第67話 電話
慎吾が帰って、暫くしてからお袋が帰ってきた。
疲れてはいるけど、昔の明るさは戻ってきている感じで俺も、そして親父も安心していた。
慎吾が帰った後、結構な時間難しい顔をしていた静海も、今は笑顔でお袋の夕食の手伝いをしている。
静海は、この春ごろからお袋の手伝いを始めている。
何か家事の手助けをしようとして、今までしてこなかっただけに、やたら失敗してお袋の仕事を増やしていたが、最近は少し様になってきた。
と言ってる俺は、その点についてはあまり変わっていない。
いいとこ食後の皿洗いくらい。
ただ、当初は静海と一緒にやろうとしたが、お袋に止められた。
今でならその理由もわかる。
親父が死んだ後の様々な事務的な書類の作成、法的な手続きを弁護士の鶴来さんとやってたからだ。
当然それをやっていたのは親父だったのだが。
そんなわけで、家事はお袋メインで、静海が修行中といったところだ。
「明日は初めての授業なんでしょう?お弁当はどうする?」
作ってもらうのは申し訳ない。
学食でもコンビニ弁当でもいいかと言おうとした。
「私が作るよ、お兄ちゃんの分も。」
静海がそんなことを言い出した。
何を言ってるのか、最初は理解できなかった。
静海が俺の弁当を作る?あの静海が?俺の弁当を?
「どうせ私の分を作るんだから、お兄ちゃんのも一緒でいいでしょう?」
振り返って俺を見ながらそう言った。
「ああ、じゃあ、頼む。」
思わずそう言ってしまった。
「でも、だい…大変だろう?」
「今さ、大丈夫かって、言おうとしたよね?」
肯定も否定も出来なかった。
「これでもお母さんの手伝いしてんだよ。と言っても、夕食のあまりもの詰め込むだけだけど、さ。」
「いや、全然、それで、いいよ。」
「じゃあ、お兄ちゃんの分も作るね。」
そう言って、少し機嫌よくまた台所に向かった。
その光景を見ていたお袋が、にっこりと笑って見せて、静海と一緒にまた夕食を作り始めた。
本当にこの数日でいろんなことが劇的に変わっている。
少しついて行けない自分がいた。
夕食後に自分の部屋に向かおうとしたところで、家の電話が鳴った。
お袋と静海が夕飯の片づけをしてるところだったので、俺が受話器を取る。
後片付けをしようとしたら、二人からゆっくりするように言われたところだった。
『もしもし、こちらは栄科製薬で白石影人さんにお世話になっていた山上と申します。白石さんのお宅の電話で間違いないでしょうか?』
電話の先で、親父とそう年の離れていなさそうな男性の声がした。
そういえば以前、親父が言っていた後輩の人の名前だった。
「はい、白石影人の家で間違いありませんが…。すでに父はこの前、交通事故にあい、なくなっておりまして。」
『ああ、息子さんの光人君でしたか。存じ上げております。電話口で申し訳なく思っておりますが、お悔やみを申し上げます。本来であれば、すぐにでも駆け付けたかったのですが、マスコミが押し寄せていると言事で、会社関係でも、また大学院の研究室の仲間うちでも、落ち着くまでは待とうということになりまして…。』
親父からは研究用のサプリメントの回収と聞いていたが。
(まさか、電話口で私が死んだから、研究用サンプルを回収すると言えると思うか?とは言っても山上くんの言ってることは、表面上のことだけではないよ。彼とは大学院の頃から親しくしていたしね。言ってることの半分以上は礼儀では無く、本音だと思うよ、光人)
(親父が言うならそうなんだろうけど…)
『それで、もし時間の都合がつくようでしたら、会社の仲間と次化、その次の日曜にお宅に伺い、線香を上げさせてもらいたいのですが。そちらのご都合はどうでしょう。できれば、皆さんにお会いしたいのですが…。』
「私はどちらでも大丈夫です。あっと、ちょっと待ってください。」
俺は受話器から顔を話し、口元のマイクを手で覆う。
お袋と静海が洗い物の手を止めて俺を見ていた。
「親父の前の会社、栄科製薬の人からの電話。親父の後輩の山上さんから。」
「ええ、知ってるわよ。結婚式にも来てくれたし。聞こえた感じだと、うちに来るって?」
「そう。線香あげたいって。会社の人と来たいって言ってるけど、今度の日曜日大丈夫?」
俺の声にお袋が頷いた。
「私は平気よ。これと言った用事はないし。静海は何か約束とかある?」
「今のところは何もないけど…。何時ごろかな?」
二人とも予定はなさそうだ。
でも先に時間を押さえておかないと、静海は面倒くさがって、逃げるかもしれない。
「すいません、お待たせしちゃって。3人とも今度の日曜で大丈夫です。何時くらいになりますか?家の場所がわからなければ、迎えに行きますけど。」
迎えに行くというのは礼儀上の建前だ。
多分会ったことがあるとは思うんだけど、山上さんの顔は思い出せない。
もし迎えに行くなら、お袋を連れて行かないとダメだろう。
『いえ、場所は何度か尋ねたことがありますので大丈夫ですよ。では午後2時くらいにお伺いしますので、よろしくお願いします。』
「では、お待ちしてます。」
そう言って電話を切った。
「じゃあ、二人とも、今度の日曜午後2時に親父の後輩の人が来るっていうから、よろしくってさ。」
そう言った俺の声に、お袋は少し考えこんだ。
「会社の人と来るって言ってたけど、正確な人数って聞いたの、光人。」
「あっ、いけね。聞いてないや。」
「まあいいけど。いくら多くてもも4,5人程度でしょうからね。」
全く気にしてなかった。
お袋からすれば、最低限、お茶の準備しなきゃならんもんな。
親父の勤めていた薬局の人たちはすぐに来てくれたけど、このタイムラグがいわゆる大人の社会的な距離感ってやつなんだろうか?
(いや、今回の山上くんの来訪のタイミングはそういうもんではないだろうな。一応、葬式の時に栄科製薬の名で、お花と弔電が来てただろう。山上本人はもっと先に来たかったろうに)
(それって、何か事情があるの?)
(今はまだよくわからないことが多いので、光人には言えないが…。時期が来たら教えるよ)
何か知ってて教えないってのやな感じだな、とその時の俺は思った。
かなり後に親父が教えてくれた時には聞かなければよかったと思うことになるのに…。