狐 vs 狼
(来訪者だからって、全員が好意的じゃないんだ)
だがどちらにしても、相手は王子様なのだから庶民に過ぎない亜里沙が下手に出るべきだろう。
望んで来たわけではないという不満を抑えて、亜里沙は謝罪した。
「あ、あの、ご挨拶が遅れてすみません。こちらから伺うべきでした」
キーランたちにからかわれたお陰で敬語が難なく出てきてくれる。もっとも、正しく使えているかは分からない。
「気にしないでくれ。僕が見舞いたかったのだから、ご足労いただくわけにはいかないだろう」
エドワードはそう言って部屋を横切った。
その姿を目で追うと、空になった器が乗るティーテーブルを一瞥したようだった。
ソファに腰掛けたエドワードから対面に座るよう促されたが、不安げにベッドの近くに立つ翔が気になって、亜里沙はその場を動かなかった。
口では亜里沙を咎めなかった代わりに、エドワードの微笑に冷たさが増したようだ。
「食事は来訪者様の体調に配慮したものだったが、どうやら口に合わなかったようだな」
「……あ」
慌てて言い訳をしようとする亜里沙の言葉をエドワードは待たなかった。
「だからと言って来訪者様がわざわざ厨房に出入りすることはない。好みのものを用意させるから何でも言ってくれ」
エドワードの言葉はいちいち嫌味に聞こえてしまう。どうしても素直に受け取れないのは亜里沙の心が狭いからだろうか?
この言い方をされるということは、亜里沙が何をしたのか筒抜けなのだろう。
「あの……亜里沙です。こちらは翔」
エドワードの顔から、浮かんでいた微笑みがすっと消えた。
じっと見られて慌てて目を下げる。こちらは見つめては駄目なのに、向こうはいいとか理不尽ではなかろうか。
(いや、でも、相手は王子様)
盗み見るように目を上げると、エドワードの視線とぶつかった。
この眼差しの強さはキーランに似ている。だがエドワードのそれには、何か敵意のようなものが含まれているように感じる。
「その、来訪者って呼び方だと、どちらのことか分からないので」
気がついたらそう口にしていた。
黙っていればいいのに、と、自分で思った。自分で言っておきながら、衝動的に意見を述べたことに内心冷や汗をかくようだ。
「……ああ、もう一度名乗ってくれなくても、聞いていたよ、アリサにカケル」
とうとうその声色まで冷たくなった。
「それで、カケルが話せないのは体の問題か? それとも、まさか言葉を理解できないのか?」
「そ、れは」
「そうか。妙だな」
まだ何も言っていないのに、言葉が理解できないと判断されてしまった。焦りを隠そうと唇を引き結ぶ。
そんな亜里沙を観察するように眺めながらエドワードは続けた。
「ニハイル砦から、アリサがイドルと戦って少女を救ったと報告を受けている。少女は足を失ったが生きている……アリサのお陰で」
抉るような言葉が突き刺さる。
「だがイドルと戦える来訪者なら、そもそも怪我すら負わせなかったはずだ。どういう状況だったんだ?」
亜里沙は何を言えばいいのか分からなかった。翔の心配そうな視線を感じるが、今言われたことをとても共有できそうにない。
「何故か報告が穴だらけだ。ただ戦って救ったとだけ言われても困る」
「あの……そ、それは」
「マクベルド伯爵が同行したそうだが、伯爵が口止めでもしたのか?」
「ち、違います! 私が、後で王様に直接話したいって言ったんです!」
世話になった相手を庇うためとは言えつい大声を出してしまった。亜里沙はハッと口に手を当てるが、エドワードはそれについては咎めなかった。
そうか、と一言。そしてエドワードは話を変えた。
「来訪者が同時期にふたり現れるなど前例に無い。その上ひとりは力が弱く、もうひとりは言葉すら理解できない。これは何かの前触れか? それとも、もう既に何かが起きているのか?」
エドワードは立ち上がり、硬直している亜里沙の方へ歩み寄った。
亜里沙が驚いて肩を揺らすと、エドワードはそこで足を止めた。
「我々のために自らを犠牲にする、そんな尊い来訪者様の力になりたいと思っているよ」
柔和な笑みで、口当たりの良い言葉を吐く。
だが隠そうとしていないのか、その言葉がはらんだ個人的な感情は亜里沙でも読み取れる。
(この人……やっぱり、来訪者が嫌いなんだ)
それなら、こちらだって遠慮なく文句を言ってやりたい。
だがこの世界に亜里沙と翔を連れてきたのはエドワードではなく、そして、表面だけでも礼儀正しい相手にいきなり突っかかる勇気は亜里沙にはなかった。
亜里沙は精一杯、不敬罪に問われない程度に目に力を込めてエドワードを見た。
一瞬、眉を顰めたように見えたエドワードは、だが再び微笑んで穏やかに言葉を続けた。
「今の情勢を伯爵から聞いたか? 今この大陸は未曾有の危機に瀕している。来訪者様の力を借りることを当然とは思わないが、もし何か知っていることがあるなら教えてくれないだろうか?」
丁寧に頼まれたが、亜里沙はもうこの王子には友好的な態度は取れそうになかった。
「まだ……私たちにも、よく分かってなくて……」
本当なら「知らない」と一蹴してやりたかったが、堪えた。
そして亜里沙がそう、控えめに言った時だった。
慌てるメイドの声が「キーラン様」と呼びかけて、同時にドアが開いた。
「エドワード。ここで何をしている?」
開け放たれたドアを見やったエドワードがはっきりと眉を顰め、ため息を吐いた。
「兄上。傭兵稼業が長すぎて最低限の礼儀すら忘れてしまったんですか?」
「何をしているのか聞いた」
キーランがこんな風に語気を荒らげるのは初めて聞く。
虐げられていないと言っていたが、仲良しではないのかもしれない。
「今、アリサに何を言ったんだ?」
キーランの後からロナンも現れた。
ロナンがエドワードに挨拶してドアを閉めると、エドワードはロナンを一瞥した。
「同席を許した覚えはないんだが、マクベルド伯爵?」
「陛下から許可を頂いております」
不機嫌を隠しもしないエドワードに対してロナンは穏やかな態度だ。
「来訪者様のご様子を見に伺っただけですので、私のことはお気になさらず」
「エドワード」
キーランの語気が更に強くなる。
エドワードはもう一度ため息を吐いた。
「……王太子である兄上がトランティアから戻れないままだ。これまでにないほどイドルは増え続けていて、そんな折に現れた来訪者が」
エドワードが言葉の続きの代わりに亜里沙と翔の方に向かって手を差し出した。
その嫌味な仕草に亜里沙の口が開く。
そばにやってきたロナンが「大丈夫ですか」と囁いて、我に返った亜里沙は口を閉じて曖昧に頷いた。
「何かご存知なのではないかと、話を聞きたかっただけですよ。来訪者がふたり現れたことを吉兆かのように、陛下がすぐにでも御触れを出すでしょう。そうなると下手なことは言えなくなるんでね」
「エドワード。王子たる者が憶測でものを言うのは良くない。それに来訪者をそんな風に指すな」
エドワードは、呆れたような息を吐いた。
「まさか兄上から王子の何たるかを教わるとは思いませんでした。来訪者の扱いについてもわざわざご教示くださるとは」
「殿下。こちらにはお見舞いにいらしたのでは? どうやらこちらの来訪者様はまだ安静が必要なようですが」
翔を見てロナンが口を挟むと、エドワードは目を細めた。
「王族の会話に割って入るとは、相変わらず無礼な奴だな。父上がお前に寛容だからとあまり調子に乗るなよ、マクベルド」
「まさか。四六時中あらゆる所から殿下の視線を感じていますから、お陰様で調子に乗ることもなく常に気を引き締めていられますよ」
それに、とロナンは続けた。
「これ以上殿下が不用意な言葉を口になさる前に止めて差し上げたのですから、お怒りにならないでください」
エドワードは鼻で笑った。
「不用意? この部屋には僕たちだけだ。この来訪者様が聞いたところで分かる話だとも思えないが。だがもしも話が漏れたとしたら、まず疑われるのは伯爵だと理解しているか?」
ロナンは眉を曇らせ、一度口を閉ざした。
「まあ、いいでしょう」
ややあって、ロナンは再び口を開いた。
「殿下がそのように焦るお気持ちも分かりますしね。トランティアの要請に対して聖国が沈黙している件については私の方でも引き続き探ってみます」
「お前に助けを求めたわけではない」
エドワードは言い捨てて踵を返した。
ドアの前に立って亜里沙を振り向く。
「アリサ、その男には気をつけた方が身のためだぞ」
エドワードは失礼する、と言って部屋を出て行った。
嵐のように去って行ったエドワードに唖然としていると、ロナンがポツリと呟いた。
「やれやれ……十年前はまだお可愛らしい方だったのに」
このくらいで、と右手を宙に差し出す。
それはロナンの腹の辺りの位置だった。
「それって……王子様の子供の頃? 知ってるの?」
「ええ、私は商人になる前は騎士でしたからね」
「騎士!?」
「はい。と言っても、騎士だった期間は一年にも満たないのですが。キョウコさんの護衛に抜擢され、彼女が帰った後は家業を継いだので。それで、こちらは……」
ずっと静かだった翔は、ロナンとキーランから注目されて身を硬くした。緊張したように目を見開いて亜里沙を見やる。
亜里沙は大丈夫だと示すために何度か首を縦に振った。
「弟があんな態度で、すまなかった」
キーランが申し訳なさそうに翔を見てそう言った。
言葉の意味は分からずともその表情から伝わったのか、翔の警戒はほんの少し薄らいだようだ。
亜里沙は翔に言われたことを守って肝心な部分を「分からない」としつつ、キーランとロナンに翔を紹介した。
つまり言えたことは名前と、亜里沙の同郷の人であり友人で「もうひとりの来訪者らしい」ということだけなのだが。
キーランとロナンがひとまず納得すると、先ほどのエドワードとのやり取りの内容を翔に話して聞かせる。
日本語を話す亜里沙をキーランもロナンも興味津々に見ていて、亜里沙は何だか少し恥ずかしかった。
「亜里沙ちゃん、もう一度ふたりだけで話せないかな?」
亜里沙から先ほどのことを聞き終えた翔が、険しい顔でそう言った。




