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「いやー、それにしても慧香ちゃん。とうとう脩くんを捨てたのかぁ……」

 しみじみ、と言った様子で呟く大悟さんを、私は思わず睨みあげてしまう。

「…………ここにも砂糖な大人が」

「え、なに?」

「いえいえ。というか、私が面倒見てもらってた立場なのに、何で捨てるとか愛想尽かすとか、そういう発想が浮かんでくるんですか」

 本当に奇妙奇天烈な話だと思う。実際は勝手な逆ギレというものをぶつけたのだし、恩を仇で返しやがって、と言われても仕方がないというのに。大悟さんも詠美さんも、まるで私がすべての主導権を握っていたかのような言い方をするのだもの。


 そんな感じのことをぐちぐち言うと、大悟さんはそうだなぁと少し伸ばした髭を擦って考える素振りをする。

「これはあくまで推測なんだけどね、脩くんにしてみれば、慧香ちゃんを助けたつもりはないんだと思う」

「はあ……謙虚なことで」

「いや、だからそうじゃないんだよ。認識が俺らとはまったく違うというかさ。慧香ちゃんからすれば、捨て猫が拾われたような気分だったろ? 俺も脩くんてこういうことするのかって驚愕だったし」

 私は捨て猫ですか……と半眼になる自分を自覚する。まあ、でも、そんな感じに見えるか。よほど憐みを買う様子だったんでしょうね。

 今さらながらだけど、あの時は同情でも何でもござれって気分だったのに、もうそうは思わない。逆にどんどん落ち込む。「あなたにとっての私って何なの」なーんて、一端のそれらしいセリフを吐いてみたものの、例えばボランティア精神で私を拾ってくれたなら、その時点で二人の立場の上下は決まっているわけで……。つまりのところ、対等な関係性を築けてないくせに、興味が薄いだとか関心が薄いだとか、そんな風に吠えた私は何様かという。

「慧香ちゃん? おーい」

「あ、はい。ちょっと白昼夢です」

「変なこと言ってるね……。まあいいや。それでね、慧香ちゃんにとっては矛盾だろうけれど、脩くんという人間は自分から他人に興味を抱くことがほとんどないんだ」

 思えば十年前にしつこく話しかけ続けたのも大悟さんであるというし、海棠さんに関しては姉である詠美さんの婚約者だったという接点から会社設立に至ったらしい。三澄さんとの友人関係は、もう一人の大学での同級生が強引な迫り方で交友を結んだ、と。

「そうやって知り合った数少ない人間のことも、なんか持て余している感じするんだよね。付き合い方がわかんないんだろうなぁ。何より他人に『頼み事』をしないんだよ。無償の行為を求めないというかさ。――そのはずなのに、慧香ちゃんのことではびっくりした」


 去年の十二月二十五日という晩に、拉致同然で他人であるところの私を掻っ攫い、おまけに大悟さんに病人食を持ってくるように『頼み事』をした一連のこと。あ、その前から差し入れという形で私のことは気にしていたらしいけれど……ん?


「いやぁ、空から槍でも降ってくるかと思ったね。有り得ないことが次々起こるもんだから、熱があるのは脩くんの方だろうって思ったくらいだ」


 ははは、とか笑うところだろうか、大悟さん。

 ……私は、どう反応すべきかわからない。

 そういえば、海棠さんに呼び出されて話をしたとき、少し疑問に思ったことがあったっけ。私に対する脩さんの過剰なまでの世話焼きっぷりに、その異常性への共感を得ようと思ったのだけど。海棠さんも三澄さんも信じられないといった様子だった。「私の知らない佐野」と三澄さんのこぼした言葉を思い出す。

「……誰にでもあんなんじゃないの?」

「脩くんが、慧香ちゃんにしてるみたいなってこと? ないない! 絶対ない! 他人のために労力使うとか、十年付き合っても一度もないよ。それにさ、詠美さんがこんな形で出しゃばってくるってことは、家族のあの人でさえ見たことないんだよ、きっと」

「えー……」

「信じがたい? でもね、俺も詠美さんも、三澄くんも海棠さんも、慧香ちゃんよりずーっと信じられない気分だから!」

 それにね、と大悟さんは続ける。

「脩くんて、女嫌いなんだよ」

「…………はい?」

「大学入ってすぐに友達――響介くんっていう豪快なやつに出会って、三澄くんともども社会勉強に連れ回されてたときには、そこそこ彼女を作ったり遊んだりしてたんだけど……。卒業間近のときかな。あの顔と物腰に惹かれた他校の女の子がストーカー化して、おまけに当時海棠さんの命で付けられてた秘書の女の人が脩くんに執心しちゃってね。さらに駄目押しで、良家の令嬢だっていう後輩が『結婚を前提に』って家絡みで圧力かけてくる未曾有の事態になったんだ」


 誰一人として関係を持っていない女が、あるとき時期を示し合わせたかのように『佐野脩の女』発言を始めたらしい。どんなに否定しても冷たくあしらっても、柳に風状態。というのも一人はストーカーで名前も知らない女だったし、もう一人は仕事上の立場が付き纏い、令嬢に至っては家の名前を持ち出されて保護者代わりの海棠さんに直談判までしたとのこと。


「みんな一種のトランス状態っていうかさ。脩くんを置き去りにして大暴走。大学も会社も、とにかく日常生活がままならなくなるほど騒ぎが大きくなってきて、これは諸々の対処が必要だってなったときにそれぞれが爆発した――最悪だったよ」

 一人の男を巡る争いとは思えない結末……派手に騒ぎ立てないように最大限の配慮をしたらしいが、海棠夫妻や警察関係も介入して、はたまた金と権力がある家を黙らせるために公には決してできない動きもあったとか。

「もうさすがの脩くんもキレちゃってねえ。秘書については海棠さんが脩くんを表に出すための下準備っていう背景もあったもんだから、登校拒否ならぬ出社拒否に発展して……。それまで詠美さんの意向で同居してたんだけど、卒業も待たずにさっさと今のマンションを買って引っ越したくらいだから相当だよ。電話番号やアドレス類も全部変えて、限られた人にしか教えてないみたいだし。もともと淡泊だったけど、それからは女の影は一切ないね」


 そりゃあそんな毒性の強そうな女に集中的に囲まれれば、どんな女好きでも正反対に転んでしまう気がする。女に対してもともと淡泊だったならなおさらだ。

 大悟さんは詳しい“トランス状態な女たち”の行動を語ってくれたわけではないけれども、想像してもいい気分にはならなそうなので止めておいた。

「脩くん、今でもときどき店に来てくれたりするだろ? そうするとあの顔に目を付けて、逆ナンする女の子とかいるんだけど、そりゃもう冷たい一瞥を食らわせてそれ以降は無視だよ、完全無視!」

「……それ誰ですか」

「だーかーらー、慧香ちゃんに対する態度が特別すぎるんだって」

 あの常に微笑んでいる男が、冷たい一瞥? 無視? 誰それ。何それ。

「そんなとこ見たことないですけど」

 休日にドライブがてら連れ出してもらったときだって、寄ってくる女の人はいた。こちらが一応男女の組み合わせであるのに声をかけてくる女性というのは、たいてい自分に自信があって、さらには私など敵ではないという見下し目線が物凄い。いい気分はしないけれども、彼女でもないのだから……と黙っていると、たいていあの人はやんわりはっきり拒絶して、さっさと私を連れて場所を替えていた。――大悟さんが言うような態度は見たことない。

「慧香ちゃんの前では猫被ってるんだよ」

「猫……」

「そうそう。そんな芸当も出来たんだなぁ。俺は十年にして新しい脩くんを見せられてるよ」

 身内と認めた人間にはそれなりに気安い性格になるらしく、女性でも例えば三澄さんの姉妹であるとか、響介という友人のパートナーだとかは同じように接するらしい。たぶんそれは自分にとって“女”じゃない括りに入る人間だからだろうと大悟さんは言う。

 じゃあ私もそのうちの一人ってことかと問えば、それは違うと大真面目な返答。


「俺の知る身内の扱いじゃないんだよね。猫被るのも含めて、もし恋人が出来たらこうするのかなって感じ? ……二人が付き合ってないっていうのも、本当のところ俺は信じてなかったよ」

「…………じゃあ、結局なんなんでしょうね」

「慧香ちゃんのこと?」

「はい。ますます訳わかんない。いったい“なに”扱いされてるんだろう。お気に入りのオモチャか……やっぱりペットかな」

 前者より後者の線の方が色濃い。だっていろいろ意味不明とはいえ、私の反応が薄いことに対して怒っていたような気がするし。多少のアクションは欲しいに違いない。


 呟きに混じった私の自己評価に、大悟さんは首を傾げる。

「たしかに脩くんの思考回路って面倒なんだけど……芯の部分はすごく純粋なんじゃないかと思うときがあるんだよ。だからオモチャだとかペットだとか、そういうひねくれ方はしてないんじゃないかな」

「じゃあ何なんですかー。私はもうお手上げですよ」

 頭を抱えだした私を気の毒がるように、大悟さんは眉を下げていた。

「さあなあ……。でも案外、脩くんにもわかってないんじゃないか? 手探り状態っていうかさ。だから説明のつかない態度になってるのかもよ」


 ――何にしろ、知りたいなら直接訊くしかないだろ?


 そう言われて、私は頷いた。

 結局はそういうことだ。何でもないように過ごして来たけれど、私の思考はあの人から離れられないでいる。朝目覚めたとき、食事中、授業の合間、帰り道、眠りに落ちる寸前。一日のどこであって、ふと思い出す瞬間がある。

 みっともないから、滑稽だからやめようと思うのに――会いたくて。

 猫被りで遠慮されない関係になりたい。

 私に何を想っているのかが知りたい。

 そして確かめたい。私の心が、何に向かっているのか。


 たった一つのきっかけで、私はきっと、もう少しだけマシな私になれる気がするから。







 

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