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そして私は、救済の聖女になった。  作者: 五乃ふゆ
第六章

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ニハイル砦にて

 翌日、ライアンは早朝から出かけ、そして夕刻になって戻って来た。


 ライアンを待つ間、亜里沙はキーランとロナンの様子を心配して見守ったが、ふたりとも表面上はいつもの調子に見えた。

 特にロナンは昨夜あんな事を話したとは思えないほど普段通りだった。




 夕食時、やはり王都ではルチアが祝祭の為に訪問すると御触れが出ていたと、ロナンが教えてくれた。この訪問が叶ったのは亜里沙のお陰であると大々的に宣言されたという。

 ライアンによると、王都の感情は困惑が大半で、まだ警戒する声や懐疑的な声も多い。

 夕食の直前に帰って来たライアンの顔にはかなりの疲労が見える。


 ただ、亜里沙が赴く三つの砦周辺の集落については、少なくとも表面上は反発を見せるような者はいないという。イザベラから報告を受けたロナンが事前に調べていてくれたらしい。

 特に、亜里沙が以前少女を助けた時に世話になったニハイル砦に関しては、好意的とのことだった。


「加えて、王都も落ち着いていくでしょうから、動きやすくはなるでしょう。ですが警戒を怠ってはいけません」


「うん、分かった」


 亜里沙が真剣に頷くと、ロナンの表情が和らいだ。


「その頃には、ラティファがいる宿に遊びに行く程度なら、許可出来るかもしれませんね」


 亜里沙の顔がパッと明るくなったからか、あの真面目なライアンまで硬い表情を崩して小さく笑った。




 その翌日。


 この日は最初の砦の視察だ。

 亜里沙に対して一番好意的なニハイル砦だが、それでも緊張してしまう。


 この屋敷に引きこもっていたから、実際にはどの程度の敵意があったのか、そしてそれは本当に落ち着いていくのか、何も分からない。

 だが少しでも想像すると、細く不安定な足場を、踏み外してしまいそうな感覚がした。



 朝食後、支度をして部屋で迎えを待つ。

 遠征中に着ていたものと似た格好だ。マントはエドワードから貰ったブローチで留めている。


 亜里沙の部屋には翔もいて、今、翔はソフィーの日本語の勉強を見てあげているところだ。


 今まで気付かなかったが、意識してみるとこの光景が違って見える。

 ソフィーの目元が赤く染まっている気がする。時々、翔に気付かれないようにそっと見ているようだ。

 亜里沙はソフィーが可愛らしくて胸が温かくなると同時に、泣きたくなって目を逸らした。



 少し気合を入れて早く支度し過ぎた。この時間が落ち着かず、亜里沙はアマリアの日記を読んでいた。

 そろそろかと手を止め、サッチェルにしまう。


 アマリアの日記は、今のところ一ページに大体五日分程の情報が詰め込まれている。日々の事が二、三行で記されているのだ。


 長く外で遊べた、花を摘みに行けた、王都に呼ばれた、などの重要な事があった時は、その量が増える。


 ただ、一行、一言だけで「苦しい」や「痛い」とだけ書かれている日もあった。


 サッチェルを枕元に置いて、イザベラに話しかける。

 イザベラはここに来てからは伯爵家から支給される護衛の服を着ていた。ただこの日は騎士の格好に戻っている。

 全身が全て金属という訳ではないが、イドルに触れやすい要所は金属だ。見た目にもかっこいいが、とても重そうだった。


「エンリクさんが迎えに来てくれるんだよね?」


「はい。恐らく視察は全てヴァーロ卿が同行する事になるでしょう」


 ロナンからキョウコの事を聞いて以降、亜里沙はイザベラの様子も見ているが、特に変わりないように見える。


 ただ、護衛中は集中しているのか引き締まった表情なので、本心は分からない。そしてイザベラはほぼ常に仕事をしている状態なので、話しかけるのも気が引けた。


 あまりに見つめすぎたのか、イザベラが亜里沙を見て眉を下げる。


「……私を心配してくださっているのですね」


「あ……うん」


「私は大丈夫です。確かに驚きましたけど、何となくそんな気はしていました」


「そうなの?」


「ええ。これでも付き合いが長いですからね」


「そっか……幼馴染みだもんね」


「はい。騎士を辞めざるを得なかったのは残念でしたけど……誰の事も本気で愛せない奴だと思っていたので、その点は少し嬉しかったです」


 亜里沙を見て微笑みを浮かべると、イザベラは「大丈夫ですよ」と口にした。



 それから少しして、亜里沙はロナンに呼ばれた。


 ホールに降りると騎士の格好をしたエンリクが亜里沙に会釈する。

 ロナンとキーランもいて、キーランは亜里沙を見ると笑みを浮かべた。


 キーランが亜里沙を振り向いて笑みを見せるその直前、一瞬、その顔はとても冷たく見えた。


「おはよう」


「う、うん。おはよう」


 得体の知れない不安が、染みのように小さく残る。




 ナイグラードから馬車で二時間程揺られる。


 亜里沙とキーラン、ソフィー、イザベラが車内に、外にはエンリクともうひとりの騎士が、馬で移動する。

 そうしてニハイル砦に到着した。



 迎えてくれた兵士たちの中に、何人かうっすらと見覚えのある顔がある。

 集落の人々が外に出て様子を見に来ており、亜里沙は体が凍りつくかと思った。


 だがよく見ると、こちらに向けられた視線はいずれも好意的だ。

 心配の一つが解消された亜里沙は人知れず深く息を吐いた。


「あの……」


 振り向くと、ひとりの農民の女性が口元に笑みを浮かべながらおずおずと近付いて来ていた。

 兵士がおい、と言う間にイザベラが亜里沙の前に出て、他の騎士が彼女を止める。


「ご婦人、何かご用ですか?」


 厳しい口調にその女性の顔が強張るのが見える。

 そして亜里沙はその顔に見覚えがあった。


「あ、あの……来訪者様は覚えてらっしゃらないでしょうが……その」


「ううん! 覚えてます」


 亜里沙はイザベラの後ろから声を上げる。

 ニハイル砦で一晩の休息を余儀なくされた時、お世話をしてくれた女性だ。


 女性はほっとした顔を見せた。


「お元気でいらして、何よりです。あの、私たちは来訪者様に感謝しておりますので……どうか、これからもご無事で」


 亜里沙は少し泣きそうになって、慌てて笑顔を作った。


「あの時はありがとうございました」


 言えたのはこれだけだったが、女性は再び笑顔を見せてくれた。



 少女を助けてこの砦に運ばれた際、兵士だけではなく何人かの集落の人々にも亜里沙の状態を見られていたと、ロナンから聞いた。

 口外しないように言い付けた事は大体は守られたが、集落内では恐らく広まっただろう、とも。

 それが今回は良い方に働いた結果となった訳だが、それでも常に警戒するよう言われた。


 どんなに尽くしても、些細なきっかけで敵意を向けてくる人間はいる。加えて今回は聖王の死にまつわる噂が発端なのだから、と。


 だがあの女性の背を見送りながら、亜里沙は些細な関わりでもそれを大事にしてくれる人もいるのだと知って、救われる思いだった。



 兵士からの報告では、亜里沙たちが到着する三十分程前に小さな巣が出来た。

 穢れが増えると繰り返し出来る場所で、幸いにも数は一つだけ。

 どうしてもついて行くと言い張るソフィーに根負けし、小さな森のように木々が茂った薄暗い中を手を取り合って歩いた。

 イドルにもまだ慣れないが、この森の空気感はそれとは別に何か出そうで、やたらと恐ろしいのだ。


 案内されて辿り着いた先に、少し開けた場所にぽつんと巣があった。

 人がひとり通れるくらいの大きさに丸く出来た、汚泥のような巣を、キーランと共に浄化する。


「アリサも力の使い方が上手くなったね」


 キーランが微笑んでそう言ってくれた。


「僕はほとんど何もしてないよ」


「ほんとに? 良かった……」


 心配そうな顔をしていたソフィーも安堵の息を吐いていた。


 これなら、この周辺の小さな巣を、軍の力がなくても浄化していけるだろう。そうして軍と分担すれば早く穢れが落ち着くはずだ。

 そう、確かな手応えに亜里沙が喜ぶと、ニーズが小さく言った。


『焦るあまり倒れるような事がないようにしろよ』


(もう、分かってるってば……)


 その後もいくつか確認すべき箇所を周り、ニーズの『穢れの気配はほぼしない』という言葉に安堵する。


 そうして、難なく帰還した亜里沙たちを砦の周辺で他の兵や集落の人々が出迎え、労ってくれた。



 エンリクと騎士は出来ていた巣や今後の事で兵士に何か指示していて、忙しく砦を出入りした。

 亜里沙はキーランとソフィーと一緒に待機していて、イザベラはそのすぐ近くに立っているが、集まって来た集落の人々への対応に追われている。


「皆さん、アリサ様を歓待したい様子ですね」


 ソフィーがそう小声で亜里沙に囁く。

 そして、イザベラはそれを断っている様子だ。

 気持ちは嬉しいがとても気が引けるので、亜里沙は内心でイザベラの応援をした。


 その時、後ろから声をかけられる。


「来訪者様」


 振り向くと先程の女性が笑顔で立っていた。


 亜里沙は自分の顔がほころぶのを感じながら答えようとした。



 それは、一瞬の出来事だった。



 女性が突然こちらに向かって駆け出した。

 しかし女性が走り出す寸前、キーランが亜里沙の肩を押して後ろに追いやる。ソフィーにぶつかって、咄嗟にソフィーが亜里沙を抱き締めるように支える。


 一瞬見えた女性の手には何かが光っていた。

 それを刃物だと認識した瞬間、トラウマとなったあの時の出来事が、亜里沙の脳裏を駆け抜ける。


 亜里沙が目を見開いたその先で、女性の顔に浮かんだ絶望が見えた。


「……キーラン……」


 亜里沙を庇ってキーランが、また。


「アリサ様!」


 イザベラの焦った声が上がり、気付いたらその背に庇われていた。亜里沙を抱き締めるソフィーの腕にも力がこもる。

 エンリクに名を呼ばれ、人々の悲鳴、兵士たちの怒鳴り声が響く。


『落ち着け、奴は無事だ』


 ニーズの声を聞いて、パニックに陥りそうな気持ちを奮い立たせる。イザベラの背後から見える光景に、亜里沙は全神経を集中させた。



 キーランが亜里沙に背を向けて立っている。

 女性は青ざめて震えながらキーランの顔を見上げ、何かから手を離した。そして唯一の支えを失ったように後ろに尻餅をつく。


 キーランが、掴んでいたその何かを地に放る。


 乾いた地面に、小さくカシャンと音を立てて落ちたのは、包丁のような形状の刃物だ。血がべっとりと纏わりついているのが見えた。

 その血を見て亜里沙は心臓が止まるかと思ったが、キーランはあの時とは違ってしっかり立っている。


「イザベラ」


 ひどく冷たい声で、キーランがイザベラを呼ぶ。

 イザベラは我に返り、兵士に女性を拘束させた。


 兵士にその身を引き摺られながら、亜里沙の目の前を過ぎる時、女性は肩を震わせて涙し、絞り出すように訴えてきた。


「……っ、私のっ……弟は……、傭兵、でした……来訪者様……傭兵だったんです……!」


 何を言いたいのか、亜里沙にはそれで充分だった。


 亜里沙がその女性の背中を呆然と見ながら振り向くと、イザベラの近くに集まっていた人々の中に数人、目を伏せて明らかに他と違う表情を浮かべた者たちが見えた。



 女性と数人が拘束され、砦は一気に騒がしくなった。

 何人かの偉い立場らしい軍人から亜里沙は謝られたが、何も答えることが出来ない。

 キーランはそんな亜里沙のそばに居たがった。

 だが深手を負った手の治療のために渋々、どこかへと連れて行かれた。


 手袋を着けていたキーランの手は、女性の勢いが激しかったのか、それとも掴んだ角度が悪かったのか、ほとんど貫かれるように裂けていた。

 そしてそれを知った亜里沙が鋭い悲鳴を上げたので、仕方なく譲歩したといった様子だった。


「このくらいならすぐに治る。お前も知っているだろ」


 イザベラに嗜められて、キーランがそう答えた言葉が耳に残っている。


 先程の女性の事が亜里沙の胸を抉るような衝撃を与えたのは確かだ。

 そして襲ってきた小さな違和感。


 亜里沙は何故か、違和感の方に思考を支配されて、少しも身じろぎ出来なかった。



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