不覚
やや下品。
目覚めたら、全然知らない部屋だった。
どこだ、ここ?
起き上がろうとしたら激しい頭痛に襲われる。
「ぐはっ!」
「ダメですよ、急に起き上がっちゃ。昨日何杯飲んだと思ってるんですか」
呆れた声が上から降ってくる。
「…一真…?」
「はい、お水」
白いTシャツを着て、何故か眼鏡を外している一真が、ペットボトルを差し出した。
「お―…」
そぉっと起き上がったら、肌掛けが捲れて、何も着てない身体があらわになった。
…え?
…えーと?
………………。
…これはきっとアレだな、酔って吐くかなんかして、汚れた服を一真が脱がせてくれたりとかなんとか。…でも、ぱんつまで脱がす必要はないと思うんだが…。とりあえず、水を少し飲んで気持ちを落ち着ける。出した声が必要以上に低姿勢になったのは、記憶がないから仕方ない。
「…えーと、あのですね、一真さん…?」
「ヤっちゃいましたね」
「どわっ! なななななな何を!?」
「覚えていないんですか?」
「ちょ、ちょっと待て! 何かの間違いだ! 今思い出すから! …っつーっ!」
「あーあ、急に大声なんか出すから」
「嘘だろ? 嘘だって言ってくれよ~」
「…意外と良かったですよ?」
慰めてるのかさらりと言うのが、却って痛かった。
「意外ゆうなぁ!」
「ハイハイ」
腋の下をだらだらと嫌な脂汗が流れる。
だって一真だよ? ヤッたって何? 有り得ないだろうが!
「責任取れなんて言いませんから」
「責任て!」
「…まぁまぁ良かったですよ?」
「まぁまぁゆーな!」
「大体ねぇ、何でもいいから慰めろって言ったのは古市先輩ですからね?」
「だからって」
「大変だったんですから! ぐでんぐでんの先輩をここまで運ぶの!」
「無理やりタクシー乗せてうちの住所言っちまえば良かったろうが」
「給料日前で金ないからってあの居酒屋にしたのは誰ですか!」
「そうだった。思い出した」
「言っとくけど財布の中身なんかうちの部署は筒抜けですからね」
確かに俺の家はK市だから遠かった。電車で送ったら一真が帰れなくなる。180センチ以上のでかい男を担ぐなら、近場の自宅の方がそりゃ良かったんだろう。
だがしかし。
「とにかく! お互い大人なんですから、不慮の事故って事で」
「………」
「とりあえず、今日は先輩、遅番でしょ? そろそろ用意した方が」
「あ」
枕元にあった目覚まし時計を見たら、勤務開始まであと一時間だった。一真のアパートから会社は歩いて15分と言ってたから、シャワーを借りて着替えたらちょうど良いだろう。
「はい、アイロンかけときましたから」
「…サンキュー、シャワー借りるわ」
ソッポを向いて渡されたシャツは、きっちり皺が伸びている。嫌な気の使い方だなあ、おい。こちらも目をそらしたから、期せず手が重なって慌てて払った。
手のひらの感触から、不意に、ゆうべの一真の低い喘ぎ声が蘇る。
うわ! 嘘だろ、俺! やや前屈みになりながら、肌掛けを身体に巻いて風呂場に向かった。
浴室に入る直前、ふと思いついて俺は尋ねた。
「一真」
「何ですか?」
「お前…下の名前、なんだっけ?」
コーヒーを飲もうとしていた一真が急に吹き出す。
「チョイ待てこら。3年も一緒に仕事してて、後輩の名前も知らんのか、あんたは!!」
「だって、苗字でしか呼ばないから覚える必要なかったし!!」
何でこんなに怒るんだよ、こいつ。
「…響子、です」
恐ろしく低い声が、ぶすったれて答えた。
「キョウコ」
無意識に口に出して呼んだら、何故か一真は真っ赤になった。
えーと、…あれ?
「いいから早くシャワー浴びて来い!!」
先輩に対する言葉遣いと思えぬ乱暴さで、一真は俺に向かって枕を投げつける。
慌てて俺は、浴室へと飛び込んだ。
きちっと片付いたユニットバスと、いい匂いのするボディソープ。なるほど、意識した事なかったけど、そういやこれが奴の匂いだったな。
徐々に昨夜の記憶が甦りそうになって、思わず頭を振ったら、二日酔いの頭痛でまた死にそうになった。
えーと、おれ、失恋したばかりだったよな?
一真はただの後輩で同僚だったよな?
(お互い、不慮の事故と言う事で)
奴の台詞が甦る。
それが一番だと、頭の中で説得する俺がいる。
しかし―。
覚えてないぞ、俺は。
思いのほか柔かかった肌とか、泣きそうな声とか。
ああ、覚えていないとも!
もちろん、さっきの真っ赤になったうなじだって見てないしな!
頭の中で頭痛と混乱がタップダンスを踏んでいる。
…嘘だろう?
勘弁してくれよ。
不覚を取ったとはこういう事を言うのだろうか。
(この不覚は高価く付きそうだ…)
そんなことを考えながら、俺は熱いお湯を思いっきりシャワーから頭に叩きつけていた。