月光編8 歪んだ月影(前編)
「――ああっ! やっぱり飲み過ぎちゃった! ったくもう、ショーコのヤツったらほんっとにザルなんだから。あんなのに毎晩付き合ってたら身が保たないわね。次からはシカトしとこ……」
結局、深夜の閉店時刻まで付き合わされてしまった。
やたらと日頃の鬱憤が蓄積していたのか、帰ろうにも離してくれなかったのである。
ぶつくさ言いながらドアを開けると
「ほい、やっと帰ってきたわね、カレン。いくらフリーだからって、よくまあこんな時間まで酒なんか飲んでられるわね。……何かの間違いでいい男にでも会えたのかしら?」
中にいたショートカットの女性が声をかけてきた。後ろを頭皮が見えるまで刈り込みつつ真っ赤に染めており、肩が露わになるほどくたびれたTシャツとくすみきったジーンズを身に着けている。なんとも奇矯な印象を与える姿だが、容貌そのものは整っていて美人であるといっていい。
カレンは後ろ手によっこらしょ、と重い扉を閉めながら
「何かの間違い、は余計よ、キャス。あんたこそ、そんな狂った格好で街中のし歩いたりなんかするから、いつまでたっても男が寄ってこないのよ」
「うっさいなぁ。あたしの恋人はCMDだけ。性欲の塊みたいな人間の男なんかにゃ興味ないのよ。……それよかあんた、変装して男だらけの建設現場に乗り込んだんでしょ? さぞかし楽しかったでしょうねぇ」
「……楽しくなんかないわよ。さんざんにからまれるわナンパされるわ。弁当屋になんか化けるモンじゃないわね。もし次があったら、今度はあんたが行きなさいよ、キャス」
あの脂ぎったいやらしい作業員達の目つきは、思い出すだけで不快になる。ミッション遂行のためとはいえ、あんな露出の多い格好で行ってしまったのが悔やまれてならない。
キャスは薄ら笑いを浮かべ
「はっ、冗談。男だらけの作業場なんか汚らわしくて、近寄る気にもならないわ。ボスの指令だったとしてもちゃんちゃら御免よ」
どうせ逆らう度胸もないクセに、とカレンは胸中思ったが、それを口に出せばこの女は怒り狂い、飛び掛ってくるに違いない。あまりのキャスのキレやすさに、初対面から数日というもの扱いに悩んだりもした。が、結局は好き勝手言わせておくより外はないのだった。
「あー、カレン、聞いたぁ? こないだのミッション、だいぶいいカンジだったっぽいよぉ」
そこへ急に割って入ったのは、壁際のチェアに腰掛けていた女性である。
おっとりした口調の彼女は目に眩しい純白のワンピースを纏っていて一見清楚なようではあるが、頭全体を覆い隠してしまうほどに髪の毛が長い。しきりと枝毛を探していて、話しかけておきながらカレンの方を見ようともしなかった。
室内にはそのほかにエラもいた。
が、彼女は携帯端末の画面に視線を落としたまま、沈黙し続けている。
ほろ酔いのカレンは空いていたチェアにどさりと腰を下ろし
「こないだって、R地区の件? いい感じって何さ? ボスが褒めてくれたの?」
「ちーがうよん。あのコ達全員、見事に意識不明の重体。だから警察機構は捜査を進めようにもお手上げ、ってワケ。でもってStar-lineはてんてこ舞いっちゃってるしぃ、何もかもだーい成功なのぉ」
「でもさ、あれってたかが工場バイトに来ていたその辺に転がっているフツーのお嬢ちゃんばっかでしょう? 別に生かしておくこともなかったじゃん。うっかり回復なんかしちゃって警察に喋られでもしたら、あたし達みんな豚箱経由の刑場行きよ?」
腕組みをして壁に寄りかかったキャス。
「そぉねぇ……キャスの言う通りかも」ノイアは俯いてなおも枝毛探しに集中しながら「最近のコ達って、アタマは悪いけど早熟で発情しちゃってるのが多いし。どんなに重体だったとしても、男が欲しくなったら勝手に治っちゃうかもねぇ」
「やれやれ……あんた達、揃いも揃って酷いコト言うわね……」
カレンは呆れた。
決して今の自分が清廉であるなどとは思っていないが、それでも彼女らに比べればまだマシではないかという気がせぬでもない。互いの生い立ちや素性などは知らされていないから、どういう思想信条の持ち主であるかということすらそれぞれ把握していないのである。涼しい顔をして「死ねばいい」などと過激な発言をするキャスとノイアがそら恐ろしくなってきた。
すると、黙って携帯端末をいじっていたエラが顔を上げ
「二人共。ボスの指示は『ただし消すな』だった筈よ。なのに、指示に背けば良かったとでも?」
「そ、そうは言ってないじゃん……」
エラの至って静かな脅迫を受けたキャスとノイア。急に大人しくなった。
そんな二人の様子に構わず、エラは続けて
「それはそうと、カレンったら遅かったじゃない」二、三回鼻をひくつかせ「……やっぱり飲んだわね。酒臭いったらありゃしない。傍にいるこっちが酔ってしまいそうだわ」
「えーえー、どうもすみませんでした! あたしはあたしの、都合ってものがあるのよ。――ってか、世界中の人間がみんなあんたみたいだったら、とっくに平和が訪れているでしょうよ」
どこか腹の虫が収まらないカレン。
態と言葉尻にトゲを含ませてみたが、エラは大して気にする風でもない。
彼女は相変わらず携帯端末をいじっていたが
「さて、と。ボスから次の指示がきているわ。終わったミッションのことをくどくど批評している場合じゃないんだからね」
重大な用件を切り出した。
「ん。それ、聞きましょうか」
カレンは聞き耳を立てた。
任務の指令者を、彼女達は「ボス」と呼んでいる。
四人ともその存在に直接対面したことはなく、しかも指令は決まってエラの携帯端末にだけ送られてくる。だが、報告もしていないというのにボスは彼女らの任務遂行状況を逐一把握しているらしく、その都度罵倒なり労いなりの言葉を送ってくるのが常であった。仲間うちには強がってみせるキャスもこのボスだけは恐れているらしく、エラなどは何かというとはみ出しがちな彼女にボスの存在をちらつかせて黙らせたりしている。
「読み上げるわよ。……君達の手際、実に素晴らしい。お陰で、こちらの思う通りに状況は動いている。私が確認したところでは、Star-lineは著しく疲弊しているようだ。今こそ、彼等に決定的な打撃を与える絶好のチャンスである――だそうよ。Star-lineを叩けっていう指示ね。そろそろ、本腰を入れなくちゃならないわ」
「いよっ! 待ってました! あのMDP-0とやりあえるのね!」
CMDマニア、というよりはどちらかといえば破壊活動嗜好者であるキャスは喜び出した。
ノイアも「ふーん。楽しいコトならいいよぉ」と、訳のわからない賛同の仕方をした。
「……」
ただ一人、カレンだけはそっと、何ともいえない表情をした。
が、壁の方を向いているから他の三人にはわからない。
エラはごそごそと、今度はノートタイプのコンピュータを取り出して何やら操作し始めた。が、すぐに三人の方へ向き直ると
「あたしが立案した作戦を説明するわね。――ここ数日執拗に仕掛けた攪乱工作で、Star-lineは相当神経質になっている。どうやら、サブジャミングによる誤報を恐れてSTR警備班の先行出動態勢に切り替えたらしいのよ」
「あっはっは、ザマぁないわね。あのStar-lineがびびってるってか。あっはっは……」
何が楽しいのか、キャスが馬鹿笑いを始めた。
うるさいとでも思ったか、そんな彼女にちらりと一瞥をくれつつも、エラは構わずに説明を続けていく。
「だから、警戒レベルの低い緊急発報では、彼等は出動してこない可能性がある。……でも逆に言えば、高レベルの緊急発報ならStar-lineは必ずのこのことやってくる。これを同時に2箇所で鳴らしてやれば、いきおい彼等は二手に分かれざるを得ない」
「ああ、そこをあたし達がバサッとやればいいのね?」
なおも枝毛ばかり探しているノイアだったが、聴くべきところは聴いていたらしい。
「その通り。彼等は今、警備システムの対CMD感知センサーには疑念を抱いている筈。実際にCMDで襲撃を受ける可能性こそ否定していないでしょうけど、昨日の今日だからどちらかといえば誤報程度に考えているに違いない。油断しきっている今なら、あのStar-lineといえども――」
「で、で? どっちをやるのよ? あたし、MDP-0がいいんだけど! あのセカンド機なんかどうでもいいわ! あたしにMDP-0をやらせて!」
独り興奮を抑えきれないキャスがしゃしゃり出て、説明を遮った。
すると、エラは露骨に不快な表情を浮かべ
「……作戦立案は、このあたしの役目なのよ。ボスからも、そのように指示を受けている。だけど、キャス、あんた、あたしの作戦に従えないっていうのは、ボスの命令に背く行為だって――」
「あ、ああ、ご、ごめん! 何でもないって! 従う従う! 何でもやりますから!」
慌てたようにして、キャスは引っ込んだ。まるで犬のような女だと、カレンは思った。
その彼女は沈黙したまま作戦の説明を聞いていたが、ふと
「……ってことは、最初の標的はセカンドのDX-2かしら? そのように聞こえたんだけど」
口を開き質問をぶつけた。
エラは頷き
「そう。ファースト機のドライバーは恐らくこの州都でも最強の腕を持っている。そこにセカンド機が加勢されたらあたし達といえども勝てる見込はない。だから、まずは2機を隔離した上で、邪魔なDX-2を一気に潰す。グラス・コーティングで鎧われたGシャドゥなら、勘付かれる前に接近が可能だし、足跡を残すことなく撤収できるでしょ。……そうすれば、彼等は報復に燃えるでしょうから、次には必ずMDP-0が出てくるということになる。違うかしら?」
性格が歪みきっているキャスとノイアに理解を求めても無駄だと思ったのか、カレンに同意を求めるようにした。
もちろん、カレンに異論はない。
そういう作戦企画能力については、自分はエラの足元にも及ばないと思っている。大人しく従っておけば、ほぼ間違いはない。
「OK、了解した。……あと、作戦のコードを教えて欲しいわね。作戦決行日まで機体やら何やら準備しなくちゃならないし、次のミーティングが満足にできるかどうかわからないでしょ?」
「それなんだけど」
エラはちょっと考え込むような仕草をして
「……以降、作戦をSBPと呼称したいの。いいかしら?」
「SBP? 何の略?」
キャスの問いに、エラは表情から余裕を消し去り
「Star Break Project、よ。これからのあたし達のミッションは『月』の発展に邪魔な『星』を砕くこと。SBPファーストフェイズスタートは三日後の深夜とします。……三人とも、いいわね?」
奇怪な連続緊急発報騒ぎから丸二日が経過した。
隔日で当直を交代するDCNC体制に移行してその後の異変に備えたものの、あの異常きわまる緊急発報はぴたりと止んでしまった。二日間、一件たりとも緊急通信はきていない。
「これもまた、妙ね。今度は何を考えているのかしら?」
暇を持て余し、チェアに踏ん反り返って天井を仰いでいるショーコ。
体制移行前夜、サラが気を利かせて好きなだけ寝酒を飲ませたあとだから、至って落ち着いている。
「さぁ……。少なくとも、あれで終わりでないことだけは確かですね」
ぼんやりと窓の外の闇を見つめながら、ナナが静かに言った。今日はファーストグループが当直に当たっている。
Moon-lightsもといアルテミスの連中は、干渉騒ぎにしろインチキ報道にしろ、やるだけやっておきながらさっさと手を引き、しかしその直後に裏をかくという巧妙な嫌がらせを仕掛けてきている。このパターンからいけば、また何か企んでいるに違いないというのが、Star-lineメンバー全員の共通見解であった。
ショーコはデスクの上にどっかと両脚を上げ
「ま、ヴォルデさんとセレアさんがアルテミス側へ抗議に行ってくれるっていう話だし、これで収まってくれればいいんだけどねぇ……」
「そうですね……」
生気がまるでないナナ。
そんな彼女の様子に気がついたショーコは
「そういやナナちゃん、夕食摂ってないでしょ? もう遅いんだし、食べちゃいなさいよ。食べないと、いざという時にパワーが出ないわよ?」
促してやった。
時計の針はもう二十三時を過ぎている。
夕食というような時間でもなくなってしまっているのだが、かといって抜くのはまずい。ファーストグループの当直は、明朝八時まで続くのだ。このあと仮眠の時間が確保されているにせよ、食事くらいきちんと摂らなくては、と彼女は思うのである。
が、ナナは小さくかぶりを振り「ありがとうございます。でも、食欲がないんです……」
「食べたくないの? もしかして、体調が悪いの?」
こういう時のショーコはまるで姉のような態度になる。
窓際から動こうとしないナナの傍へ寄って行くと、額に手を当てながら
「風邪でもひいたかしら? ――って、熱はなさそう。まあ、あれだけハードな業務が続いたし、疲れるのが当たり前よね。ごめんね、無理ばっかり言って」
優しく言った。
ナナはショーコの顔をじっと見つめてからゆっくりと笑みを浮かべ
「ううん、あたしこそ心配かけてごめんなさい。疲れてないって言えば嘘になるけど、体調が悪い訳じゃないわ。ほんのたまに、食欲が出ない時もあるのよ」
「そう? ホントに?」
「うん、ホント。……ただ」とまで言いかけて、ナナは再び窓の外へ目をやった。
「ただ、どうかした?」
「うん、あのね……」
どう言ったものかという風に考えているナナ。
ショーコは黙って彼女が口を開くのを待っている。
その時である。
『――Star-line、応答願います! こちら、STR指令! Star-line、どなたかいらっしゃいますか?』
通信コンソールの受信ランプが点滅を繰り返している。
「……やれやれ、ね。折角、ゆっくり話をする時間ができたかと思ったのに」
仕方がなさそうな笑みを浮かべたショーコに、ナナも困った笑顔を返した。ショーコはごしごしと彼女の頭を撫でると、通信コンソールの前に立った。
「はいはい、こちらStar-line。副長のショーコ・サクです。STR指令、どうぞ」
ショーコの姿を目にした女性オペレーターは一瞬ドキリとした様子だったが、今日は至って物静かな調子であることに安堵したらしい。ちょっと会釈しつつ、しかしすぐ真面目な表情に返り
『深夜に申し訳ありません。2331頃、E地区スティーレイン・セントラルバンク第三支店の警備システムより、警戒レベルフォースにて緊急発報を受信しました。現地警備員へ連絡をとったところ、周囲にCMDの稼働する気配があるとのことです。STR警備班先行出動特例外のケースと判断されますので、至急現地へ出動をお願いいたします!』
「レベルフォース? そりゃ、穏やかじゃないわね」
ショーコは眉をしかめたが、すぐに
「了解しました。Star-line、直ちに現場へ出動いたします。出動はファーストグループ四名、現場到着は2350の見込みです」
返答した。
『了解です! 緊急時開放無線の識別は4420に設定願います。では、よろしくお願いいたします!』
通信を終了すると、ショーコはナナの方を向き
「……だそうよ。疲れているところ、ほんっとに申し訳ないけど、警戒レベルがフォースっていうんじゃ、黙って突っぱねるワケにもいかないわ」
「わかってますよ。セカンドグループじゃなくて、あたし達で良かったじゃないですか。サイなら何の心配もないもの」
そう言って、悪戯っぽく微笑んだナナ。
「そうね。ナナちゃん達なら、安心して任せられるしね」
ショーコもニッと笑って見せ
「サイ君とリベルさん、確かハンガーで今日届いた部品の整理していた筈よね? ユイちゃんは休憩室でテレビでも観てるんじゃないかしら?」
「あたし、ユイちゃん呼んでそのまま出動します! ショーコさん、あとをよろしくお願いします!」
ナナはばたばたと慌しくオフィスを飛び出して行った。
独り残されたショーコはしばらくその場に立っていたが、ふと思い出したように
「……やべ。セカンド起こしてサラに連絡しなきゃ」
当直を外れているセカンドグループの三人は、今頃宿直室で夢でも見ているであろう。
館内一斉放送のスイッチを入れてマイクを握ると
「あーあー、Star-line全員に連絡します。2331頃、E地区のセントラルバンク第三支店からレベルフォースで緊急発報。ファーストグループとリベルさんは直ちに向かってください」そこで一旦言葉を切ったショーコは、すうっと大きく息を吸い込むと「セカンドの三人! 寝てる場合じゃないわよ! 代行待機だから、五分以内に起きてきて頂戴! いいわね!?」
大声でぶちまけた。
スイッチを切りつつ耳を澄ましてみると、廊下の向こう側から騒ぐ声が聞こえてきた。
「……起床喚起放送、OK。セカンド三人娘、無事起床っと」
――そうして、程なくファーストグループの四人は闇夜の中をE地区へ向け出動していった。
代行で待機する羽目になったセカンド三人娘。
オフィスに出てきたまでは良かったが、三人とも寝入りばなを叩き起こされたたため、すこぶる不快な顔をしていた。
「また、Moon-lightsのヤツらですかぁ? なぁんだって、こんな時間に……」
ティアは半分寝ぼけているらしい。
この娘の寝起きの悪さたるや堂に入っており、ほとんどまぶたが閉じていた。寝ているのか起きているのか、わかったものではない。
「ほれ、シャキッとしなさい、シャキッと! ナナちゃんは体調悪いのに頑張って出動していったのよ! せめて四人が帰ってくるまでは、気合い入れて待機なさい!」
「副長、こんな夜中なのによくそんな元気ありますね……。なんか、クスリでも……?」
「誰がクスリなんかやるか、ドアホ!」
ショーコとティアのやり取りを苦笑しながら眺めていたサラ。
彼女は通信コンソールの傍に立っていたが、ふとモニタに目線をやり
「……あら? 一件受信保留がかかってるじゃない。どこからかしら?」
うとうとしかけていたのに気がつき、ハッとしてカレンは上体を起こした。
慌てて腕時計を見やると、時刻は二十三時と四十分。
「ああ、びっくりした。うっかり、寝過ごしたかと思ったわ」
そういえば、ここ数日というもの、ゆっくり休めた記憶がない。
とはいえ、これからまだしばらく休むことの許されない日々が続くであろう。どうも、疲れが体のシンに溜まっていっているような気がして、決して快適な気はしない。
独り多少憂鬱な気分に沈んでいると
『――もし! こちらエラ! C班、状況はどう?』
小型スピーカーの奥から、エラの低い声が聞こえてきた。
「はいはい、こちらC班のカレン。現在地はI地区南、高速規格道第七パーキングエリアで待機中」
『予定通りね。あたしの指示通りに動いてくれて、助かるわ』
「あたしはいつだって、あんたの指示に従っているでしょ。――ところで、Star-lineは出動したのかしら?」
質問してやると、数秒の沈黙があった。無線の向こうで確認でもとっているらしい。
やがて
『……無線の傍受は無理だったけど、仕掛けておいたカメラが2338に本部舎を出て行く特殊装甲車とキャリアを捉えているわ。キャスの取り付け位置が悪くて、ファーストかセカンドか区別がつかないんだけど』
「あら、まあ。仕事は人を選ばなくちゃ、ね」
顔が見えないのをいいことに、そっと笑ったカレン。
ふと、バックミラーに目線を向けた時である。
闇の向こうから疾走して来る白い車両が映っている。
「……エラ! 来たわよ! 多分、Star-lineの車両だわ! ちょっと待って、もうすぐ傍を通過していくから……」
窓の外の暗がりに、じっと目を凝らしてみる。
間もなく、小型の特殊装甲車と大型キャリアが高速で駆け抜けて行った。
「……もし? 2343、第七パーキングエリアを通過。ファーストグループね。間違いない」
『本当に? 車両側面のマーキング、ちゃんと見えたの?』
やや疑っているらしい。
眠気のせいもあって、カレンは少しイラつきながら
「マーキングどころじゃないわよ。連中、急いで出てきたらしくて、キャリアにカバーをかけてなかった。だから、はっきり見えたわよ。MDP-0が」
『あ、そ。それなら、間違いないわね』
と、エラは疑ったことを詫びもせずに平然としている。
嫌味の一つもぶつけてやりたいところだが、今この場面で怒っても仕方がない。なにしろ、これから重大なミッションが開始されようとしているのだ。
「じゃ、あたしは撤収するから。間に合えば加勢するけど……どうせ、手助けなんか要らないでしょ?」
キャスとノイアの残忍コンビで挑む以上、どんな強敵が現れてもギタギタにしてしまうのではないかという気がした。実際、R地区ではやりすぎて指示に反してしまうところだった。
しかし、
『……いや、できれば急いで戻って頂戴。間に合うなら、加勢して』
エラからは思いもかけない言葉が返ってきた。
「は? あたし、要るの? セカンド機相手なら、あの二人で間に合うでしょ?」
反問しつつも、カレンはエラが自分に「二人の暴走を止めろ」というつもりなのかと想像していた。
が、違った。
『間に合うことは間に合うでしょうね。だけど、一応は万全を期したいのよ。……そういうことだから、多分出る幕はないと思うけど、念のため来て頂戴』
「……」
自分に対する信頼の言葉が出てくるものと、期待する方が間違っていた。
無性に虚しくなったカレンはそのまま通信を打ち切り、帰還するべく車を発進させた。
闇に染まったハイウェイを飛ばしていると、先日飲んだ時にショーコが嬉しそうに言っていたのを思い出した。ほろ酔いの彼女はにこにこしながら
『あたしはねぇ、みんなを部下だなんて思ってないの。弟に妹、ね。だってさぁ、何だかんだツッコミは飛んでくるし憎まれ口の四つや五つは当たり前だから腹も立ったりするケド……やっぱ、カワイイのよねぇ。最後はあたしのコト、信頼してくれてるんだもの』
何となく、面白くなかった。
信頼される事がそんなに嬉しい?
信頼したって、最後は裏切られるに決まっている。
信頼なんて所詮は綺麗事、結局は自分と相手の自己満足でしかない――。
胸中で何度も否定してみるものの、その度にショーコの笑顔が邪魔をしてくる。
つまりは自分もまた――誰かから信頼されたいと思う気持ちがあるということなのか。
心の奥底を抉るようにして、止め処なく沸き起こってくる不快感。
カレンは、何としても認めたくなかった。
――ショーコに嫉妬している自分の姿を。
(ショーコ、今に見ていなさい……。あなたが大切に思っているもの、あたしが全部潰してあげる)
L地区を飛び出したファーストグループの一行は高速規格道を一路北東へ走っていく。
もう間もなく、E地区に入ろうとしている。E地区最初のインターチェンジまでの距離数を示す看板が猛スピードで後方へ流れ去っていった。
「……おおっと? 代理待機のセカンドグループもお出かけしたみたいだな。W地区とは、これまた随分遠いぜ。三人とも、むくれてるだろうなぁ」
イヤホンでStar-line本部舎の通信を聞き取っていたサイは、苦笑しつつ呟いた。
セカンド三人娘の嫌がる顔が目に浮かぶようである。
『……よう、ボーズ』
後方にびったりついているキャリアからリベルが声をかけてきた。
「ほい、なんすか?」
『W地区って、うちの施設、なんかあったっけか?』
スティーレイングループは全部で数十社からなる。専門の警備会社といえども、普段付き合いのない会社まで覚えてなどいられない。ましてや、その事業所所在地全てを把握するなど、よほどの記憶力がなければ不可能であるといっていい。
「さ、さぁ……? 俺も、よくわからないっすねぇ……」
必要最低限の事以外は把握する習慣がないサイ。訊かれたところで、曖昧に返事するよりない。
『いやー、あたしが知っている限りだと、W地区って何もなかったと思いますよぉ。……なんか、無線から聞こえてきた話だと、W地区南5C5Lで廃棄物処理管理センターの高濃度危険廃棄物運搬車が正体不明のCMDに停められたっていうことらしいですよ?』
しっかり通信を聞き取っていたらしいユイが説明してくれた。
スティーレイングループに所属する廃棄物総合処理管理センターは、ファー・レイメンティル州の最も端・Y地区に位置している。ゆえに、産業廃棄物処理運搬車などは近隣のW地区やS、T地区を通行することはごく日常茶飯事なのである。
どうやら、その車両が何者かに狙われたらしい。
スティーレイン・セントラルバンクの現金輸送車なども同様だが、こうした特殊業務車両には、地上施設とほぼ一緒の警備システムが搭載されている。であるから、万が一それらの車両から緊急発報が飛んだ場合、STRなりStar-lineがその地点まで出動していくというケースもありうるのである。
運の悪いセカンド三人娘は、その緊急発報に当たってしまったようであった。
「ははぁ。W地区なんてまた、難儀な地区で襲われたモンだなぁ。大変だよ」
他人事のように言っていると
「――サイ、あのね」
不意に、ナナが口を開いた。
本部舎を出動して以来、彼女はハンドルを握ったまま、しばらくの間というもの無言だった。
サイが「うん?」と返事をすると、彼女はどう説明したものかとやや考えている風だったが
「これっていう理由はないんだけど……どうも、セカンドグループの三人のところへ向かった方がいいと思うのよ」
そんなことを言った。
サイは怪訝な顔で
「セカンドグループに? 何か、感じたのか?」
「もうずっと、妙な胸騒ぎがしてならない。こんなの久しぶりだわ。……サイのお母さんが倒れた時以来よ。サイがA地区でジャミングにやられていた時だって、こんなにはならなかったもの」
嫌な予感がした。
ナナの直感は大抵何でも的中するが、誰かに危険が迫っている場合になるとその感じ方は尋常でなくなる。最後にそれを感じたのは大分昔にサイの母親が倒れた時だが、さらに以前には彼の父親、そしてナナ自身の母親についてもそういうことがあったのを、サイは明確に覚えている。
「じゃナナ、食欲がなかったっていうのは、ずっと嫌な予感がしていたからなのか?」
「うん……。こういう時だからと思って、ショーコさんには黙っていたけど……」
といって、放っておけば取り返しのつかない事態を招くであろう。
「……よし、じゃあ」
サイは無線を手に取り、本部舎へ通信しようとした。
「……」
が、一瞬考えてやめておいた。
彼女の直感が優れていることは、隊長のサラも副長のショーコも知っている。
かといって、今この出動騒ぎの最中にそれを申し出てみても、ストレートに受け入れてもらえるかという気がしたのである。
躊躇っていると、ナナが
「どうかしたの?」
「いや……本部舎には黙っておこう。みんなナーバスになっている時だから、聞いてくれるかどうか、自信がない」
「そう……。そうだよね……」
ちょっと悲しそうにした。
しかし、サイはまあまあというように
「こういう時にはこういう時のやり方ってものがあるさ。だろ?」
無線の通信スイッチをオンにした。「――ユイちゃん、リベルさん、個別回線で応答願います」
『はーい、ユイでーす。サイさん、聞こえてますよー。どーかしましたかぁ?』
彼女の無邪気な応答が返ってきた。
「ユイちゃん、ちょっと聞いてくれ。これは内密だから、個別回線にしているんだけど――」
そう断りをいれつつ、サイは簡潔に事情を説明し「ってことで、俺達はセカンドグループの元へ向かった方がいいと思う。放っておいたら、恐らくは最悪の事態を招くと思うんだ」
『え……でも、E地区の緊急発報は――』
難色を示しているユイ。
そうであろう。
この緊急出動要請が例によって実体のないそれであるとは限らない。あるいは、正真正銘であるかも知れないのだ。しかも警戒レベルはフォースときている。その現場を放り出して他所へ向かったなどと知れようものなら、良くて減給、悪く行けば懲戒解雇が待っている。
が、サイに背中を押してもらったナナは揺るがなかった。
無線のモードを集音に切り替え
「放っておきましょう。何かあったら、あたしが責任取るから。今は、セカンドグループに良くないことが起こりつつある。間違いないと思う」
「わかった!」
サイは即座に決断した。「行くぞ! ナナ、ユイちゃん、Uターンしてくれ! 俺がヴォルデさんに土下座すれば何とかなる! リベルさん、ごめん!」
「了解っ!」
ダンッ! と乱暴にブレーキを踏んづけざま、右へ一気にハンドルを回しきったナナ。
車体が大きく揺れタイヤが激しく軋む。ほとんど路面をこするようにして、特殊装甲車は方向転換を終えていた。
彼女にもそういう芸当ができたのかと、サイはちょっと楽しくなった。
『しゃあねぇな。嬢ちゃんがそう言うなら、俺も一丁ノッたぜ! ……ほれ、嬢ちゃん、そっからUターンできるぜ?』
リベルも同意してくれた。
この気のいい親父は、後で何かあったところで苦情を述べるような人物ではない。
『えーん、わかりましたよぉ……』
バックミラーで確認すると、ユイの大型トレーラーもUターンを試みている。
が、急な転回で後続の車両を停めてしまったらしく、激しくクラクションを鳴らされていた。
「……高速規格道でUターンはまずかったかな」
呟いたサイに、ナナは正面を向いたまま
「いいのよ。仲間の命がかかっているんだから」
いつになく必死な表情で言った。
かくして、ファーストグループの四人は持ち場を捨て、セカンドグループが出動しているW地区へと急行した――。