、瓦礫や漂流物に衝突する二次被害の危険が極めて高かった。また、帝都中からかき集められた莫大な救援物資を艦に積み込む作業に、どうしても時間を要してしまった。
だが、艦長も水兵も、誰一人として休むことなく血眼になって働き、わずか数時間という驚異的な速度で出港を完了させたのである。
艦隊が北上を始めると、夜明けの光の中に、信じがたい光景が次々と浮かび上がってきた。
震源から遠く離れた千葉県の房総半島にまで到達した津波の爪痕である。漁村の家屋がなぎ倒され、漁船が山の中腹にまで打ち上げられている。
その破壊の威力の広大さを目の当たりにし、水兵たちは押し黙った。
一方、震源に最も近い東北地方の最前線。
仙台に駐屯していた陸軍『第二師団』の兵士たちは、通信網が寸断される直前に慶家から受け取った「大津波が来る。民を山へ走らせろ」という命令に従い、懸命の避難誘導と救助活動を行っていた。
「走れ! 荷物など捨てろ! 山へ向かえ!!」
兵士たちは、泥まみれになりながら村人を背負い、高台へと駆け上がった。
彼らの決死の行動によって、確かに多くの命が救われた。
しかし……。あまりにも破壊の規模が広大すぎた。リアス式海岸の無数の湾の奥深くにまで入り込んだ津波は、逃げ遅れた人々を容赦なく飲み込んでいった。
師団の懸命な救助活動も、絶対的な自然の猛威の前では、まるで炎にスポイトで水をかけるような「焼け石に水」の絶望であった。
数日後。
救援物資を満載した海軍艦艇が、ようやく三陸沖の海域へと到着した。
甲板に立ち、双眼鏡を覗き込んだ海軍将校や水兵たちがそこで見たものは、日清戦争の黄海海戦ですら見たことのない、この世の終わりのような光景であった。
「……あ、ああ……」
水兵の一人が、双眼鏡を落とし、甲板にへたり込んで嘔吐した。
美しい緑の山々と、豊かな漁村が広がっていたはずの沿岸部は、完全に「茶色い泥の平野」と化していた。家屋も、木々も、道路も、すべてが削り取られ、跡形もなくなっている。
そして、艦艇が航行する海面。
そこには、見渡す限りの広大な海を埋め尽くすほどの、夥しい数の瓦礫(家屋の残骸、タンス、漁船の破片)の山が漂っていた。
その瓦礫の隙間を縫うように……プカプカと、波間に浮かぶ『何か』が無数に存在していた。
「……御遺体です……。海一面に、無数の御遺体が……」
それは、着物姿の女性であり、泥まみれの農夫であり。
母親の腕にしっかりと抱きしめられたまま息絶えている、幼い赤子の姿であった。
「……総員、敬礼」
艦長は、血を吐くような声で命じた。
甲板に並んだ水兵たちは、涙で顔をくしゃくしゃにしながら、波間に漂う数え切れないほどの同胞の遺体に向けて、一斉に敬礼を行った。
敵の砲弾や、人間の仕掛けた罠によって死んだのではない。
大自然という名の、一切の悪意も、慈悲も存在しない圧倒的な暴力。
その絶対的な力の前に、大日本帝国が誇る最新鋭の軍艦も、精強な軍隊も、そして滝脇慶家という天才の頭脳すらも、ただ深い無力感と悲しみに打ちひしがれるしかなかったのである。
―――
三陸の沿岸を襲った「大津波」の被害状況が、辛うじて復旧した電信網を通じて次々と帝都へと報告され始めるにつれ、その数字は人々の想像を絶する領域へと膨れ上がっていった。
死者・行方不明者、一万人突破。数日後には一万五千、そして二万人……。
消滅した家屋は一万戸を超え、被災者は数え切れない。
それはもはや「災害」という枠組みを超えた、国家の機能を一部停止させるほどの致命的な一撃であった。
この未曾有の事態を聞きつけた帝都の新聞記者たちは、大自然の猛威という「特大の特ダネ」の匂いを嗅ぎつけ、まるで死肉に群がる禿鷲のように、情報の中枢である三宅坂の陸海軍参謀本部へと押し寄せてきた。
「おい、被害状況はどうなっている! 陸軍の動きが遅いせいで被害が拡大したんじゃないのか!」
「政府は何をしているんだ! 最新の数字を出せ!!」
普段であれば、軍の最高機密を扱う参謀本部の作戦室に、民間人である記者が足を踏み入れることなど絶対に許されない。憲兵に叩き出されるのが関の山だ。
だが、今の参謀本部は、そんな手続きや体面を気にしている余裕すら完全に失われていた。
「そこをどけ!! 救護物資の輸送ダイヤに遅れが出ているぞ! 鉄道省を急がせろ!」
「青森の鎮台から工兵隊が出発した! しかし現地の道路が寸断され、到着の目処が立ちません!!」
電話のベルが鳴り響き、怒号が飛び交う作戦室。
その狂乱の中心に、滝脇慶家大佐の姿があった。
「……釜石の野戦病院より報告! 『負傷者数千名に対し、モルヒネと包帯が完全に底を突いた。至急補充を請う』とのことです!」
「……」
慶家は、その報告を聞いた瞬間、ピタリと動きを止めた。
彼の手元には、数日徹夜で書き込み続けた、東北全土の輸送ダイヤグラムがあった。
横須賀から出した海軍の輸送船は、天候不良と瓦礫の海に阻まれ、到着が遅れている。鉄道は途中で線路が流されている。
つまり、「今すぐ釜石に医療物資を届ける手段は、物理的に存在しない」という冷酷な計算結果が、彼の頭脳の中に弾き出されていた。
物資が届かないということは。今、瓦礫の下で痛みに苦しむ数千の命が、麻酔も包帯もないまま、次々と死んでいくという事実を意味している。
(……間に合わない。私が、いくら算盤を弾いても……命が……零れ落ちていく……!)
かつて戦国時代に、戦場に数万の死体の山を築き。日清戦争において、一滴の感情も交えずに敵を盤上で「処理」した男。
どんなに自軍の兵が死のうとも、決して顔色一つ変えなかったその男が。
ダンッッ!!!!
突如として、慶家は自らの右手に握っていた万年筆を、真っ二つにへし折れるほどの凄まじい力で机に叩きつけた。
「……くそっ……!」
それは、血を吐くような、そして臓腑を絞り上げるような、深く、重苦しい『慟哭』であった。
慶家は机に両手をつき、首を垂れ、その肩を激しく震わせていた。
「滝脇、大佐……」
周囲の将校たちも、そして騒ぎ立てていた記者たちも、その光景を前に一瞬にして息を呑み、静まり返った。
あの「人の心を持たぬ悪魔」と忌み嫌われた男が。
自らの力がおよばず、顔も知らない数千の同胞の命を救えなかったことに対して、文字通り『血の涙』を流すように慟哭しているのだ。
その背中から立ち上っていたのは、冷徹な覇王の威圧感などではない。ただ一人で数万の命の重さを背負い、大自然の不条理に必死に抗おうとしてボロボロに傷ついた、一人の不器用な『父親(為政者)』の姿そのものであった。
この時、参謀本部に押し入っていた記者の中に、一人の挿絵画家が混ざっていた。
彼は、この異様な空間の中で、特ダネや政治批判の記事を書くことを忘れ、ただ無我夢中で手元の画帳に鉛筆を走らせた。
そこには、日清戦争の時に新聞が書き立てたような「冷酷に笑いながら駒を動かす悪魔の参謀」の姿はなかった。
シャツの袖をまくり上げ、顔を青ざめさせ、血走った目で全国の物資と人員を動かし、そして……救えなかった命のために万年筆を叩きつけて慟哭する、一人の男の凄絶な横顔が、嘘偽りなく克明に描き出されていた。
数日後。
帝都の新聞各紙は、この明治三陸大津波の惨状を伝える「特別号外」を一斉に発行した。
その一面を飾ったのは、あの記者が描いた『参謀本部で慟哭する滝脇大佐』の筆記絵と、次のような見出しであった。
『大震災ノ夜、誰ガ最モ早ク動キ、誰ガ最モ民ヲ救ワントシタカ』
記事の内容は、これまでの慶家への批判を完全に覆すものであった。
地震発生の直後から、政府や内閣が事態を把握できずに狼狽する中で、たった一人で大津波の襲来を予測し、軍と民間と財界を強制的に叩き起こして『国家総動員』の救助体制を構築したのが、他ならぬ「悪魔」と呼ばれた滝脇慶家であったという事実。
『我々は、この男を人の心を持たぬ鬼と呼んだ。だが、あの夜、瓦礫の下の同胞を救うために誰よりも早く血を流し、救えなかった命のために万年筆を叩き割って涙したのは、この国でただ一人、滝脇大佐その人であった』
帝都の民衆は、その号外の絵を見て、言葉を失った。
自分たちが今まで、どれほど安全な場所から、泥を被って国を守り抜こうとしている男を不当に罵ってきたのかを、痛烈に悟らされたのである。
自然の牙がもたらした未曾有の悲劇。
その絶望の底で、人々は初めて、極東の覇王が隠し持っていた「冷酷な仮面の下の、ひどく熱く、不器用な本当の顔」を知ることとなったのである。




