キョウコ
イドルとは、というロナンの説明に初めて聞くふりをして耳を傾ける。
内容はほぼニーズが語った事と同じだった。
すると、今まで黙っていたキーランがロナンの話を受けて言った。
「イドルは王都や都市などの、人が沢山住む所では生まれない」
キーランは亜里沙が座る側に移動して来ており、振り向くと彼の綺麗な顔が見えた。
「その理由は女神イーリスの加護があるからだと言われている。ただ、イドルはその場を動かない訳じゃない。放っておいたら移動して、人を襲う」
「……ええ。イドルが湧く場所はある程度予測がつくものです」
かつて人が住んでいた廃墟、日が差さない森、放置された亡骸がある場所、大陸の端など、とロナン。
「同じ場所に何度もイドルの巣が出来る事もあります。平常であれば、大陸にある四つの国がそれぞれの軍を用いて要所を巡回するので、それで事足ります」
「都市の近くで見かけるようになったら、それはイドルが増えているという事、イドルの巣が人々の生活圏内に発生し始めたという事になる」
キーランはのどかな平原の向こうを指し示した。
「あそこに砦があるのが見えるか?」
「うん……見える」
黒っぽい石造りの、まさに砦のイメージにピッタリの建造物が、周りの牧歌的な平原に似合わない色彩と存在感を放っている。
「ああいった砦や城塞が建設されたのは人の侵攻に備えてというよりも、イドルが増加した時に最も被害に遭いやすい場所が近くにあるのが理由なんだ」
「つまり……あの近くに、イドルの巣が出来るってこと?」
うん、とキーランは重く答える。
口をつぐんだキーランの代わりにロナンが続けた。
「四つの国がお互いに不可侵なのは宗教的な理由が大きいですが、皮肉にもイドルの存在も、少しはその結束を強める事に繋がっているんでしょうね」
続けて、ロナンが語ってくれたキョウコは、物理的な攻撃だと人手も手間もかかるイドルを、一人で短時間で消す事が出来、イドルの巣も浄化出来たのだという。
彼女はこの世界に現れた時からずっとまさしく聖女のような人だったのだそうだ。
イドルの脅威に怯える人々を憐れみ、イドルが踏み荒らす地を見て涙を流すような人──
亜里沙は、得体の知れない不安に包まれていた。
何で、自分は、そんな覚悟は少しも持てていない。
この世界のために、だなんて。そんな意識は最初から無い。ましてや力なんて、微塵も感じない。
亜里沙だって、もし自分に何か出来ることがあるならやってあげたい気持ちはあるけれど、その前に自分の身が心配だし、話に聞くだけでもそんな怪物、怖くてたまらない。
あの真っ黒な砦を見てしまって、その恐怖はじわじわと現実味を帯びて来ているというのに。
まさか──
「来訪者って、みんな、そうだったのかな……」
「……アリサ」
キーランが心配そうにこちらを見上げた気配がする。
亜里沙は振り向かなかった。
「キョウコさんみたいに最初からはっきりとした役目があって、力があって……みんな、最初からこの世界の為に命をかけてたの?」
ややあって、ロナンが口を開いた。
「……ええ、記録では、そうなっています」
では、自分は?
その話が本当なら、では、最初からロナンもキーランも、ルイもベンだって、亜里沙がおかしい事に気付いていたのではないか。
いや、でもおかしいのは亜里沙なのだろうか?
「アリサ、記録がそうだっていうだけだ」
キーランがそう言うが、亜里沙は、頭に浮かんだある可能性を振り払えなかった。
(……私は、間違われたんじゃないの?)
多分来訪者を選んでいるのはニーズだ。だけど初めて会った時、ニーズはとても弱っていた。
何も考えずニーズを抱き上げたのは亜里沙自身だ。
もし──もしも。
本当にここに来るべきだった人ではなく、ニーズを腕に閉じ込めた亜里沙を連れて来る事しか出来なかったのだとしたら?
そうなったらこの世界は? 元の世界へ帰るには役目を果たさないといけないのに。
(ニーズ……ニーズ、起きて)
どうしてもあの時の事を確かめたい亜里沙の呼びかけに、ニーズが応えることはなかった。
しばらくして、荷馬車は砂利を含んだ道から土の道へと分岐する方へ進んだ。
すっかり気落ちしてしまって景色を眺める余裕もなかった亜里沙だが、ロナンもキーランもさり気なく気遣ってくれて、ルイとベンも、初めて会った時と同じく亜里沙を疑うような素振りは見せなかった。
来訪者は世が乱れイドルが増えた頃合いで異界からひとり、やって来た。その間隔は一定ではなかった。
皆が戦いに長けていたのではなく、文明に貢献した人や国の重要人物を教育する事で貢献した人などもいたという。
そういった戦えない来訪者であっても、自然と、世界が安定するかのようにイドルの出現は減ったという。
「アリサさんはいてくれるだけでありがたいんですよ」と、ルイが朗らかに笑っていた。
そんな風に言ってくれるのは嬉しかった。
それでも、戦えない人たちだって能力と役目ははっきりしていたし、この世界を救いたい気持ちでいっぱいだったのだろうから、やはりその前提条件を満たしていない自分は間違われたのではないかという不安は拭えなかった。
そうして、何度目かの休憩で夕方に差し掛かろうとしていた。
「あと二時間も走れば宿に着きますからね」
見事に酔って、荷台から降りた亜里沙の背をロナンが撫でてくれる。
「うう……ごめん、なさい……」
どうしても暗くなってしまって気を遣わせてしまったし、体力くらいしか自信がなかったのにこの有様、散々である。
遠くを眺めたら少しは良くなるかと、亜里沙が顔を上げた時だった。
「……騒がしいな、どうしたんだ?」
ロナンが背を撫でていた手を止める。
確かに、何人かの人の悲鳴みたいなものが聞こえる。それに、何か風が唸るような、そんな低い音が──
「イドルだ」
キーランの知らせが合図であったかのように、聞いたこともないような獣の咆哮が辺りに轟いた。




